中山道の白眉はというと、一般には34番目の「奈良井」、42番目の「妻籠」、43番目の「馬籠」の三つの宿場とされています。しかし、宮川画伯が全踏破して振り返って感じたのは、三つの宿場町をひとまとめにして語れないということ。観光と地元産業が健全に機能している宿場と、観光に重きを置き過ぎてしまった宿場とがあることを知ったそう。まずは奈良井宿に足を踏み入れたときの記録を。時季は春まだ浅い3月初旬、山々の頂が白く化粧されていたころでした。
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明治時代版ディズニーランド

宿場に足を踏み入れて驚いた。
カメラでどこを切り取っても、「絵」になってしまうのだ。
明治時代の着色された絵葉書になってしまう。こんなに「絵になる風景」に感心したのは、半世紀も昔、初めてディズニーランドに足を踏み入れたとき以来。いわゆる「映える」宿場なのだ。
絵を描く身としては、絵になる風景は絵になりづらい。だって写真には負けるから。

立ち並んだ。
街道の両側には「出梁(だしばり)造り」の古民家が並んでいる。
出梁とは一階の屋根を街道側に出して、その上に二階を作る構造で、見た目には二階部分が一階よりも道にせり出しているように見える。せり出した部分はミニ・べランダになっている。ベランダの左右には「袖壁(そでかべ)」という仕切りがついているので、一見、どの家も頬かぶりしているようでかわいらしい。
旅館、雑貨、骨董、ギャラリー、漆器、甘味処にそばうどんなどなど、商店がずらりと並んでいる。
どこにレンズを向けてもファインダーの中は作り物の世界のようだ。
黒い建物ばかりのせいで、カメラの ISO 感度が狂ってしまった。ざらついた風景を、人の服装だけが浮き上がって、ますます絵葉書のようだ。現実的なのは冬枯れの山だけ。
とりあえず宿場のはずれまで行ってみる。 途中に「桝掛け」という道をクランク状に曲げたところがある。これは宿場が外部からの侵入に対して防護するために設けられた道の構造だ。この宿場は最後まで気を抜いていないなあ、と感心する。どこまでも作り込んで、着色絵葉書のような顔をしている。時間は 16 時過ぎ。ここは木曽路の山中。だいぶ冷え込んできた。「いかりや町田民宿」に向かう。
夜ごはん問題勃発!

「冷えましたでしょう」
玄関でご主人がスリッパを出してくれる。
廊下に目をやると、長い。廊下が長すぎる。
1メートルほどの幅で延々と続いて、ついに裏の道に抜けてしまう。狭い廊下を挟んで、部屋が延々と続いている、いわゆる「うなぎの寝床」なのだ。
ご主人が廊下を歩きながら、ここが朝食の会場です、と示しながら、
「ところで、お夕食は?」と尋ねてきた。
「えっ」
「ご朝食のみのプランでしたけど」
あわててスマホで予約内容を確かめた。たしかに一泊朝食付きプランになっている。どうやら予約時に確かめなかったようだ。
「それでは料金を支払いますので、夕食をお願いできますか」と訊くと、ご主人は
「いやもう……」と困り顔。それでも「どこかお店に頼んでみます」と言ってくれた。
部屋は二間続きで、敷かれた布団のマットは30 センチもある豪勢な厚さだった。大名になったみたい。
やがてご主人が入ってきて、近所のうどん屋に頼んでおきましたから」と言った。
「もう土曜日で人が来ないので閉めようとしていたんですけど、頼んでおきました」
「ありがとうございます。でもそれではゆっくり飲んだらいけませんね」
「いえいえ、そんなことありません。1時間でも2時間でも大丈夫です」
そんな会話をしてからその店に行く。
外はさらに冷え込んで、粉雪が降ってきた。
「すみません、お休みのところ」
おばさんが「いいえ。もう、うどんの材料がなくなってしまったんで、閉めようかって言っていたところでした。いいんですよ。いかりやさんにはいつもお世話になってまして」と愛想がいい。
座敷にテーブルが据えられた部屋に案内された。老人がひとり座っている隣に着く。軽く挨拶をする。ご近所さんが夕飯に来たのだそうだ。
ビール大瓶、鍋焼きうどん、つまみにもう一品を頼んだ。追加で日本酒一杯。
「近所で主人が摘んできたものです」とふきのとうの天ぷらをサービスで出してくれた。野生の山菜は苦味が強くてうまい。
手の空いたおばさんと、今日通ってきた平沢集落の話をした。
平沢は奈良井宿の手前になる集落で、宿場でもないが、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたている。こちらも出梁造りの黒い木造建物が軒を連ねているのだ。平沢に辿り着くまでのありふれた風景に比べて、なんと美しいことかと、夢中で写真を撮りまくった。

