ホームレス女子大生から剥製師に。次の旅は、世界を目指してカヤックでスタート!
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    海外の旅

    2022.01.23

    ホームレス女子大生から剥製師に。次の旅は、世界を目指してカヤックでスタート!

    剥製師の工房の様子

    剥製師・佐藤ジョアナ玲子、カヤックで世界を冒険する

    初めまして!アメリカの剥製工房で職人修行をしている佐藤ジョアナ玲子です。

    扱う動物は主に、鹿や熊など大型の狩猟動物。

    狩猟というと、マニアックな世界にも聞こえるでしょう。しかし海に囲まれた日本で釣りが広く親しまれているように、山と平原が広がるアメリカ内陸部では、”狩り”は一般的なアウトドア・アクティビティとして根付いています。

    狩った獲物の肉は、食材として使われます。ベジタリアンやヴィーガンなど、こだわりのある菜食主義をおくる人たちがいる一方で、狩りが根付いている地域では「自分で仕留めた肉しか食卓に並ばない」という、現代社会にはもうありそうもないマイルールを今も徹底している家庭があります。

    そして食用には向かない頭部だけ、剥製工房に持っていって剥製に仕立ててもらおうという需要があるのです。魚で魚拓を取るのと似たような感覚かもしれません。

    どうしてアメリカで剥製師に?

    男性2人がかりで運ばれるブラックベアの剥製

    アメリカ内陸部のハンティングが盛んな地域でも、「剥製師」という仕事は正直、珍しい仕事です。

    まず第一に、剥製工房は多くの場合、1人の職人が自分の工房を持ち、すべての仕事を終始一貫1人でこなす、ある意味閉ざされた仕事です。そして剥製師になるための学校や教育システムも、とくには確立されておらず、ほとんどの場合、趣味で始めてのちに独り立ちします。

    ほとんどの職人が、いわゆる田舎に生まれ育ち、幼い頃から狩りに親しみがあり、その延長線上で頭蓋骨の標本作りや毛皮作りを知るうちに剥製の世界に入っていった。

    そして剥製工房に来るお客さんも同じく、田舎で生まれ育ち、幼い頃から狩りに親しみのある人たち。性別はほとんど男性で、人種でいうと白人以外のお客さんが工房に来たのを私は見たことがありません。

    対して私は、生まれも育ちも東京都港区。生粋の都会っ子です。狩りなんてしたこともなければ、ジビエだってアメリカに来るまで食べたことがありませんでした。しかもアイデンティティは女で、日本人。

    職業は何かと聞かれて「剥製師です」と答えると、みんなビックリ。

    もしかしたら、アメリカで剥製作りの仕事をした日本人女性は、私が歴史上初めてかも。

    そんな剥製の世界に縁もゆかりもない私が、なぜ剥製作りの仕事に就いたのか。

    きっかけは、ひとつのカヤック旅行でした。

    『ホームレス女子大生川を下る』私の人生を変えた3000kmのカヤック旅

    3か月3000キロのカヤック旅でメキシコ湾に到着。

    それは大学4年の夏休みの出来事。留学先のアメリカでアパートを退去。実質ホームレスになった私が行った3000kmの川下りの旅。

    そもそも私が渡米したのは母の死がきっかけでした。フィリピン出身の母が、日本に嫁ぐ前に出稼ぎで来ていたアメリカの風景を「私も見てみたい」と。

    ただそれだけで無計画な資金繰りのまま渡米して、現地の大学に進学した私。大学4年の夏休みまでなんとか粘ったものの、ついに金策尽きて、一番大きな固定費をカットしようと真っ先にアパート生活を諦め退去しました。

