筆者は以前5年間にわたり『Spice Journal』というバイリンガル・スパイス専門誌を刊行してきた。コンテンツ「スパイス宇宙の旅」では近畿大学薬学部と共にスパイスの謎に迫り、「ヨーガは心のスパイスです」ではアーユルヴェーダ(インドで4000年以上続く伝統医療)に精通したヨーガ療法士とヨーガを実践。ほか、管理栄養士や日中ハーフの薬剤師などと共に、数々のスパイス健康術を探ってきた。
企画の源となったのが、昔から付き合いのあるインドやその周辺諸国の友人知人たちの「習慣や言い伝え」である。彼らの多くが、「グッド・フォー・ヘルス」を合言葉に、日々当たり前のように健康的な意識をもってスパイスに触れていたことだ。
もちろん、インド人といってもスパイス健康術を知らない者も大勢いる。ただ、筆者の周りには専門家が多い。アーユルヴェーダの医師。薬剤師。代々アーユルヴェーダを家訓とする一般人。アーユルヴェーダを企業哲学とするインドのホテルの元料理人。日本でスパイスの輸入商を営む者などなど。
そんな本物たちとの出会いにより、最初は怪しいと思っていた彼らの習慣や言い伝えが、徐々に自分にとっても身近なものとなっていったわけである。
そんな怪しいようで実はすごいスパイスで、風邪にいいものはないだろうかとみんなに聞いてみた。するとまず第一声が「アーユルヴェーダはあくまで予防医学にとどまる」との前置きだった。
「このスパイスが癌に効いた。実際に治った」などというステレオタイプな話を間々見受けるが、実際にはあくまで「予防」の域であるということだ。
ただ、彼らはこうとも付け加える。「スパイスは普段から取り入れていれば病気になりにくい身体を作る。個々の本来の体調を取り戻すし、そして元気になる」。いわゆる自然治癒力の調律とでもいうべきか。
昨夏、筆者はネパールに住むチベット医学の医師を取材した。アーユルヴェーダや中国医学と並ぶ、スパイスも用いた医療で、チベットもまた脈診、舌診はもちろん、魂にまで耳を傾けるというほど、個人の体調に応じて診療していくというものだった。
ここではもう少し大まかな家庭のスパイス健康術として話を進めていきたい。
まずは南インド・タミルナドゥ州在住の、代々アーユルヴェーダを家訓とするM氏夫妻におすすめの健康法を聞いてみた。
「基本はまず毎朝オユを飲むこと。次にターメリック、クミン、ガーリック、ジンジャーを毎日料理に使うこと。あと、もし風邪かな、咳が出る、という時にはカロンジとレモンまたはライムがいい」
オユとは白湯のことで、これを実践しているインド人は少なくとも筆者の周りには数多い。レモンについては、インドやその周辺諸国では普段から多用する。ビタミンCやクエン酸は有名だが、アーユルヴェーダ的には腸の活性を促しデトックス効果が期待できるという。
ヨーガ療法士からは「シャル爺(インド国立のアーユルヴェーダ大学の学長や大学院学長などを務めてきた世界的権威)が言うには、スターアニスも風邪にいいらしい」との情報も。
さらにニュースでは「南インドでターメリックとニームを溶かした水を住宅街にまいて消毒した」という話も飛んできた。
ガーリック、ジンジャーについては日本でもなじみが深いことから今回は割愛するとして、ここにでてきたそれ以外のスパイス5種について紹介していこう。
1.ターメリック
期待される役割は、抗菌、健胃、止血、化膿止めなどがある。実際、筆者がかつて経営していたインド料理店でも、ダル(小さな豆の煮込み)に入れるのと入れないのとでは圧倒的に持ちが違った。特に梅雨時などは、入れないと夕方に腐敗することがしばしば。だが、入れて煮たものは夜になっても腐らない。またガラスの破片などによる切り傷や、火傷を負った時などにも効果は覿面であった。本当に何度もお世話になっている。
インドでは他にもたくさんの使い方がある。西インドに住む主婦は、蜂蜜と共になめて血液浄化に。南インドの老婆はバターと練り合わせて腫物やデキモノ対策に。ネパールの20代の女性は美肌剤として。結婚式の際に全身に塗るといった風習が広い地域でみられる。これは心身のみならず魂の清めの意味合いもあるようだが。
