10.23 中越地震から20年…追悼式典で人の繋がりの大切さを感じた
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    2024.12.13

    10.23 中越地震から20年…追悼式典で人の繋がりの大切さを感じた

    10.23 中越地震から20年…追悼式典で人の繋がりの大切さを感じた
    シンガーソングライター 東田トモヒロさんの不定期エッセイ。今回は、縁あって、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード(M)6.8の大地震、新潟県中越地震の震源地となった川口町(現長岡市川口)で開催されている、メモリアルイベント「10.23 追悼式典〜私たちの灯り〜」にライブ出演、その模様を教えてもらいました。

    20年前、あの日、僕は……

    20041023日、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード(M6.8の大地震、新潟県中越地震から今年で20年。

    このたび縁あって、震源地となった川口町(現長岡市川口)で地元有志により毎年のように開催されてきたメモリアルイベント「10.23 追悼式典〜私たちの灯り〜」のライブ出演のために同町を訪ねましたので、ここに報告します。

     20年前に起きたこの地震により、新潟県を中心に大きな被害が生じました。記録によると46人の方が亡くなり、4,801人の方が負傷し、2,827棟の住居が全壊。避難者は多い時には10万人を超えたそうです。

    振り返れば、九州に住む当時の僕はこのことのために何か出来たでしょうか。ほとんど何もしていないに等しいものだったかもしれません。インターネットも世の中に定着していましたが、果たして積極的にその事について知ろうとしていたでしょうか。自分のことを顧みれば、中越地震を身近なこととして捉えて、自ら進んでアクションを起こすところまでには至っていませんでした。

    東日本大震災や熊本地震を経験した今、中越地震に関して何もしてこなかった自分を恥じる入る気持ちがあります。だからこそ1023日の新潟に行ってみたかったのです。皆さんがどのような思いでその日を迎えていらっしゃるのかを、肌で感じてみたかったのかもしれません。

    道の駅

    道の駅のフラッグを見つめる東田トモヒロ。道の駅の皆さんは式典ではあぐり汁という汁を提供していました。

    さまざまな人の思いが集うセレモニー

    今年の10月23日はあいにくの天気でした。小雨がしとしとと降る中、会場となっている川口運動公園の屋内球技場には町内外からたくさんの人たちが、地震発生時刻の17時56分に捧げられる黙祷の時間に合わせるようにして集まってきます。

    年老いた方もいれば、中には小さな子どもを抱きかかえてこられる若い母親の姿もあります。老若男女問わず、幅広い年齢の人たちが一同に集まる場の空気は、なぜか独特の安心感のようなものが生まれます。

    キャンドル

    セレモニーでは地震発生時刻に合わせて、キャンドルの灯火の中、黙祷が捧げられる。

    20年の時を経ていますので、物悲しい追悼の式典というよりむしろ暖かで和やかな印象を受けました。遠く離れた都市部から、毎年この日に合わせて帰郷する方もおられるようで、再会を喜び合う声も時として聴こえてきます。

    僕の友人で新潟にゆかりのある東京在住の人も、ほとんど欠かさずこのイベントにはスタッフとして参加していると言います。今ではこうして人々の心の繋がりを確かめ合う場にもなっているようです。

    震災があったからこそ生まれた絆、人々の繋がり。セレモニーはそれを形として表現する象徴的な空間なのかもしれません。10月も後半ともなると、新潟の山間部は例年ぐっと冷え込むらしいのですが、今年は雨こそ降っていましたがストーブもいらないくらい暖かいようです。

    町中にはためく黄色いフラッグ

    会場には当時の様子が分かる写真やパネル、そしてニュース映像などが展示展開されていましたが、僕にとって印象に残ったのはイエローフラッグと呼ばれている、メッセージが書き込まれた黄色い旗でした。

    黄色旗

    メッセージが書かれた黄色いフラッグ。

    これは会場のみならず、会場までの道にも、あるいは国道や県道沿いの家々や店舗などでも飾られていました。心温まる黄色い旗は、どこか切なさのようなものも孕んでいるような気がします。人々の胸のうちが綴られた無数黄色い旗は、まるで波紋のように川口の町中に広がっていったようです。

    ライブの前に会場をふらりと歩きながら、イエローフラッグを撫でるように眺めていると、ひとつのメッセージに目が留まりました。そのひと際小さな黄色い旗にはこう綴られていたのです。

    「私達はもう大丈夫です。他のところをよろしくお願いします。」

    店先の黄色い旗

    黄色いフラッグは民家や商店の軒先にも飾られている。

    小学校の高学年か中学生が書いたと思しきそのメッセージは、静かに僕の心の真ん中あたりを捉えたのでした。僕はふと能登輪島の友人のことを思い出していました。

    式典の前日、セレモニーの中心メンバーのひとり、平澤やすくんにインタビューしました。僕は一昨年、彼が働くお店でライブをさせてもらいました。

    「地震当日、僕は長岡市内のショップで働いていました」 彼はお客さんの身の安全を確認した後、連絡の取れない家族に会うために躊躇う事なく川口の自宅へ向かったと言います。

    「真っ暗な道、救急車サイレンや誰かの悲鳴のようなものが聞こえる中、車で向かったのですが途中から通れなくなり、歩きに歩いて川口に着いたのは夜中の1時ごろでした」 

    その後無事に避難していた家族にようやく会うことができました。しかし全壊した自宅も含め、一夜明けて眺めた光景は凄まじいものがあったそうです。

    セレモニーで歌う東田トモヒロ

    セレモニーでのライブはたくさんのキャンドルに囲まれて。

    経験のない地震で情報も錯綜し、直後はなにが起こっているかさえわからない。寸断された道路や崩壊したトンネル、潰れてしまった家屋や建物。慣れ親しんだあの長閑(のどか)な光景は、一晩にして無残な姿に一変してしまいました。最初の時点では自宅のある川口が、まさか震源地であろうとは夢にも思わなかったと言います。

