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    2018.12.21

    あと2年で職人がいなくなる? 「木桶×地域再生」 秋田・新政酒造の一手

    売り上げが低迷する日本酒の中で、堅調な伸びを見せているカテゴリーが純米酒だ。そんな純米酒人気をリードする秋田県の蔵元が、「自然」をキーワードにした壮大な未来構想を練っている。

    木樽

    日本酒業界の革命児が取り組むのは昔の生酛(きもと)造り

    秋田市にある政(あらまさ)酒造は、嘉永5年(1852)創業。それほど大きな蔵元ではないが、日本酒の歴史に名を残す有名な醸造元だ。

    酒は今も重要な財源で、国は明治時代から消費拡大につながる技術の向上に力を入れてきた。鑑評会に入賞する常連蔵から採集した優れた酵母を培養し、外郭団体の日本醸造協会を通じて全国の酒蔵に頒布する活動もそのひとつ。

    新政はその協会酵母を輩出した蔵だ。昭和10年(1935)、6番目に登録されたことから6号酵母と呼ばれる菌株は、5代目・佐藤卯兵衛(卯三郎)が蔵付きの野生酵母の中から見いだした。

    6号酵母の大きな特徴は、10度C以下の低温でも強い発酵力を発揮することだ。6号酵母の普及以降、雪深い北日本でも品質のよい酒を安定して造れるようになり、それまで西高東低だった日本酒の勢力図が塗り替わったといわれる。

    新政は、現在も日本酒業界のエポックメーカーとして注目されている。キーマンは2007年に家業を継いだ8代目の佐藤祐輔さん(43歳)だ。東京大学文学部卒で、前職はフリーのライター。異色の経歴もさることながら、周囲が一目置くのは、短いキャリアであるにもかかわらず、愛好家の心を鷲づかみにする斬新な味わいの酒を次々に送り出してきたことだ。

    PRF

    新政酒造株式会社社長 佐藤祐輔さん(右) は、東京大学文学部卒業で前職はフリーライターという異色の経歴。蔵人・木桶担当の桑名雄大さんは、入社2年目で木樽作りを任された(左)。

    佐藤さんが社長就任後に行なったのは、量で稼ぐ経営との決別だった。老練の杜氏(とうじ)を中心とする蔵人集団を、仕込みの間だけ招く従来の制度をやめ、年間雇用の若い従業員だけで造る体制に改めた。

    この改革を皮切りに、全量地元秋田県産米の使用、純米酒への転換、大量生産の象徴でもあった速醸酛(もと)の廃止と、それ以前に行なわれていた生酛(きもと)造りへの回帰といった方針を、矢継ぎ早に打ち出した。

    「なぜ純米酒にこだわるのか。よく聞かれるんですが、理屈じゃないんです。僕は純米酒が感覚的に好きなだけ。酒造りを仕事にするなら好みのタイプの酒を造りたい。自分が面白がっていることをお客さんに伝え、新たな共感を得る。つまり自分で市場を育てたい。そういうきっかけだったのです」

    現在の日本酒造りの技術はバイオ化学と一体だ。非常に高い水準にあり、味の組成やその味が生まれるプロセスまでがデータ化されている。そこにアクセスすれば、誰でも味のよい酒を造れる時代に入ったと佐藤さんは語る。

    だが、懸念もある。レベルは高いが横並び。競いあっているつもりでも、ラベルを剥がせばどの蔵の酒も中身は似たり寄ったり。となれば、生き残りの道は価格競争だ。いつか来た道である。

    「単においしい日本酒ならいくらでもある時代です。お酒はもともと嗜好品。お客さんがおいしさとともに求めているものは何か。それは楽しさであったり、ロマンであったり、物語性だと思うのです。蔵を継いでから、嗜好品の意味をずっと考えてきました」

