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【ホーボージュンのサスライギアエッセイ・旅する道具学】第19回「旅するフーディ」
フーディ「TETON BROS. / OCTA Fleece Hoody」
ヒューストン国際空港、ターミナルE。大きなガラス窓の向こうに、ユナイテッド航空のボーイング787が駐機している。さっきまで薄暮のなかに沈んでいたその巨体に、ゆっくりとオレンジ色の陽が差し込んできた。暁光。長い夜の底を裂くように現われる、あの短い時間の光だ。空の端から滲み出した橙が、機体の腹を染め、滑走路の闇をやわらかく溶かしていく。僕はあくびを嚙み殺しながら、その変化をぼんやりと見つめていた。
昨日の未明に自宅を出てからすでに20時間、太平洋を越えてやっとここまでやってきた。これから6時間のトランジットをやり過ごし、アルゼンチンのブエノスアイレスへと飛ぶ。そこからさらに南米大陸を縦断してパタゴニアへ……。日本はまだ夏だが、地球の裏側は冬。太陽を追い越し、同時に季節までも追い越して冬へと向かう最中だ。
頭のなかでは谷川俊太郎の詩が途切れ途切れに巡っている。
「カムチャツカの若者が……」というあの一節だ。でも眠気と時差で思考が霞み、もはや夕陽を見送っているのか朝を迎えようとしているのかよくわからない。それでも地球は回っている。そして回ってはいるけれど、コーヒーショップはまだ開かない。まあいいや。とりあえずここのベンチで少し眠ろう。
パスポートとスマホをフーディのポケットに入れ、ジッパーを閉じる。ノイズキャンセリングのヘッドホンの上から分厚いフードを被ると、空港のざわめきが遠のいた。待合室のベンチに体を預ける。柔らかなフーディの生地が頰に触れ、そのまま意識が沈んでいく。
*
長いフライト。深夜の長距離バス。ブルースと孤独を連れて走るロングドライブ。そんな旅の時間をともにしているのが、ティートンブロスのフーディだ。
30年以上、僕は旅着にはフード付きの服を選んできた。ゆったりと寛いで過ごせ、フードを被れば簡単なシェルターになる。だから2000年代初頭にスウェーデンのフーディニから「パワーフーディ」が登場したときはまっさきに飛びついた。4方向に伸びるストレッチフリースの快適さとシンプルで潔いデザイン。あれは間違いなく歴史的傑作だった。何度か買い換え、20年近く愛用した。だが今、僕が袖を通しているのはオクタフリースを使ったティートンブロスのモデルである。
オクタは帝人フロンティアが開発した中空構造のポリエステル繊維で、一本の繊維が8方向にヒダを持つ。内部が空洞だから軽く、繊維のあいだに空気を抱え込んで暖かい。それでいて通気性が高く、蒸れにくい。まるで暖かい空気そのものを身に纏っているような感覚がある。
またストレッチ性がとても高く、どんな動きも邪魔しない。だからクライミングやトレランなどのアクティブインサレーションとして高く評価されているのだ。でもじつはこの軽さと調整力は普段着や旅着にこそ向いていると僕は思う。
たとえば長距離フライトでは機内の温度が極端に上下する。搭乗直後は蒸し暑く、上空では急に冷える。オクタフリースはその振れ幅を穏やかに均してくれる。衣服の内側に小さな気候帯をつくり「暑すぎず、寒くもない」という絶妙な状態をキープしてくれるのだ。
ティートンブロスは世界でいち早くオクタ素材の可能性に着目し、アウトドアに応用したブランドである。現在も両社は協働しながら新タイプのオクタ開発を進めている。こうして技術革新を追いつつも、こういう日常に溶け込むウェアにフィードバックしているのが素晴らしい。
’24年に登場したこのフーディはすぐに人気となり、脱ぎ着がしやすいフルジップモデルやテクニカルな立体裁断モデルも登場した。でも僕はシンプルなコイツが好きだ。ゆったりとしたシルエットとくたっとした生地。旅先の安宿でも、空港のカウチでも、そのまま寝巻きになる。
実際、僕は色違いで2着持っていて、ひとつは完全に寝巻きとして使っている。生地を二重にした分厚いフードは首や顔への当たりが柔らかい。被ると、ほんの数十秒で眠りに落ちる。ライナスの毛布のような存在、といえば伝わるだろうか。
細部も抜かりがない。袖口にはサムホールがあって凍える朝には手の甲まで温めてくれる。また左右のポケットは仕様が異なり、右側にはジッパーとスマホをホールドするインナーポケットが備わる。カジュアルなフーディは便利だが、物を落としやすい。その弱点を理解したつくりだ。旅先でごろ寝しても、スマホやキーはしっかりそこにある。安心感というのは、スペックでは表わせない大きな性能なのだ。
*
どれくらい眠っていたのだろう。フードの縁を持ち上げると、朝のまばゆい光が差し込んできた。ロビーは到着便の乗客で賑わい、ざわめきに満ちている。
深呼吸をすると、コーヒーの香りに混ざってパンケーキとメープルシロップの甘いにおいが漂ってきた。どうやらコーヒーショップが営業を始めたらしい。
僕はフードを脱ぎ、大きく伸びをする。体は思いのほか軽い。長い移動の途中だが、どこか整っている気がする。
旅はまだ続く。パタゴニアの雪原は、はるか南で待っている。
さあ、まずは腹ごしらえだ。





ホーボージュン
大海原から6000m峰まで世界中の大自然を旅する全天候型アウトドアライター。X(旧Twitter)アカウントは@hobojun。
※撮影/中村文隆
(BE-PAL 2026年4月号より)