「スパイス宇宙の旅」でも近畿大学薬学部と共に深く追求した。料理を通して仮定を立て、幾通りも分析した結果、次のことが分かった。
ターメリックの黄色成分であるクルクミンは水に溶けにくい。単体では体内吸収されず殆どは排泄されて流れ出てしまう。だが鉄分と結合(実験時は鉄製のフライパンを使用)することで水分(例えば野菜や豆類)と同化しやすくなる。そのことで、腸から吸収されやすい形に変化する。素材の旨みとターメリックの風味を同時に体感しやすくもなる。
岩塩(ヒマラヤ岩塩)も鉄分同様に同化しやすく、水溶性が上がる。ただし、リン、イオウ、アミノ酸も含まれているので限定的ではない。少なくとも岩塩とクルクミンの相性はよい。
ブラックペパーに含まれる化合物ピペリンが共存すると、クルクミンは何倍も働きが向上する(論文をもとに検証)。さらにこれらの変化は、他のスパイスが共存しても起こることもわかった。
論文には興味深いものがたくさんあった。肝機能亢進や抗菌作用の活性化。一応付け加えておくと、決して肝臓の病気を治癒するわけではない。さらに継続的に摂取すると神経伝達物質量に影響を与えて、記憶力や空間認識能にも影響があるという報告も。つまり頭が冴えるというわけか。
料理としては、まず肉や魚の下味(インドやネパールでは防腐、抗菌の意味合いが強い)に必須。カレーはもちろん、野菜や豆の炒め物や煮込み料理の調味料としても多用している。日本でなら大根やキャベツのサワー漬け、ピクルスに。またご飯を炊く際に少量入れるとイエローライスになる。(例=3合の米、通常の水、ターメリック小さじ1/3)
ターメリックは今や100均でも普通に売られている。20g前後入りの容器一本で十分だ。
2.クミン
インド周辺~中東では、腹痛、駆風、下痢止め、そして風邪の時に使う。近畿大学薬学部との共同研究の際、ターメリックと相性がいいことをはじめ、生徒が調べてくれた文献の中に、健胃整腸剤、消化促進、催淫作用の効果があるとか、古代エジプトでは医薬用のみならず、カシア(シナモン)やアニスなどとともにミイラの防腐剤としても使われてきた、という話がでてきた。
これについて同学部の薬学博士が論文を調べたところ、クミンに含まれるクミンアルデヒド、α‐ピネン、β‐ピネン、サビネンなどによる効果であろうとのことだ。
使い方は簡単。お腹が痛い時、張っている時などに、クミンシードをフライパンで乾煎りしてから乳鉢などで潰し、お湯に入れて1日3回飲むだけだ。乳鉢がなければ包丁でみじん切りにすればいい。中には面倒くさいのか、そのまま口に放り込んで少しなめてから水を飲む者もいる。
また、本場ではだいたいのスパイスが単体ではなく、いくつか複数を同時に使うのが常識的であるが、特にクミンはその味と香りの個性が強いため、他のスパイスと複合的に使うことが多い。
料理法は、フライパンに油とクミンシードを入れから火にかけ、小さな泡が出て香りがたってきたらタマネギなど素材を炒める、という流れだ。パウダーはタマネギとトマトを炒めた後、ターメリックなどと共に入れるといい。
クミンシードと塩、胡椒だけでもおいしく料理できる。シンプルにジャガイモだけ、ほうれん草だけ、菜の花だけを炒めてもおいしい。もちろん2種入れるのもいい。
3.カロンジ
このスパイスの薬効については謎が多い。ネットでは、抗菌、抗炎症、糖尿病、発毛、変形性関節症、肝臓および腎臓病、喘息、皿には抗がん作用などと、まるで魔法の薬のような情報が散見されるが、それが本当なら凄い話だ。
北西インド人薬剤師V氏に聞く。
「これはインドの中でも好みが分かれるもので、確かに健康志向の強い人やベジタリアンが使うイメージ。でも、わたしの家は代々ベジタリアンだけど、ピクルスでしか見たことがない。薬になるという話は聞いたことがない」
ヨーガ療法士M氏曰く
「アーユルヴェーダでも使っている。悪玉コレステロールを下げたりダイエットにいい。今ではスーパーフードなんて言われている」
カロンジと言えばここが本場、東インド出身の料理人A氏に聞く。彼は子供の頃からターメリックジュースを飲み、マスタードオイルを全身に塗って川に飛び込んで遊ぶような、ヘルシースパイス生活が当たり前の家で育った男である。