    新政酒造のチャレンジ年表

    2008 年度 杜氏の招聘をやめ社員醸造に転換

    2009 年度 酵母の種類を蔵ゆかりの6号酵母に統一

    2010 年度 原料米の全量を秋田県産に切り替え

    2011 年度 東日本大震災により新規事業中断

    2012 年度 全量を純米酒に転換。速醸酛撤廃

    2013 年度 木桶仕込み開始

    2014 年度 全量を純米生酛に切り替え

    2015 年度 社長体調不良により新規事業中断

    2016 年度 農業生産法人設立、自社田で米作り開始

    2017 年度 自社米仕込み開始。木桶プロジェクト参加

    2018 年度 自社米の無農薬栽培、木桶作りに挑戦

    そして、日本酒を軸に伝統文化を集結、地方に活気を取り戻すための近未来構想は…

    ・自社田(契約栽培)の拡大

    ・自社米を含む原料米の全量無農薬栽培

    ・培養酵母を用いない天然酵母による醸造

    ・自伐型林業の開始と木桶製造技術の確立(木桶工房建設)

    ・無農薬米・木桶・天然酵母仕込みの生酛蔵を建設

    ・人材育成と雇用の創出

    ひいお祖さんの造った酒の味に迫ってみたい

    昔ながらの生酛造りは、作業が煩雑なうえに難しい技法だといわれる。明治後期以降、雑菌の繁殖を防ぐために醸造用乳酸を添加する速醸酛が主流になった。速醸はその名が示すように作業日数も短縮できる技術で、酒造りの安定とコスト削減に大きく貢献した。

    それ以前の生酛造りは、自然に存在する乳酸菌を呼び込み、雑菌が苦手な酸の濃度を少しずつ高めながら酵母へバトンタッチする方法だ。時間がかかるうえ、ときには酒が変敗することもあった。「でも、今は失敗する理由もきちんと説明されています。予防ができるんですよ。経験が浅い僕たちでも生酛に挑戦できるのは、データや分析装置があるおかげですが、いずれは勘だけでこなしていた昔の蔵人に追いつきたい。6号酵母を見いだしたひいお祖さんの酒の味はわかりませんが、迫ってみたい。生酛へのこだわりには、そんな思いもあります」

    6号酵母発祥の蔵。6号酵母は、香りがよく切れ味のある酒を生む吟醸技術の基礎となった酵母でもある。

    生酛造りの酒は味に癖があるといわれることもあるが、それは生酛の特性ではない。技術水準の問題だと、佐藤さんは一蹴する。今後、挑戦する酒蔵が増えていけば、名ばかりの生酛は自然に淘汰されていくだろうとも。

    生酛が前提だった時代、その技術の厚みを想像すれば、相当おいしく、かつ個性あふれる酒がたくさんあったはず。昔の酒造りへの挑戦は、日本酒の未来を考えるうえでも重要な試みだ。新政の酒が飲み手から評価されているのも、今年はどんな味の世界を表現してくれるのかという期待にある。

    これまでの取り組みの帰結点として、佐藤さんが力を入れているのが、木桶の研究と米作りだ。

    「生酛を突き詰めていくと、木桶仕込みにたどり着くんですよ。なぜなら、昔はホーロータンクがありませんでしたから。酒とは杉板を組み合わせ、竹の箍(たが)で締めた木桶で発酵させたものでした」

    ホーローやステンレスのタンクは、仕込みが終わって洗浄した時点で微生物がいなくなり、環境がリセットされる。自然素材の木の桶は、洗っても表面の小さな孔(あな)や部材のすき間に微生物が残り続ける。つまり生命活動が連続する。自然のメカニズムを最大限に活かす生酛造りは、木桶を使ってはじめて完結する技術ともいえる。

    桶が作れれば修理にも対応できる。社内で完結できる体制を目指す。新政にある木桶は現在16本。うち1本は木桶職人復活プロジェクトから購入。将来的にはほぼ全量を木桶仕込みにする。

    ところが、生酛を極めたいという佐藤さんの目標の先には、大きな課題が立ちはだかっていた。仕込みに使う大きな桶を作れる職人がいなくなりそうなのだ。

    「木桶を使おうと決めてから、大阪に一軒だけある醸造用桶の製作所に注文をしていたのです。2013年から導入を始め、毎年増やしてきました。目標は全量木桶仕込み。ところがその製作所が、職人の高齢化を理由に’20年に大桶をやめてしまうというのです。

