桜蔭䞭孊の囜語入詊問題に採甚された角幡唯介の゚ッセむを読んでみよう | 本 【BE-PAL】キャンプ、アりトドア、自然掟生掻の情報源ビヌパル

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2026.05.22

桜蔭䞭孊の囜語入詊問題に採甚された角幡唯介の゚ッセむを読んでみよう

毎幎冬になるず、䞖界最北の村グリヌンランド・シオラパルクを拠点に北極圏を挂泊する極地旅行家の角幡唯介さん。今幎も北極圏での旅の最䞭だが、この北極圏旅を通じお、角幡さんは䜍眮情報を瀺すGPSに぀いお深く考えるようになったずいう。
そのこずに぀いお觊れた゚ッセむが、2020幎床桜蔭䞭孊の入詊問題に採甚されおいる。文庫『゚ベレストには登らない』小孊通から抜粋しお玹介したす。
Text
写真角幡唯介

 たず登山云々の前にスポヌツずは䜕かずいうこずに぀いお考えおみたい。
 私の考えではスポヌツずはある䞀定数の人が掻動しおいるこずず、舞台が敎っおいるこずの二぀が成立条件になっおくるず思う。䞀定数の人がいるこずはいいずしお、問題は埌者のほうだ。
 舞台が敎っおいるずいうのは、䞀぀には文字どおり競技の舞台が甚意されおいるこずを意味する。野球で蚀えばスタゞアム、ボクシングならリングだ。屋倖でおこなわれる競技も、マラ゜ンやトラむアスロンなどは決たったコヌスから倖れるず倱栌になるので本質的には斜蚭内ず同じだ。たた舞台が敎っおいるずいうこずは、䞻催者により競技者の安党が――たずえそれが名目的であっおも――確保されおいるこずも意味しおいる。
 ボクシングでは二人のファむタヌが野攟図に死ぬたで殎りあうわけではない。事故で亡くなるこずはあっおも、そうならないようにルヌルを蚭けお制限しおいるわけで、これもスポヌツの舞台性を圢成する重芁な芁件であろう。
 そう考えるずトレむルランニングや山岳マラ゜ン、アドベンチャヌレヌスなどは、登山ず同じように山や自然を競技の堎ずはしおいるものの、明確にスポヌツだず定矩できる。マラ゜ンなどず同様コヌスが決たっおいるし、䞇が䞀の事故や急病に備えおスタッフや医療関係者が各所に配眮されおいる。
 もちろん自然が舞台なので亡くなったり怪我したりするリスクはあるだろうが、そうならないように䞻催者は党䜓に配慮の網をかぶせおいる。たたゲレンデクラむミングも、岩堎の開拓者がルヌトを敎備したりトポルヌト図を発行したりしお安党の確保やルヌル䜜りに取り組んでいるこずなどを考えるず、スポヌツだず考えおよさそうだ。

 さお登山はどうだろうか。登山の堎合ももちろん舞台はあるが、それが敎っおいるずは蚀いにくい。
 登る山ずルヌトが決たっおいたずしおも、圓日の倩候やルヌト状況によっおは倉曎するこずが頻繁に起こるし、長い瞊走や継続クラむミングの堎合などは、千倉䞇化する自然状況に柔軟に察応しおルヌトを倉曎したり、゚スケヌプしたりするこずのほうがむしろ倚いぐらいだ。それどころか、途䞭で目暙を倉曎しおたったく別の山に登る、などずいうこずもないわけではない。これがスポヌツだったら完党に倱栌だが、登山では予定どおりに登れなくおも必ずしも倱敗ずいうわけではない。そしおその融通無碍なずころが登山の魅力だったりもする。
 それに登山にはゎミを捚おないだずか、岩には無駄にボルトを打たないなどずいった倫理はあっおも、スポヌツにあるような堅苊しいルヌルや行動範囲を瞛り぀ける芏制は、今のずころ存圚しない。どの山をどのように登るかは個人の奜みや技術、䜓力に応じお思い思いに決定するこずができる。䞻催者がいるわけでもなく、自分で安党を確保しながら登るこずが原則だ。スポヌツのように第䞉者が舞台を敎えおそこで競技するものではなく、自分で舞台を拵えおおこなう自己完結型の行為だず蚀える。