「たぶんインドの中で東インドが一番カロンジを使います。パンチポロンと言って、クミン、フェヌグリーク、フェンネル、マスタード、そしてカロンジを一緒に、料理の最初に油で炒めます。魚、肉、野菜料理、なんでも。でも、グッドフォーヘルスという話は聞いたことがない」
では、勧めてくれた張本人の南インド人M氏の意見。
「うちでは風邪になってもならなくても昔から毎日カロンジティーを飲んでいる。咳が出るときはこれを冷やしておいて1日3回飲めばいい。今度やってみて」
それにしてもカロンジは同じインド人でも人によってかなりの温度差がある。筆者はもう何十年も前に、カロンジを使った料理を何人かのインド人に教えてもらい、以来店やイベントでたまに作っていた。いつもお客から「この黒い粒なに?」と聞かれたものである。
4.スターアニス
日本でも八角という名でおなじみのスパイス。風味が個性的で、まさにアニスを荒々しくしたような甘くスーッとする香りだ。
ネットや本に、1人分の飲み物にスターアニス2個などと書いてあったりするが、少なくとも筆者はカレーでも一人前1/2個で十分。チャイ(インドのミルクティ)なら1/4個も要らない。それくらい個性の強い風味なのだ。
その個性の強さを生かして、中華では豚や鴨、たまに魚介料理に使う。煮込み料理に使うと匂い消しにもなるので、他の鳥獣の料理にも使っていると思われる。パウダーとしても五香粉に使われており、甘い香りが存在感を出している。
インド料理でもよく見かける。カレーの香り剤であるガラムマサラには欠かせない。
先述の東インドの料理人A氏の得意料理のひとつにビリヤニがあり、彼は必ずスターアニスを使う。その際、他にもビッグカルダモン、胡椒、メース(ナツメグの表皮)、シナモンも必ず入れる。すべてガラム系スパイスであることが特長だ。
ガラムとは日本で辛いと訳されることが多いが、周囲のインド人たちによると「暑い・熱い」のが正しいという。スパイスには大別して、冷たく感じるものと、温かく感じるものがあり、体調や気候、料理の内容に応じて使い分けることがある。つまりA氏は温まるスパイス使いのビリヤニを作っているわけだ。
筆者もしばしばスターアニスを使うが、はっきりと言えるのは身体が芯からぽかぽかと温かくなるということ。漢方の辞書を見ると、健胃、鎮痛、駆風、そして身体を温める作用があるとされる。
ヨーガ療法士M氏も勧める。
「スターアニスはシキニ酸という成分がインフルエンザの治療薬タミフルの合成原料のひとつになっていると一時注目された。もちろんこれが直接効くわけじゃないけど、身体が温まって新陳代謝はあがる」
5.ニーム
南インドのR家におじゃました際、トゥルシーというハーブとこのニームの葉の束が神棚にお供えされていた。尋ねると「トゥルシーと並んでこれは最も神聖なハーブ。料理には使わないけど、何かあったときには少しだけ口に入れたり、ティーにしたり、外用薬にすることもある」という。
ニームについてはインド人の多くが、「グッド・フォー・ヘルス」という。
東インドの料理人A氏曰く
「水でボイルしたものを肌に塗ると痒いのが治る。風邪の時はティーにして飲む」
ヨーガ療法士M氏は
「一時期日本でもガーデニングとして流行った。防虫効果があるとかで。でも大きくなりすぎるので扱いが難しい。アーユルヴェーダでは血液の浄化や皮膚病を癒すものとしている」
薬剤師でもあるスパイス輸入商社社長S氏は
「インドでは非常にポピュラーなハーブ。歯磨き粉やせっけんなどの商品も多い。虫歯や歯周病の予防になるし、スキンケアにも役立つ。インド人はみんなそう思っている」
おなじく薬剤師の北西インド人V氏は
「これさえあれば怖いものはない、というハーブ。ヒンドゥ教の祭りにもよく使われるとても神聖なもの。ガンジーも大切にしていたという伝説がある。インドのどこにでもあって、神に供えたり、体調が悪い時にちぎって食べたりする者もいる」
インドで何度か、ニームの枝を歯ブラシとして道端で売られているのを見たことがある。抗菌作用、抗炎症作用があるという。ニームさえあれば医者いらず、というくらい有名で大切なハーブだ。