    秋田県も杉の産地で、今も桶樽を作る職人はいますが、20石(3,600L)もあるような大きな桶は、仕事の内容が違いすぎるという理由で受けてくれません。いずれ修繕も必要な時代が来るので、従業員に桶作りの技術を身につけさせることにしたのです」

    桑名さん

    木桶作りを勉強中の桑名さん。「まだまだ難しいことばかりですが、できない技術でない。頑張って期待に応えます」

    指名を受けたのは入社2年目の桑名雄さん(24歳)。桶会社で1か月見習いとして働き、小豆島で始まった木桶職人復活プロジェクトでも1か月修業するなどして桶作りを学んでいるところだ。プロジェクトで知り合ったベテランたちの手を借りながら、この1、2年のうちに自分たちで仕込み桶を完成させる。その成功体験をモチベーションに、社の内外に桶を作れる人材を増やしていく。最終的に桑名さんに課せられた任務は、このマネジメントだ。

    現在、新政の酒は全量が県産米・6号酵母・生酛。その中の木桶シリーズ。(左から)『山ユ2015』。同社の実験的作品にあたるラインナップで、新桶で醸造した。『秋コス櫻モス2017』は、秋田県初の酒造好適米「改良信交」を使用。『天ヴィリジアン鷲紱2017』。秋田の高級酒米「美郷錦」を40%まで磨いた。厚みのある余韻が特徴だ。

    知っているようで知らない?!日本酒用語集

    純米酒(じゅんまいしゅ) 米と米麹、水だけで作った酒。昔の日本酒はすべて純米だったが、本醸造酒(下記)の登場以降、純米酒と呼ばれるように。’90 年代前後から再評価の機運が高まり、全量を純米酒にする蔵も。

    本醸造酒(ほんじょうぞうしゅ) 米と米麹、水で作った酒に醸造アルコールを添加したもの。もともとは酒を増量する技術だが、味や香りを理想の方向に整えるため用いる場合もあり必ずしも純米酒より格下とはいえない。

    吟醸酒(ぎんじょうしゅ) 精米歩合60%以下、つまり表面を40%以上削った米を低温で長期間発酵させて作った酒。雑味が少なく吟醸香という独特の芳香が出る。精米歩合50%以下のものは大吟醸と呼ぶことができる。

    速醸酛(そくじょうもと) 酒母(発酵の元種)を造る際に醸造用乳酸を加える技法。雑菌繁殖の危険が低減し、乳酸菌を増殖させる伝統技法(下記)よりも醸造期間を短縮できる。

    生酛(きもと) 昔ながらの醸造方法。酒母を造るには雑菌を抑える乳酸の力が欠かせないが、醸造用乳酸を添加するのではなく、自然発生する乳酸菌を育てて乳酸を増やす。

    山廃酛(やまはいもと) 生酛系の醸造法。麹が持つ溶解力を使うことで、蒸米を根気よくすり潰すそれまでの山卸という作業を省略。手間をかけずに生酛並みの酒質を確保した技法。

    地域性とは何かを考えたら米作りをするしかなかった

    「買って済ますことができるならそれでよかったんですが、桶が買えなくなることがはっきりしましたので。農業生産法人を結成して米作りを始めたのも同じ理由です。

    いま酒米の主流は山田錦ですが、僕は山田錦のように全国流通している品種は使いません。自分たちの地域の酒米を使うことで地元とつながりを保ち、それを蔵の個性にしたい。地域性を大事にしながら魅力的な酒を造っていけば、ほかが真似しようにも真似できない。象徴が米なんです」(佐藤さん)

    ところが、高齢化で酒米を作ってくれる農家は年々減っている。そこで、契約栽培を依頼してきた秋田市郊外の鵜養(うやしない)という山村に、昨年から2ヘクタールの自社水田を確保して米作りを始めた。

    米作り担当の古関さん。「日本酒は金賞受賞といったタイトルで評価されがち。価値観が変わるメッセージを田んぼから発信したい」

    農作業を担当するのは、醸造責任者として社長の佐藤さんが設計する味を形にしてきた古関弘(ひろむ)さん(43歳)。役員になったのを機に、米作りの責任者に抜擢された。「正直、酒造りを任されたときより怖いです。僕は農業と無縁のところで育ったので、米作りのことをまったく知りませんでした。去年、地元の人たちの手を借りながら初めて挑戦し、しかも今年は米作り2期目にして無農薬栽培。役割の重みに震えますね」