 ではスポヌツではないずすれば䜕なのか。私はその本質は旅だず考えおいる。
 旅の本質ずは䜕か考えおみるず、それは今日の刀断が明日の自分の成り行きを決定するような時間の流れのこずだ。たずえば、ずある囜を旅しおいたずきにずいう町にたどり぀くずする。本圓は明日にでも町に移動する぀もりだったが、町がすっかり気に入っおしたったので二週間ほど居぀くこずにした。するず町の食堂で少し怪しげだが気のいいずいう人物ず芪しくなり、町に日本ぞの留孊経隓のある友人がいるから䌚いに行かないかず誘われた。しょうがないからず町に行っおみるず、その留孊経隓のある友人の嚘がたいそう矎人で  ずいうのが兞型的な旅である。
 旅ずは予定調和に終わらず、その堎の状況や刀断によっお内容が次々ず曎新されおいくこずだ。よく蚀えば攟浪、悪く蚀えば行き圓たりばったりこそ、旅の本質である。旅をしたずきに自由だず感じられるのは、倖囜に行くこずで日本のいろいろなしがらみから解攟されるからではなく、むしろこの刀断ず成り行きの連動䜜業を䜓隓できるからだろう。明日以降の自分がどうなるのかわからないなかで刀断し、その結果がおのずず自分の運呜に跳ね返っおくるのだから、かなり玔粋なかたちでの自由が達成されおいる。
 私が登山が旅的だず感じるのはこの郚分だ。登山は倩候やルヌト状況を勘案しながら刀断をくだしお進めるゲヌムである。刀断が正しければ登れるし、間違っおいれば登れない。刀断を間違うず登山者は最悪の堎合、死ずいう倧きな代償を支払うこずになる。結果ずしお跳ね返っおくる運呜の倧きさを考えるず、旅のもっずも旅的な郚分を抜出したような行為だずすら蚀える。
 登山では旅よりもさらに高床な刀断ず成り行きの連動䜜業が経隓できる。だから、享受できる自由の感芚も途方もなく倧きくなる。この自由の感芚こそスポヌツでは決しお味わえない旅ならではの感芚であり、自由であるからこそ、登山者は危険にもかかわらず性懲りもなく山に足を運ぶのだろう。

䞭略

 の問題に぀いお深く考えるようになったのは北極圏の旅をはじめおからである。
 北極圏に行くたで私の探怜の舞台はチベットやネパヌル、ニュヌギニアの山岳地垯が倚かった。山では尟根や谷の地圢的な起䌏が顕著なので、地図ずコンパスさえあれば自分の䜍眮を正確に把握できる。はあっおもなくおもどうでもいい存圚で、ちゃんず䜿ったこずもなければ、さほど意識したこずもなかった。
 ずころが北極圏の旅では、凍った海氷や平らな雪原に芆われたツンドラなど、地圢的に目印の乏しい堎所を進むこずが倚い。こうした堎所では山ずちがい、尟根や谷のかたちや向きから䜍眮を類掚するこずができず、地図ずコンパスで䜍眮を決定するこずがずおも難しくなる。そのため航海ず同じように緯床ず経床を求めお「航法ナビゲヌション」しなければならず、が圧倒的な嚁力を発揮する。
 二〇䞀䞀幎にはじめお北極圏を旅するたで、私はこのの嚁力をはっきりわかっおいなかった。が登堎する前も探怜家や航海士は六分儀で倩枬しおいたわけだから、を䜿うずいっおも六分儀が倚少䟿利になっただけで、機噚で航法するずいう本質に倉化はないずいう皋床の認識だったのである。
 ずころが実際に旅でを䜿いはじめるず、これが六分儀ず党然ちがう。最倧のちがいは、を䜿うず呚囲の自然条件ず無関係に珟圚地を出せるずころだ。
 六分儀による倩枬だず、倩䜓の高床を芳枬しお䜍眮を蚈算するわけだから、倪陜だろうず倜空の星だろうず、ずにかく倖に出お倩䜓芳枬しなくおはならない。そしおこの芳枬䜜業は口で蚀うほど簡単ではない。
 特に極地の寒さのなかではハヌドルが高く、氷点䞋四十床のなかで向かい颚に耐えながら、现かなネゞを調敎しお倩䜓を氎平線に䞀臎させるだけでも、極床に集䞭力が必芁ずなる。しかも芳枬するうちに、六分儀の望遠鏡に吐息で霜が匵り぀いお星そのものが芋えなくなっおくるし、䞉十分も䜜業しおいたら手足は寒さでかじかみ、錻ももげそうになる。
 なんずか芳枬を終えおも、今床はテントの䞭で倩䜓の暊や察数衚ずにらめっこしながら、芳枬倀を䜍眮情報に倉換するための耇雑な蚈算䜜業に没頭しなければならないただし蚈算機があれば、この䜜業は省略できる。苊劎がずもなうだけでなく、その芳枬倀には少なくずも数キロの誀差が぀きものだ。䞀番困るのは、ずちがい、その結果がどこたで正確に出せおいるかは芳枬者には絶察的にはわからないこずだ。最埌は自分の腕を信じるしかなく、その意味では倩枬は極めおアナログな技術なのである。
 ずころがを䜿うず、そういう苊劎がすべおなくなり、倕飯の支床をしながら片手でボタンを数回抌すだけで䜍眮情報を取埗するこずができおしたう。しかも、その情報は倩枬ずちがっお誀差がほがれロの、かぎりなく正確なものだ。
 を䜿うず、本来、旅においおもっずも難しいはずの䜜業がもっずも簡単になるずいう逆転珟象が発生する。それは〈前よりも䟿利になった〉ずいう次元をはるかに超える、人間はなぜ冒険をするのかずいう本質を䟵しかねないコペルニクス的な転回だ。

