「何がつらい?」「何が役に立った?」災害体験者に危機のリアルを聞きました | サバイバル・防災 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

サバイバル・防災

2026.09.20

「何がつらい?」「何が役に立った?」災害体験者に危機のリアルを聞きました

「何がつらい?」「何が役に立った?」災害体験者に危機のリアルを聞きました
災害大国、日本。忘れ得ぬ大地震に加え、毎年の豪雨被害や、山火事なども記憶に新しい。災害は明日来るかもしれない。いまからできる防災準備とは。今回は防災企画の後編をお届けする。
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キャンプ経験がある子供は過酷な避難生活に耐えられる

親子で鍛える「防災力」

#1 佐々木莉佳子さん 東日本大震災(2011年)

2001年気仙沼生まれ。父の勧めで復興支援アイドル「SCK45」に加入。現在はモデル・タレントとして幅広く活躍。困難を乗り越え今を生きる姿に、多くの支持が集まる。

「物が壊れること以上に、街の空気と人のつながりが崩れるのが、何よりつらかったです」

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2012年1月、宮城県気仙沼市の自宅跡に立つ佐々木さん(当時10歳)。
アイドルグループメンバーとして取材撮影に応じたときのもの。

2011年3月11日、午後2時46分。当時小学4年生だった佐々木さんは、教室で算数のドリルに向かっていた。揺れが来た瞬間、周囲の子供たちがパニックになる中、彼女自身は意外にも冷静に机の下に潜り、揺れが止むのを待っていた。

「でも、だんだん事の重大さに怖くなって、家族に会いたい! と思っていました」と佐々木さん。すぐに避難した校庭にはひびが入り、いつも見ていた景色が違うものに見えた。携帯電話も持たず、ただ親の迎えを待つしかなかった心細い時間。やがて、母親が学校へ駆けつけ、手を引かれて高台へと向かう途中で目にしたのは、先ほどまで歩いていた道が濁流に飲み込まれていく光景だった。
 
高台にある病院で、祖父の救助を試みていた父親ともようやく合流。しかし、頑なに「家を守る」と言い張って残った祖父の安否は絶望的かと思われた。奇跡が起きたのは震災から3日後。避難先の親戚宅のインターホンが鳴り、そこに立っていたのは自力で生還した祖父の姿。「お化けかと思った」と振り返るほどの衝撃的な再会だった。
 
家族全員が無事であることに、心から安堵した。だが、周囲を見渡せば、がれきの中で家族を捜し求める人々や、大切な人を失い泣き崩れる人々の姿がそこにあった。街全体が深い悲しみに包まれ、物理的な破壊以上に、人々の心とコミュニティの空気が急速に壊れていく。
 
子供心に感じたのは、日常が日常として成立しなくなる暗澹たる現実だった。大人が疲弊し、噂話や人間関係の軋轢が生まれる閉塞感の中、彼女の心は次第に塞ぎ込んでいった。

いざというとき、人と人が助け合えるように

そんな彼女を救ったのは、音楽であり、震災後に参加したアイドルとしての活動だった。地元・気仙沼で笑顔を取り戻そうと活動する中で、彼女は人と人との支え合いを学んだ。

「当たり前は、世界に存在しない。これが、今の私を支える揺るぎない確信です。だからこそ、今この瞬間を大切に生きる。そして、いざというときに孤立せず、人と人とが助け合える環境であってほしいと思います。都会で生活する今、大きな地震への不安は常に抱えていますが、それでもその場でどう冷静でいられるか、人の助けになれるかを考えています」
 
かつて日常が崩れる瞬間を目の当たりにした彼女は、目の前の日常を大切に紡ぎ続けている。

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当時通っていた南気仙沼小学校。校庭は被災車両の一時保管場所となり、津波で押し潰された車が山のように積み重なっていた。

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津波に襲われた気仙沼市内。壊れた建物と、力なく垂れ下がったままの電線が、日常を一瞬にして奪い去った津波の威力を物語る。

※写真提供/朝日新聞社(幼少期の佐々木さん)、(一財)消防防災科学センター「災害写真データベース」

#2  T.K.さん

大阪府北部地震(2018年)

