春の皿には苦味を盛れ
「春の皿には苦味を盛れ」という言葉がある。冬の間に縮こまった体を春に顔を出した山菜の苦味が開くのだという。山菜の採集の本などでこの言葉を目にする度に、子どもの私は思った。苦味が体を開くって何さ???
本によっては「冬眠明けの動物たちは苦い山菜を食べて老廃物を出し、体を起こす」なんて書いてある。しかしそのすぐ前の章では「冬眠前のクマはアクの強い植物を食べて尻に栓をする」なんて話があったりもする。アクはいったい、体を閉じるんですか開くんですかどうなんですか!
大人になってずいぶん経ち、今の私は知っている。山菜を食べる大人たちも本心では「山菜って、ちょっと食べにくいな」と思っている。苦味やエグ味などの食べにくさを、よくわからない効能で帳消しにして「良いもの」として体に取り込んでいる。餃子やハンバーグのような、どの文化の誰が食べても美味いものについて効能をうたう人はいない。山菜を食べるときには、自分への言い聞かせが必要なのだ。
山菜よりは野菜のほうが食べやすいし、餃子やハンバーグは本当に美味しいな! と私も思っているが、不思議なもので春になれば山菜の様子が気になり出す。近所でも出会える山菜として、シーズンの最初にきまって集めるのがふきのとうだ。
見逃すな、ふきのとう
関東の低地のふきのとうが顔を出すのは2月下旬。雑木林や河畔林の林床で鮮やかな緑の蕾を出すからよく目につく。これが田舎であれば採る人もいないけれど、関東の低地は競争相手が多い。もう一日、と思って見送ると翌日には消えてなくなっていることもしばしばだ。

誰とは知れないライバルとの争奪戦に疲れた私は、ある年フキを庭に植えた。栄養の少ない半日陰だが、もともとそんな場所を好む植物なのでよく茂った。毎年、少しずつ拡がっている。そんな話を近所の人にしたら、庭に生えるふきのとうを分けてくれるようになった。

藤原家はにわかにふきのとう長者になった。しかし天ぷらも一度、二度は楽しめるが、シーズン中に何度も食べたいかと問われると難しい。ふきのとうの苦味や香気を楽しめて、入手した量が多くても少なくてもつくりやすく、何度食べても美味しくて、ある程度保存期間できる料理……。結局、ほとんどを定番のふきのとう味噌にしている。
お好きにどうぞ、のふきのとう味噌
ふきのとう味噌はいい。どうつくっても美味しい。使う調味料は味噌、味醂、砂糖、油。それぞれの配合比は適当でOK。甘めの味付けが好きな人は砂糖を増やせばいいし、苦味が苦手なら油を多くすればいい(油は苦味をマスキングしてくれる)。我が家もつくる度に味が違う。そもそも使う味噌によって味わいも塩の濃さも違うから、これといった配合の比率を決められないのだ。
……なんていうと、はじめてつくる人には参考にならないから、基本のつくり方を記す。まずはふきのとうの重さを計り、それと同重量の味噌を用意する。味噌を計りとったら、それに味醂を少し加えて練ってペースト状にする。味醂は味噌をゆるくしてふきのとうと混ぜ合わせやすくするためのもの。無ければ酒でもいい。ゆるめた味噌は、味見をしながら砂糖を加えて好みの甘さに調整する。
味噌だれができたらふきのとうをさっと茹でてぎゅっと絞り、細かく刻む。エグ味が苦手な人は少し長めに茹でてもいい。続けてフライパンに油を多めに敷き、刻んだふきのとうと味噌だれを入れて水気が飛ぶまで弱火で練る。フキのフレッシュな香気がほしければさっと混ぜる程度でいいし、まろやかにしたければ長く加熱するか油を多めにするといい。使う油はサラダ油や太白胡麻油のようなプレーンなものだとフキの香りが生きるが、オリーブ油や胡麻油でつくってもそれはそれで美味しい。まったく油を使わず、茹で時間も短くしてつくったっていい。エグ味も強いがフキの香りも強くなる。ふきのとう味噌は、自由なのだ。




あとは白ごはんにゆだねる
ふきのとう味噌が自由なのは、白ごはんと一緒に食べるからだ。味が濃いものは少量のせればいいし、薄ければ多めにのせればいい。最後はごはんがなんとかしてくれる。熱いごはんの上にのせるとフキの香りが立ち上がり、甘い味噌はめしを呼ぶ。糖質は控えめに……なんて思っていてもつい一杯、二杯とおかわりをしてしまう。世にはたくさんのめし泥棒があるが、ふきのとう味噌は怪盗の部類だ。


野菜と比べて旬が短く味も強い山菜は、その風味と口にしたときの印象が強く結びつく。旅先で食べた料理や共に採集した友人の顔、歩いた山の寒さ、食べながら話したこと……。数十回積み重ねた季節を一緒に味わうから、山菜は大人たちにとって特別なものになるのだろう。
「ふきのとうは何も蕾でなくてもいいんですよ。薹(とう)が立ったものでも蕾と変わらず食べられます……」
そう教えてくれたのは羆猟師の故・久保俊治さんだった。焚き火を使って調理されたそれは確かに蕾と変わらなかった。暮れかかる知床の山の深さと冷たさ、ちろちろと燃える熾はふきのとうの味と私のなかで一体になっている。
そんなことを思い出していたら、できあがったふきのとう味噌を息子がご飯にのせて食べていた。聞けばほどよい苦味で美味いという。彼は味の強い山菜を苦手としていたが、体が青年のものになって少年時代は受け付けなかったものを飲み込めるようになったらしい。息子にもいつか、この春を思い出しながらふきのとう味噌を練る日が来るだろうか。