 なぜ私たちが探怜や冒険をするのかずいうず、それは行為のプロセスのなかにある〈自然ずの関わり方〉に秘密があるからだ。
 北極が䟋だずわかりにくいだろうから、登山を䟋に考えおもいい。私たちが山に登るのは、単に山頂に行きたいからではない。山頂に至るたでの山ずの関わりあいの䞭に魅力があるからこそ、人間は山に登るのではないだろうか。
 登山者は山ずいう厳しい自然のなかで、少しおおげさにいうず、呜を懞けた刀断をくだしながら山頂を目指しおいる。登山者がその行動や刀断を぀うじお垞時、山になんらかの働きかけをおこなっおいる。働きかけをしお山ず関係性を構築するこずで、登山者は山から肯定され、今その瞬間、そこに自分が存圚しおいるずいう感芚を匷く持぀こずができる。
 これは䜕も抜象的な話ではない。クラむミングをする人なら、誰にでも岩壁や氷壁を登っおいる最䞭に墜萜の恐怖でガタガタず足が震えた経隓があるはずだ。この恐怖ずいう負の感情を぀うじお私たちが獲埗できおいるのは、「氷壁のなかに自分が今ある」ずいう明確な自己存圚確認である。
 呚囲の䞖界ずの関係のなかで、身䜓的な五感を぀うじお自己の存圚を確立できるこず、぀たり山からきわめお実䜓的な存圚を䞎えられるこずに登山の最倧の魅力はあり、逆に蚀うずそこにしかない。それは登山に限らず、極地探怜や倖掋航海でも同じこずだ。過酷な寒さやどこたでも぀づく倧海原によっお実䜓存圚を䞎えられるこずに、探怜や冒険の魅力はある。そしおこの自己存圚確認の感芚は、こちらから自然に働きかけ、関䞎する領域が広がり、
そしお深たるほど倧きくなる。
 ずころがを䜿うず、この自然ぞの働きかけず関䞎領域が極端に狭くなっおしたう。地図読みや倩枬にはあった倖の䞖界を読みずるずいう働きかけがない状態で、いきなり癟パヌセントの正解が䞎えられるので、倖ずの関係が薄くなり、自然から存圚が䞎えられおいるずいう感芚も匱たっおしたうのだ。

 を䜿いながら北極の荒野を歩いおいたずき、私は垞に劙なもどかしさを感じおいた。連日、寒さや颚には苊しめられたし、極限的な空腹にも苛さいなたれたが、それでも私は自分は北極ずいう土地を爪で匕っ搔いおいるだけなんじゃないかずいう奇劙な隔靎搔痒感を取り陀くこずができなかった。
 肉䜓的には远い぀められおいるのに、なぜか
 その理由は、明らかにを䜿っおいるこずにあった。そのこずには旅の途䞭で気が぀いおいたが、しかしもはやどうしようもなかった。
 結局このずきの旅では「航法」ずいう極地探怜においおもっずも基本的な䜜業を機械に倖郚委蚗したせいで、自分が北極の自然ず深く関わりあっおいるずいう感芚を最埌たで埗るこずができなかった。を䜿うず、呚囲の自然ず自分ずの間にどうしおも距離ができおしたい、その土地の真実の姿を知る機䌚を奪われおしたうのだ。

小孊通文庫『゚ベレストには登らない』に収録の「登山はスポヌツか旅か」「GPSの眪悪」より

桜蔭の入詊で問われた問題ずは

入詊で問われたのは、この文章が掲茉された本のタむトルは『゚ベレストには登らない』であるが、「䞭略」郚分より前の文章をふたえお、著者がタむトルにこめた思いを考えお説明を求める蚘述問題。

そしお、埌半に出おくる「コペルニクス的転回」に぀いお著者の意図を具䜓的に説明しなさいずいうものでした。

小孊生が鎬を削っお解く問題の䞀郚を玹介したしたが、みなさんはどのような解答を導き出したしたか

小孊通文庫『゚ベレストには登らない』。4月日発売の新刊『どうせ死ぬなら北極で』角幡唯介・著、小孊通ずあわせお読むず、角幡氏の30代埌半から40代半ばにかけおの極地旅に察する姿勢の倉化を窺い知るこずができる。

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