    佐藤さんの後ろに見えるのは、無農薬米の挑戦を始めた鵜養集落。背後の杉林の材を使った木桶工房と、新たな醸造蔵も建てる予定。

    だが古関さんは、蔵人自らが米を育てるようになれば、日本酒の世界はもっと面白くなるという。今年作付けするのは陸羽132号。農薬と化学肥料が普及する前に秋田県で奨励されていた品種で、無農薬栽培とは相性がよいのではと古関さんは考えている。新政の蔵から6号酵母が見つかった時代の品種で、おそらく当時の新政でも仕込みに使われていた。

    「田んぼに来るようになって確信したことがあります。地元を徹底的に掘り下げれば、オンリーワンな世界一が見つかると。社長は、この鵜養に木桶工房と醸造蔵を作ると宣言しています。そのときは培養酵母すらも添加せず醸造を完成させる、真の意味で自然な、昔の生酛造りになるはずです」

    鵜養は緩やかな山から流れ出る大小2本の川に挟まれた扇状地だ。田んぼの周辺は今も活用されている広葉樹の薪炭林で、奥には杉の植林が広がっている。社長の佐藤さんは、この自然も新たな酒造りの構想に組み入れたいと考える。

    米作りも酒造りも水が命。その母体である自然を守ることも、地方の酒蔵の役目。「やるべきことがたくさんありますね」(佐藤さん)

    あたりは県内でも有数の杉の産出地で、近年の出荷量は戦後最大だという。ところが販売先のほとんどは港湾地区にできたパルプや合板の工場で、単価は安い。コストを抑える方法はひとつだ。大型機械を導入し作業の迅速化を図ること。搬出はどうしても荒っぽくなり、山肌は荒れ崩落や川の濁りを引き起こす。佐藤さんはいう。

    「自分たちで木桶や米を作ることは、地域にあるものの価値を見直す機会にもなると考えるようになりました。日本酒が本来つないできたものを、僕はもう一度、木桶仕込みの生酛で復活させたい」

    新政が目指す循環型社会は、地方における職業選択や生き方の幅を広げ、移住にもつながるだろう。集落持続のしくみができれば、後継ぎがないまま引退する農家も安心して田んぼを預けられるはずだ。

    自ら設定した課題を着実にクリアしてきた佐藤さんだけに、その新しいライフモデルを提示できる日は、すぐ近くかもしれない。

    桶がないなら自分たちで作ろう!小豆島発、木桶職人復活プロジェクト

    大桶職人がいなくなる2020年問題に頭を痛めているのは、新政酒造だけではない。小豆島のヤマロク醤油もその一軒。同社の醤油は全量が木桶仕込み。社長の山本康夫さん(45歳)には、木桶仕込みの調味料は日本の食文化の正統だという思いがある。日本で唯一、大桶を作る大阪の製作所がやめると聞いたとき、山本さんは自ら桶作りに乗り出すことを決意。取引先である製作所へ習いに行き、以後、試行錯誤で取り組んできた。20石以上の巨大な桶を作るには人手もいる。

    そこで『木桶職人復活プロジェクト』という組織を立ち上げ、木桶に未来を賭けたい人たちが技術を学び合うシステムを作った。スタートから5年。技術も上がり年間6本程度を販売できるように。メンバーからは出張製桶を行なう職人ユニット『結い物で繋ぐ会』も誕生。今後は新政のような木桶導入に取り組む醸造元の支援にも回る。

    かつて大桶には、資本力のある酒蔵が発注し、その中古桶を味噌や醤油の蔵が下取りして使うリユース・モデルがあった。つまりこの伝統文化復活のカギを握るのは、木桶の最初の入り口に立つ日本酒愛好家なのである。

     

    ※取材・撮影/鹿熊 勤
    ※この記事はビーパル7月号に掲載された記事「ルーラルで行こう!」を再編しています。地方の話題を深掘りする人気連載、「自然は資源、人は価値。幸せの風は地方から。 田舎賢人!」として装いも新たに絶賛連載中! 

     

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