打ち寄せる波、その足元にお宝が!?
山と海との距離が近く人気のアウトドアスポットとして知られる鎌倉。サーフィンやウインドサーフィン、シーカヤック、昨今はSUPなど、海のアクティビティーも季節を問わず盛んだ。かつて幕府が置かれた鎌倉は、そこかしこで数百年前の痕跡に出合うことができるのだ!
「鎌倉は掘ればなにか出てくる……」と、いわれるそんな土地でもある。海岸はいわば地面が剥き出し状態の場所。さっそくビーチコーミングで探してみた。一緒にビーチコーミングをしてくれたのは、NPO法人鎌倉考古学研究所の古田土俊一さん。
鎌倉市には東から材木座海岸、由比ヶ浜海岸、七里ガ浜海岸、腰越海岸(藤沢市との境)があるが、かつての「鎌倉」は、もっと狭い場所を指す。現在の鎌倉駅や鶴岡八幡宮があるあたりを中心に平地が広がる部分で、海岸でいえば材木座と由比ヶ浜までが「鎌倉」だった。
ということで、材木座海岸を古田土さんと歩いてみる。海岸に着くやいなや……
「あ、これなんかは愛知県の常滑のものですね。片口の鉢ですね。断言できませんが、恐らく古いものだと思います。これも常滑です。水甕(みずがめ)か壺でしょうね。ん〜もう少し厚みがないと甕にはならないかなぁ」
と、古田土さん。
—そ、そんなすぐに見つかるものなんですか! しかも破片だけでそれがどんな器のどの部分かまで予想がつくんですね(驚)
「もちろん、断言はできないんですけどね。発掘調査などでこうした破片はいくつも見ているので」
—鎌倉の海は、やはり土地柄もあって昔の器の破片などが落ちているのですか?
「ここ(材木座海岸の東側)に和賀江島という港があったからですね。一説には中国の陶磁器が運ばれてきて、荷下ろしの際に割れたものが捨てられたんだ〜と、昔からいわれていましたね。台風の後なんかはよく拾えるんですよ」
—波で掘り返されたりするんですかね。
「日々波にさらわれていくんですけど、台風の後はまた打ち寄せるという。以前から考古学者とか古美術の専門家の間ではここでは拾える、といわれていたようです。それこそ、700年前の中国の陶磁器の破片がバケツ一杯たくさん拾えたといいます。いまはもうそこまでは見つけられないですが」
—これはどうですか? (と、茶碗らしき破片を見せる)
「作りからして現代に近いですね。絵付けの文様と色合いからして江戸時代を過ぎた、かなり新しいものです。鎌倉時代の日本ではまだ磁器は作られていないんです。磁器の技術は、のちに秀吉の時代に九州あたりで磨かれるんですね。発掘調査をしていると、そうした焼き物の傾向が変わっていくのが分かります」
—焼き物にも興味が湧きますね。あ、この茶色い破片。よく見ます! 「かわらけ」ですよね。でも植木鉢やレンガのようにも見えてしまって、本物なのかどうか……。
「これは、かわらけである可能性が高いと思います。この平らな面があって皿の形が残っていますよね。摩耗して豆粒のようになってしまうと判別が難しいですが、なるべく形が残っているものを探すといいかもしれません。かわらけは素焼きの薄茶色の小さな皿なんですが、お酒を飲むような器です。神聖なものなので、使うのは一度きり。洗って使い回すようなことはしないんです。だから何万点という出土物の約9割はかわらけです」
—ほとんどが、かわらけなんですね! それだけ、多くの人がここにいたということですね。
「鎌倉は鎌倉時代にとても発展しました。日本の中心のひとつでしたからね。人がたくさん集まって、住んで、食器が消費された、ということなのだと思います。人が少ない土地では、ここまでの出土量はありません」
—鎌倉時代はいまよりもっと人口密度が高かったようですよね。でも、こんな小さな欠片でも数百年前のものだと思うと、なんだかロマンがあります。見つけるコツみたいなものはありますか?
「干潮のときや台風の後。由比ヶ浜より材木座海岸ですね。あとは、波打ち際に近いほうがまだ他の人が見ていないところなので、新しいラインアップがあると思いますよ」
※構成・撮影/須藤ナオミ