しかしよく見ると、木曽漆器の店ばかりで、喫茶店と鮮魚店が1軒ずつあるだけだった。そのせいか観光客の姿は見えなかった。同じ業種ばかりなので、漆器を求めに来た人以外には用事のない町なのかもしれない。
「でも奈良井の隣でなければ、あの景観は有名になっていたでしょうね」とおばさんに言ってみたら、あそこは伝統的建造物といっても、それほど古くない。漆器産業が盛んで建て替えられた建物も多いですよ、とのことだ。
「こっちは本当に貧乏だったから、そのままで残ったんです」と自嘲気味に自慢していた。
宿のご主人に心配される

翌朝、会計をして靴を履いているとき、主人が少し言いにくそうに尋ねてきた。
「昨日はうどん屋さんでゆっくり食べられましたか」
「はい、おかげさまで」
歩きながら、どうしてご主人は今朝そんなことを訊いてきたのだろうと不思議に思った。そして、ああ、と納得した。
なぜか私は旅先では食欲が異常に亢進するのだ。その日の朝食もおひつをもちろん空にした。それでご主人は、昨晩うどん屋で十分に食べられなかったのではないかと心配してくれたのだろう。
奈良井宿を出発。いざ、鳥居峠越え!
宿場はきんと冷え込んでいる。
早くも歩いている人がいる。
前方の山を見て、美しさに息を飲んだ。麓は赤褐色なのに、上に行くに従って青白く見える。黒っぽい宿場とコントラストが美しい。今日はあの山を越えるのだろうか。

奈良井宿を出ると、「鳥居峠」という案内に従って、山道に入る。鳥居峠を過ぎると、35番目の薮原宿に行く。
木曽路はすべて山の中にある、藤村は書いているけど、たしかに隣の集落に行くのに峠を越さなくてはならない箇所がある。今でこそ自動車道が完備されているが、旧街道を丁寧に辿ると、低山ハイキングになるのだ。
何でもない冬枯れの山道を、落ち葉を踏みつつ登っていく。渓流の音が聞こえ、木の間越しに白く化粧された山を望む。奈良井の集落も見下ろせる。展望台と名付けられた箇所あるが、それほど展望に優れているとは思えない。しかし小屋があったので、椅子にカメラを乗せて、タイマーで記念撮影。これは和田峠でも行った。あまりいい背景ではないが、ポーズをとってみる。背後の木の位置が気になり、何回か撮り直し。


一本の樹でも上と下で季節が違うと言える。
高度を上げるに従って、白く化粧された山の頂が近づいてくる。
ふと見上げたら、白いのは山の頂ではなく、すぐ近くの斜面に立っている樹木の梢だった。
まだ紅葉が残る樹木の、梢のほうはまるで白い花が咲いたようになっているのだ。
青空を背景にある白い枝が珊瑚のように広がっているのだ。
霧氷だ。
空中の水分が夜に氷として枝先に付着するのだが、昼間になると、根元から氷は消えていくので、梢しか氷は残っていない。さらに高度を上げると、氷の着いた枝がすぐ頭の上にまでくる。 葉先には無数の針状の氷が葉や枝に生えている。触るとさらさらと氷の針が落ちてくる。粒ではなく、細長い。

足元にも 雪が積もり始めた。山小屋があり、ピークが近いことがわかる。
ピークを過ぎ、しばらく行くと、御嶽神社。 ここは高台になっている。鳥居を潜ると、石像群がある。
この石像群は他では見られないほど、細工が丁寧な感じがする。中央の半跏像は感情が読み取れそうなほどのリアルさだ。

この石像群の向こうに山波がたゆたい、その上にひときわ清らかに白い山が見える。御嶽山だ。江戸からのコースだと、ここで初めて木曽御岳を拝むことができるようだ。ああ、なんと美しいのであろうか。霊山とされていたのもわかる。
山道を降りると、自動車修理工場らしき建物がある。ラッカーの臭いがきつい。つなぎをした青年が「こんにちは」と挨拶をしてくれる。
さらに行くと、軽自動車がゆっくり近づいて停まり、運転席の窓を下ろした。
派手なスキー用のサングラスをかけたおじさんが「もう峠は越えられますか?」と訊く。
「越えられます」と答えると「うちのかあちゃんが行ったもので」という。
そういえば降りる途中で、中年の女性が佇んでいた。