    そして、知人から譲り受けた古いフォールディングカヤックを持って、大学の夏休みの3か月間をカヤックで移動しながら、川沿いにテントを張って暮らすことにしたのです。

    川沿いにテントを張る日常生活の様子

    これが川下り中の私の日常風景。

    私のカヤックは、今はもうカヤックの製造を辞めてしまった日本のリバースチールのもの。1996年生まれの私より、5歳か10歳は年上の古いカヤックです。

    カヤックの頭とお尻の先端に詰めるはずの浮き袋は壊れていたので直さず、代わりに空のペットボトルを詰めました。

    そしてテントはホームセンターで買った3000円のもの。

    カヤック旅の途中、バトンルージュにて。

    私はこれらカヤックとテントを全財産に、当時住んでいたアメリカ・ネブラスカ州からメキシコ湾まで、ミズーリ川とミシシッピ川を約3000km下ったのです。

    これは大体、沖縄から北海道までの直線距離に相当します。もちろんアメリカでも、3000kmも移動すると終わりと初めでだいぶ景色が変わってきます。

    食文化や習慣、そして同じ英語でも言葉が違ってくるのです。

    川を泳ぐワニ

    ときには、ワニのすぐそばを漕いだり。

    川辺に広がる夜景

    ときには、真夜中の川辺をネオンの煙が彩る、そんな工場地帯のそばにテントを張ってみたり。

    釣り人にいただいたナマズ

    ミシシッピ川のナマズ。これでもかなり小柄な方

    ミシシッピ川ではナマズがよく釣れるそうで、釣り人に譲ってもらっては焚き火でナマズ料理を堪能したり。川沿いに出会ったたくさんの人に、お世話になりました。 

    旅の途中に助けてくれた家族

    カヌーによる世界一周を計画しているエレン(画像右から二番目)とその一家。

    水や食料の補給のため、川沿いの港町に上陸する度に、地元の方が声をかけてくれて、10軒以上のお宅に泊めていただきました。

    アメリカというと、ニューヨークやカリフォルニアの都会ばかり想像してしまいがち。だけど、この川下りの旅で中西部から南部地域までさまざまな人と交流し、私自身、「知らなかったアメリカ」にたくさん出会いました。そんなカヤック旅を通して得たアメリカ豆知識的な発見を、著書『ホームレス女子大生川を下る』にまとめました。

    著書『ホームレス女子大生川を下る』の表紙

    著書『ホームレス女子大生川を下る』(報知新聞社刊)はこの表紙が目印です。

    そしてこのカヤック旅での私にとっての一番の発見が、剥製の世界です。

    いつものように港町を散策していたある日、偶然、剥製師の方に声をかけられたのです。家を見学すると、壁一面に鴨の剥製。どれも躍動的なポーズのまま、時間が止まっているようでした。

    剥製師という仕事を日本では聞いたことがなかった私は、「なんてアメリカンな仕事だろう」と、その世界に一目惚れ。旅を終えるとすぐ、剥製職人を目指すことに。

    渡米する前はまさか自分が剥製師になるなんて、思ってもいませんでした。

    川下りが運んでくれた不思議な縁で、人生がガラリと変わった瞬間です。

    新卒、4万円のキャンピングカーで鶏と暮らすスローライフ

    剥製は求人もなかなか出ないような業界ですが、探してみると運よく、通える範囲に一件見つかりました。

    大学から800km先の剥製工房です。車を一日運転すれば通える距離。だから私は大学卒業前の1学期は、週末だけ片道800km運転して工房に通ったのです。

    行きと帰りはそれぞれ一泊車中泊を挟んで、工房では埃っぽい屋根裏に寝袋を持ち込んで寝泊まり。到底、非常識な働き方ですが、「剥製師になるんだ」という執念でやり通し、卒業と同時に引っ越し本格的に剥製師としての修行生活を開始しました。

    設置されたトラックキャンパー

    中古のトラックキャンパーの居住部分だけを買って自宅としました。

    大学の夏休みは川沿いにカヤックで移動しながらテントを張って暮らし、大学に戻ってみれば車中泊と屋根裏生活で、はっきりと家があるとは言い切れない生活を続けていた私。

    もちろん、大人としては社会的に無責任な生活態度です。しかし、家がなくても生きてはいけるということに味を占めてしまった私は、剥製工房で働いていくらかの収入が得られるようになっても物件を探すというモチベーションが一向に湧きません。家の必要性が、わからなくなってしまったのです。

