長野県の贄川宿から馬籠宿までは「木曽十一宿」とひと口に括られるが、観光客が多く訪れる宿場と、滅多に来ない宿場とがある。最後のふたつ、妻籠宿と馬籠宿はいずれも観光地化に成功した町ではあるが、観光地としての立ち位置や佇まいには大きな違いがあった。
写真の水彩画は三留野宿のカーブミラー。
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ヌスビトハギにゾッとする!

「福助の宿」を出発したこの日、野尻(のじり 40番)と三留野(みどの 41番)というふたつの宿場を超えると、木曽川伝いに延々と伸びる国道歩きだった。
国道歩きはほんとうにきつい。国道19号線もここまで来ると、クルマの往来は少ない。ましては歩道を歩く人の姿は前にも後ろにもない。秋とはいえまだまだ強さが衰えない陽を浴びながら歩く。歩道の真ん中に草が元気に伸びている。避けるのも面倒なので、そのまま草のなかを突き進んだ。ふと違和感を感じてズボンを見たら、みっしりと草の実がついていた。ゾッとした。「ヌスビトハギ」だった。小ちゃいサングラスの形をした実だが、これがじつにしつこい。一つひとつ丁寧に剥がさないと取れないのだ。その場で全部取るのに30分ほどかかった。その間、通り過ぎるクルマは、炎天下に股間をまさぐっているおやじは変態かと思っただろう。

日本再発見ブームで復活した妻籠宿

日が傾きつつあるなか、道は山の中を分け入り、やがて妻籠宿(つまごじゅく 42番)に出た。
旅館やお土産屋などが並んでいる。山が間近に見られる。まさに山中の宿場だ。
木曽十一宿とひと口に括られるが、観光客が多く訪れる宿場と、滅多に来ない宿場とがある。奈良井(ならい 34番)、妻籠、馬籠(まごめ 35番)は前者の代表的な宿場。中山道観光の白眉と言ってもいい。
しかし面白いのは、昭和30年代までに書かれた中山道の案内には、奈良井の案内は詳しいが、妻籠と馬籠についてはほとんど触れられていないことだ。奈良井は漆工芸の町として栄え、国鉄の駅もあり、越後屋という有名な宿屋があった。つまり近代化に合わせて宿場が生き残る術があったのだ。
ところが妻籠と馬籠は、国鉄からも国道からも外れ、交通の便の悪さのために、山中に忘れられた宿場となってしまった。当時の写真では貧しい山村の様子が写され、木曽山中に朽ちていく宿場という懐古的な記事が多い。ところが昭和40年代になって、宿場の改修もままならないなら、いっそこの古さを逆手にとって、江戸時代の街並みを復元してしまえと考えた人たちがいた。それが成功し、昭和50年以降の日本再発見ブームも相まって、ガイドブックには観光客に人気のある宿場として必ず紹介されるようになった。

妻籠の往来ではコロナ期(2021年10月当時)だというのに、人出が多い。カップルや家族連れがうろうろしている。 両側の建物はほとんど柿渋色。出梁(だしばり)造りに連子格子(れんじごうし)という奈良井の街並みに似た風景だ。
ただこちらは建物の軒には、屋号を記した木の看板がある。古さにこだわり過ぎて、実際にここで生活する人の利便性はどうかと思った。例えると慎重に扱わなくてはならない骨董品に囲まれて生活しているのではないかと、少し息苦しさを感じた。観光を前提とした町づくりを目指した結果なのだろう。奈良井にあった生活臭がない。あくまで印象だけだが。
この日は、妻籠宿を通り越して、「間の宿」である大妻籠で泊まる。間の宿とは、宿場と宿場の距離が長いなどの理由で、途中に出来た宿場で、昔は旅人が泊まることはできなかったところだ。
馬籠峠を登りきると様相が変わった

妻籠から次の馬籠の間にある馬籠峠は、資料によると、昭和40年代以前は人の往来もほとんどなかったそうだ。しかし今朝はトレッキングする人をちらほらと見ることができる。妻籠・馬籠は、近代以降同じように歴史に取り残され、お互いの行き来も途絶えた時代が長くあったのだろう。宿場の復元が、峠の往来まで復元したのだと思う。峠を登り切ると、急に人の数が増える。それまで出会う人に「こんにちは」と挨拶を交わしてきたのだが、挨拶しても返事がなくなったことから、町が近いことを知る。
木曽十一宿、最後の宿場町へ

きれいな服を着た人たちが現れ出した。馬籠宿だ。
こちらもまた妻籠同様に観光地化に成功している。いや成功し過ぎたかと言ってもいい。というのは馬籠宿の街道では商店以外の建物はほとんどないのだ!見渡す限りの土産屋と食事処。土産屋の背後には観光バスが停められる大きな駐車場があった。ここはすでにアミューズメントパークだ。家族連れやカップルがソフトクリームをなめながら、狭い街道を上り降りしている。中山道がこんなに賑わっているのを見たのは、巣鴨の「とげぬき地蔵通り」以来だ。
日本橋から歩いてようやく妻籠宿まで辿り着いた。それはちょうど大河を遡行していくようなものだった。平野を滔々と流れる川が、山が迫り岩が現れ渓流となって、さらに細流に変わり、最後は盃からこぼれたほどの水たまりとなった。それが繊細な細工物みたいな妻籠宿だ。
そしていま峠を越えて観光客で賑わう馬籠宿に入った。
駐車場の観光バスは名古屋や岐阜からのナンバーが多い。そう、ここはもう西なのだ。木曽十一宿もここが最後で、これから美濃路に入る。これから私は京都を目指して山を下る。
歩いてみるとわかるが、妻籠が中山道の東側の終着点、馬籠が西側の始まりだ。そしてその間に横たわる馬籠峠こそが、中山道歩きの東と西の分水嶺なのだ。
(2021年10月9日〜10日)




