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中山道を完歩するために欠かせない宿

中山道随一の難所と言われる和田峠。
ふもとの「民宿みや」に投宿して、いよいよ峠越えの朝、窓外は雪でうっすらと白い。
「明け方、少し雪が降りました」
食堂で皿を並べながら主人は言う。
「子どもたちも雪で喜んでいます」
「こちらの子どもでも雪はうれしいんですか」
「初雪はうれしいみたいですね。大人は雪かきで嫌がる人もいますけど」

宿のご主人に峠越えの注意点を教わる

「民宿みや」は、中山道を完歩するのになくてはならない宿のひとつ。
江戸時代は峠越えを控えた大事な宿場で、たいそう旅籠も多かったが、現在、歩き旅で利用できる立地にはここしかない。この民宿が営業し続けてくれるおかげで、中山道歩きは完遂できるといってもいい。
気さくな夫婦が経営しており、とくに主人は山小屋の親父のように、峠越えの注意点を事細かに教えてくれる。
「峠道の敷石は川石なんです。中央が少し盛り上がっていて滑りやすので気をつけてください。もし頂上で雪が積もっていたら、無理せずに戻ってきてください。先日もうちのお客さんから峠で歩けなくなったってSOSが入ったんで、クルマで助けに行きました。
電話してくる人は自分がどこにいるのかわからなくても、こちらはだいたいの場所はわかりますから。どうしようもなくなっても、歩道の上に車道が走っていますから、そこまで出れば大丈夫です。落ち着いて行動してください」

いよいよ中山道随一の難所、和田峠へ

「民宿みや」をあとにして、いよいよ中山道随一の難所へ。
車道もうっすら白く、ゆるい登り坂になっている。
左手の谷には雲海のように霧がたまって、浮かぶ山の稜線は産毛の生えた像の背中みたい。
ゴミ出しに道に出てきたおばさんが「おはようございます」と、挨拶をくれる。
「おはようございます」 私も自然と挨拶を返す。
つくづく日本は挨拶の国だと思う。これまでもずいぶん挨拶や礼を交わしながらここまで歩いて来た。
これで思い出すのは、武州(埼玉)と上州(群馬)の境にある神無川(かんながわ)にかかる橋だ。
この橋は国道17号線だからクルマの往来が激しい。歩道は橋の片側だけについていて、これが人間ひとりしか通れない狭さだった。向こうから自転車がくると、そのたびに私は欄干に身をもたせ、自転車をやり過ごした。
最初のおじさんが通りがかりに小さい声で「ありがとう」と言った。
次はおばさんのふたり連れ、大きい声でお礼を言われた。
次々と自転車がやってくる。渡り終わるまで、年配者から中学生まで15人ほどに道を譲っただろうか。
その全員が礼を口にしていた。
歩行者が避けるほうが効率的で特別なことではないと思うのだが、ひとりの例外もなかったことに感慨を催した。
ゴミ出しのおばさんと挨拶を交わしたあと、雪の風景ともあいまって、私は清々しい気持ちで坂道を登っていた。
高度を上げるたびに道の白さが増していく。
山の背後が、朝日で金色に輝いている。
旅人は地元の人とすれ違うときどうするべきか?

前方に、ドテラに長靴のおじさんが雪を掻いていた。
「おはようございます」私は軽く頭を下げながら挨拶をした。
おじさんはぎょっとして一瞬、こちらを見たものの、無言でまた視線を道に戻し雪掻きを続けた。
それまでの気分が一気に下がる瞬間。
思えば早朝の雪かき中に、見知らぬ人から挨拶されても迷惑以外の何物でもないのだろう。
この一件から私は旅人が地元の人とすれ違うときどうするべきか考えた。
快適に歩くために挨拶マイルールを決めた
じつは今までも、挨拶すべきかどうか悩む場面があったのだ。
そして無用に悩むことがないようにマイルールを作った。
・地元の人を見かけたら、向こうが見ていようがいまいが、黙礼は必ずする。 (案外、視界の端でこちらを窺っているものだ)
・黙礼を返されたり、声をかけられたのを確認したら、初めて声を出して挨拶をする。
ルールさえ決めてしまえば、あとはそれに従うだけ。このルールは思いの外、この後の歩きのストレスを軽減してくれた。地元民を無用に驚かせることも、後悔することもなくなった。