    長岡市川口でも6名の方が亡くなりました。長引く余震。予断を許さない状況は続きます。

    やすくんは「1ヶ月ぐらいは生き延びることで精一杯だった……」と振り返ります。

    20年続けてきたセレモニーを始めたきっかけを伺いました。

    「初めは自衛隊の皆さんに感謝の気持ちを表現しようということで始まりました。老人介護施設の吹き抜けスペースで、隊の方々とご飯会をしたのがきっかけでした」

    それからのちCandle JUNEさんと出会い、彼のキャンドルを灯すセレモニーイベントが立ち上がったそうです。

    さまざまなミュージシャンやアーティストが集まって、野外フェスさながらにまで大きいイベントになった時もあったと言います。

    男性2人

    やすくんこと平澤康宏さんに20年の歩みを聴く。

    ある年の事、小学6年生で亡くなった友達のために、同級生の子たちが中学を卒業するときに、やすくんら有志が彼らをリードして、メッセージキャンドルをみんなで作る事になったそうです。イベントを通してキャンドルに添えたメッセージには、中学生になった子どもたちの心の内に秘められた様々なの想いが綴られていたと言います。

    「同級生を亡くしたこと、仮設住宅が建てられたグラウンドがずっと使えなかったこと、いろいろな辛さ悔しさ悲しみがあったんだと思います。イベントを通して正直な思いを表現してくれた事を、当時の先生方にとても感謝されました」

    そのエピソードは今でもやすくんの胸に焼き付いているようでした。

    セレモニーは年によって形こそ変わったそうですが、亡くなった方々への追悼、震災の悲惨さや苦労を伝える大切さ、助けてくれた人たちへの感謝、大きくこの3つの意味を持たせた式典として続いて来たのではないかと、彼はこれまでの20年の歩みを噛みしめるように話してくれました。

    彼らがはじめた「にいがたからみんなえがおに」というテーマのこの式典のスピリットは、町中にはためく黄色いフラッグに静かに受け継がれていたのです。

    「火は一度消えるけれど、種火だけはとっておきたい」

    やすくんはこう続けます。

    「忘れるのは自然なこと。でも、とても大変だったけど、ここに暮すみんなで助け合えたことで今があります。そして全国の方々が、こんな小さな町に救援物資を送ってくれたりボランティアで入ってくれた事への感謝を忘れたくありません。こうしてセレモニーを続けているうちに、防災の心構えがいかに大切か身に染みて分かりますし、日頃どうゆうふうに生きているかが大切だと実感するんです。

    そして最終的に人の繋がりの大切さに行き着く。毎年来てくれる人たちも沢山いました。意識する事なく人の繋がり、助け合うこと、想いを寄せることの大切さを伝えるセレモニーへと進化したからこそ続いてきたのかも知れません」

    20年の節目を迎えて、この式典は一旦幕を閉じるのだそうです。少し寂しい気もしますが、それもまた時代の流れなのでしょう。

    店の前で立つ男性

    やすくんが働く「Toi(トイ)TMH Fun time with coffee」の前にて。ウッディな外観が目印。

    「どうゆうふうに生きるか」

    その言葉を聞いた時、僕は8年前に経験した熊本地震のことを思い出していました。災害に見舞われるたび、僕らは生き方と向き合う事になるのだなと思いました。そしてお互いをいたわり助け合う気持ちが、いつもそんな僕らを支えてきてくれたような気がします。

    最後に彼はつぶやくようにこう語ってくれました。

    「震源地だからこそ学んだことを伝えていきたかったんです。今年が最後のセレモニー。その火は一度消えるけれど、種火だけはとっておきたい」

    彼は魚沼で「toi」というコーヒーショップでスタッフとして働いている。今日もカウンターに立って、その優しい眼差しで移りゆく中越の町や人々の暮らしを見つめていることでしょう。

    追伸 セレモニーのライブでは、熊本地震の後に作った「ひだまり」という曲を歌いました。よかったら聴いてください。

    コーヒーショップ

    カウンターでコーヒーを淹れるやすくん。お店は魚沼市にあり、小出のインターチェンジにほど近いところ。

    記念撮影

    セレモニー終了後は、笑顔で記念写真。20年の歴史に一旦幕を下ろした。

    東田トモヒロNEWS

    【2024.12.20(FRI) 東田トモヒロ&SLOW JAM 「 Year End Live 」@ 横浜THUMBS UP】

    2023/12/20(FRI)@横浜THUMBS UP
    OPEN 18:00/START 19:00
    ADV¥3500/DOOR¥4000
    ※小学生以下無料、学割2000円
    1ドリンク+1フードのオーダーをお願いします。

    ■LIVE
    東田トモヒロ&SLOW JAM
    小山善章(Bass)
    三好正晃(Gt)
    山口大輔(Drums)

    Opening Act
    AKILA / 81FARM ORGANIC

    ■DJ
    EZZY

    ■SHOP
    フタバフルーツ

    ■TICKET&INFO
    横浜THUMBS UP
    横浜市西区南幸2-1-22 相鉄Movil3F
    TEL:045-314-8705
    https://www.stovesyokohama.com/ 

    東田 トモヒロさん

    シンガーソングライター

    1972年生まれ熊本市在住。ニューヨークでのレコーディングを経て2003年にメジャーデビュー。旅とサーフィン、スノーボーディングをこよなく愛し、そのオーガニックなサウンドを通して「LOVE&FREEDOM」を発信し続けるシンガーソングライター。

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