    そんな工房長が私に一言、「キャンピングカーを買って、工房の裏庭に住んだら?」と。

    そうして私は、不用品を売買するインターネット掲示板で古い4万円のキャンピングカーを買い、そこで生活をするようになりました。

    キャンピングカーといっても、トラックキャンパーと呼ばれるもので、ピックアップトラックの荷台に載せて居住空間として使うものです。これを私は地面に置いて、「家」として使うことにしました。

    トラックキャンパーのキッチン

    3口コンロほか、冷蔵庫やシンクもあります。

    4万円という値段の割には、ベッドやコンロや冷蔵庫など、中身はしっかり機能しています。ただし、トラックへの積み下ろしに使う4本足のうち1本が壊れているため、同僚たちが総出でこの「家」を担ぎ上げて裏庭に下ろしてくれました

    トイレは工房で使用し、シャワーは通ってるクライミングジムで浴びます。

    こんな生活ですが、家族がいないわけではありません。

    鶏の飼育スペース

    トラックキャンパーの下のスペースで、鶏を2羽飼っています。

    窓からのぞく鶏
    家の小窓は、じつは鶏小屋への直通路。毎朝、窓から手を伸ばして卵を採取するのが毎朝の日課です。

    冬場は暖房をつけないと一晩で家の中の水が凍ってしまう寒さですが、それでも鶏は文句を言わずに毎朝コケコケと鳴いて、小窓をクチバシでコツコツ叩いて餌を要求、そして卵を産んでくれます。

    私としては、現状、何ひとつ不満がない生活スタイルですが、この家は本来は車に載せる貨物であって、「建物」ではありません。厳密にはホームレス状態が3000kmの川下り以降ずっと継続していることになります。ポジティブなアメリカ人の知人らは、私のこの暮らしを「選択的なハウスレス」と言い換え、そして私のことをよく知る日本の古い友人たちは「ジョアナ暮らし」と命名してくれました。

    次に目指すはヨーロッパ4000kmのカヤック旅

    アメリカでの3000kmの川下りとキャンピングカー生活を終え、次に私が計画しているのがヨーロッパ4000kmの川下り。

    4000kmの川下りを予定している行程図

    ドイツからトルコまで4000kmの川下りの概略地図。

    2022年2月にドイツのドナウ川をスタートし、5か月間で9カ国、約4000kmをカヤックで旅しながらエーゲ海沿いのトルコを目指します。

    全行程の3/4はドナウ川、残りの1/4は海をモンベルのフォールディングカヤック『エルズミア530』で漕ぎます。

    モンベルのカヤック

    次の旅の相棒は、このカヤックです。

    フォールディングカヤックをたたんで背負ったところ

    ちなみに背負うと、こんな感じ。

    季節は冬。冬のヨーロッパ・ドナウ川は寒さが厳しいのはもちろん、とくに大変そうなのは陸での活動。複数箇所あるダム越えと、そして何より、私はヨーロッパの言葉が一切、話せません。

    しかし言葉が通じなくとも、何か音楽だったらコミュニケーションのきっかけになるかもと、2か月前にフルートを吹き始めました。川沿いの町で演奏して、日々の食費を稼ぐ作戦です。そして、クラウドファンディングも始めました→https://readyfor.jp/projects/joana_kayak

    顔写真これからBE-PAL.NETでは、ヨーロッパ・ドナウ川下り旅の各国の様子を記事に投稿する予定です。また、川下り中のリアルタイム情報はTwitterアカウント@Boloron_Tokyoにて更新します。

    私、ジョアナがお届けする一風変わったカヤック世界冒険紀、お楽しみいただけたらうれしいです!これからどうぞ、よろしくお願いします。

    佐藤ジョアナ玲子
    ホームレス女子大生川を下る inミシシッピ川


    私が書きました!
    剥製師
    佐藤ジョアナ玲子
    フォールディングカヤックで世界を旅する剥製師。著書『ホームレス女子大生川を下る』(報知新聞社刊)。じつは山登りも好きで、アメリカのロッキー山脈にあるフォーティナーズ全58座(標高4367m以上)をいつか制覇したいと思っている。Twitterアカウント@Boloron_Tokyo

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