中山道を歩いたのは5年前のこと。そのときに作った自費出版本には収録している話ですが、この連載ではあえて外しました。それは、自然の摂理を愛する人には軽く書くべきではない話だから……。
連載第14回は長野県木曽の奈良井宿でしたが、時間を一気に巻き戻して、埼玉県でのエピソードを紹介します。この体験を書かないと、どうも自分の中山道歩き旅が完成しないような気がするのです。そしていま、同じ状況に遭遇してしまったら私はどうするのか、書きながら考えたいと思います。
旅の途中の忘れがたい出会いの物語、前編です。
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熊谷市街で自分を撮る

これは中山道歩きの3回目で、桶川宿から歩き始め、熊谷宿まで歩いたときのこと。
この日は私の誕生日だった。
16時半熊谷駅発の電車に乗れば、東京の我が家には18時に到着できる。家では誕生会ディナーを用意してくれているはずだった。だから名所旧跡はもとより、旧街道からもはずれて、せっせと熊谷駅を目指して歩いていた。
ちゅんとの出会い
関東平野の見慣れた田舎道だ。乾いた畑と更地が広がる中を線路が横切る。
高圧線の鉄塔も平野を無造作に横切っている。民家もあるが、舗装された道沿いに気まぐれで置かれているようで、まとまりがない。田んぼの畦道を舗装したような道を歩いて、高架の下に差しかかったときだ。
びいっ!びいっ!と大きな音がする。

どこからするのだろう、と見渡した。
すると足元で赤黒い塊が落ちていた。犬の糞!?犬の糞が大きな音で鳴いているのだ。
高架に反響しているせいだろう、防犯ベル並みの音量だ。
よく見ると、それは鳥のヒナだった。それが懸命に鳴いているのだ。羽根が生え揃わず赤い地肌が見える。
びいっ!びいっ!一定のリズムで鳴いて親を呼んでいるのだろう。
よくこんな小さい体で出せるものだ。
それにしても親はどこにいるのだろう。見回しても高架下にはフェンスが張られ、雑草が生えている空き地があるだけだ。とても巣のある場所には思えない。私は反射的に歩道に落ちているヒナを拾い、タオルに包んだ。
黄色いくちばしがひし形に開く。お腹が空いているのだろう。落ちている蛾の翅を口に入れるとすぐに飲み込んだ。次に蟻をつかまえて口に入れようとしたけど、蟻はすぐに逃げてしまった。
放置するか、拾うか、それが問題だ

ヒナは持って帰ってはいけないという大原則がある。フェンス越しに空き地にそっと置いた。
そして歩き始めた。
しかしどう考えても、親鳥が餌を与え続けることはできないだろう。親鳥は人間の匂いがついたヒナを放棄するという話も聞いたことがある。もう私の匂いが移っているかもしれない。
私はフェンスまで戻って、その下から鳴いているヒナを拾い上げた。そして、カメラを収納するクッションのあるバッグにタオルのまま収め、慎重にデイパックに入れた。
今まで大音量で鳴いていたのが嘘のようにおとなしくなった。

歩くこと10分、不安な気持ちが湧き上がってくる。野生のヒナを育てる自信がない。それならどこかで見守っていたかもしれない親鳥に返すほうが生き延びる確率が高いのではないだろうか。もやもやとずっと考えた。
再び高架下に戻った。
デイパックからヒナを取り出しフェンスの下に生えているタンポポの葉っぱの下に置いてくる。 置くと同時に、またびぃ、びぃを繰り返し始めた。
「親に育ててもらえ」
わざと口に出して、その場を離れた。所詮、何の鳥かわからないヒナが足元に落ちていただけじゃないか。自分には家族との大事な約束がある。すぐにそんな小さいことなど忘れるだろう。
命の期限を知り、頭をかきむしる
それから15分歩いて、セブンイレブンに立ち寄った。缶コーヒーを飲みながら、よせばいいのに、スマホでヒナの育て方を調べた。さっき往復20分かけて置いてきたのだから、もう考えない考えない……しかしこれがダメ。決定打は、保護したヒナには応急的に「卵の黄身」を食べさせて、温めるとなんとか生き延びられるという記事だ。
その記事では、ヒナは本来、巣の中できょうだいでくっつき合い体温を維持して夜を過ごすのだが、一羽になると低体温で死んでしまうらしい。ということはこのヒナの命は今晩まで、ということらしい。4月とはいえ、夕方の熊谷は寒い。そんな気持ちを抱えながら、それでもセブンイレブンから5分ほど駅に向かって歩いた。
路上で足が止まった。
数歩引き返し、また思い直して前に進み、頭をかきむしり、そしてようやく戻ることを決心した。
クルマから見ている人がいたら、変な親父が歩道で変な踊りをしていると思っただろう。
ヒナはタンポポの葉っぱの下に、置かれたままの姿で、ぴい、ぴいと間欠的に鳴いている。声がさっきより弱々しいようだ。私は三たびタオルにそっと包んで、デイパックに慎重に入れた。背中越しに私の体温でぬくまってくれるだろう。
「一緒に家に行こう」
胸の中で声をかけた。
熊谷駅から家人に連絡を入れた。遅れて帰宅することと、ゆで卵をひとつ作って欲しい、訳はあとで話しますと伝えた。帰りの電車内ではデイパックを抱え、細心の注意を払った。一度も鳴くことことはなかった。
家族として迎え入れる

というわけで、ちゅんは私たちの家族となった。といってもあくまでも一時保護で、無事に育ったら放鳥するはずだった。次の中山道は熊谷宿発なので、そこで放鳥できればなおいい。
それで小動物用のヒーターで温め、ミルワームを与えて、なんとか一日一日と生き延ばすことができた。その間、夜も3時間おきに餌を与えた。赤ちゃんがひとりやってきたようだ。
ヒナはスズメだった。しかし両足の指がにぎにぎしているように曲がったスズメだった。木に留まることができず、体が安定しないので自分で餌をついばむこともできない。獣医師を探して診せたり、保護申請のやり方を調べたりした。いつしか家族はちゅんと呼ぶようになっていた。
やがて羽が生えれば飛ぶこともでき、まるまった指でちょんちょんと跳ねることもできた。初めは着地がうまくいかず、くるくると回ってしまうばかりだったが、じきに要領を得て、まわらないで目標まで行くことができるようになった。
脚の代わりに、尾羽で体を支えることになる。そのため尾羽が擦れて抜けてしまう。そんなときは頭と胴体だけのバランスの悪い鳥になって家族を心配させた。ふだんはテレビの上のタオルに入って、家族を見下ろしている。我が家のテレビはいまだにブラウン管で奥行きがあるため、温かくて格好の巣になったのだ。
掌に乗せてやると、くちばしを背中に入れて寝るようになった。
ギターを弾いていると、やってきて私の尻をくちばしで突つくことがある。アストリアスのある旋律になると、必ずじゅんじゅんと合唱するのは不思議だった。
そんな生活が一年半続いた。