1969年大阪府生まれ。デザイナー。大阪北部地震での被災経験から、趣味で培ったスキルを防災に活かしたアウトドアライフを実践している。

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「趣味のキャンプが、被災生活の擬似トレーニングになりました」

「ドドドドド……」という地鳴りとともに、地面が激しく揺れた。朝、郵便受けを覗こうと玄関先へ出たちょうどそのときだった。2018年6月18日の午前7時58分頃に発生した大阪府北部地震は、大阪府内で観測史上初めて震度6弱以上の揺れを記録。当時、4歳と0歳のふたりの子供がいたT.K.さんは、慌てて子供たちの元へ駆け寄り、抱きかかえて揺れが収まるまで耐えた。
 
揺れは収まり、幸い家族に怪我はなかったが、室内の惨状はひどいものだった。食器棚から飛び出た皿は、床に無残に砕け散っていた。また、地震の猛威はインフラを容赦なく寸断。電気と水道は生きていたものの、ガスが停止。以来2週間の不自由な日常が始まった。しかし、パニックに陥ることはなかったとT.K.さんはいう。

「趣味のキャンプで培った経験と道具が役にたちました。カセットコンロで料理して、沸かした湯をソーラーシャワーの袋に入れて使いました。業者さえ手配できない屋根の損壊も、ハーネスを命綱に自力で補修。キャンプは、被災生活の擬似訓練になっていたようです」
 
食器棚の転倒防止や、情報の収集手段の確保など、平時の備えの大切さも痛感した。また、いざというとき、道具があっても使いこなせなければ意味がない。キャンプで学んだのは、過酷な状況でも冷静さを失わない、揺るぎない対応力だった。

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瓦がずれた屋根を覆うため、市役所で配布されたブルーシートを自ら設置。ハーネスは家の近くのホームセンターで調達した。

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キャンプ用で買ったソーラーシャワーが浴室で活躍。不自由な避難生活では温かいシャワーのありがたみは格別だ。

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キャンプで身についたスキルと知恵が、被災した際、不便な非日常を乗り切る確かな力となった。

#3  バカショウビンさん

熊本豪雨(2020年)

1970年熊本県生まれ。会社員。2020年7月の豪雨災害で家族・義父母との5人での避難を余儀なくされ、避難所および仮設住宅で約2年間の生活を送った。

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「″またこのお弁当か……″とつぶやいて、支援に慣れてしまった自分にハッとしました」

2020年7月3日から4日にかけて、熊本県南部は記録的な豪雨災害に見舞われた。アプリで球磨川のライブカメラを確認すると、水位は危険水域を突破し、11mに迫っていた。「迷わず家族と義父母の計5人で高台へ向かいました」。
 
午前8時過ぎ、スマホに緊急速報が届いた。丘の上から自宅のほうを見ると、すでに水が押し寄せ始めていた。午前8時半、自宅が浸水し始めるのを、ただ見ていることしかできなかった。そこから避難所、仮設住宅と場所を変えながら、約2年におよぶ避難生活が始まった。
 
当時、息子は大学受験を控えていた。プライバシーのない体育館の片隅、一枚の布で仕切られた空間で、参考書を開く日々。そんな極限環境だったからだろう、自然と家族は普段以上に対話を重ねた。

「避難生活も長くなって、配給された弁当を見て『またこのお弁当か……』と口にしている自分に気づきました。支援してもらうことが当たり前になっている自分に嫌気がさし、改めて前を向きました。困難な日々を抜け出せたのも、家族との安定した関係性によるものが大きかったのではないかと、今ではそう考えています」

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地域の生活を支えていた近所のローソンも、球磨川の氾濫によって泥水に浸かった。あっという間に日常が泥に塗りつぶされていった光景。

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避難所に設置された簡易風呂。お湯に浸かると、あまりのうれしさに涙が出た。

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布一枚で区切られた避難スペース。必要最低限の荷物ですら、雑然としてしまう。

#4  ららさん

能登半島地震(2024年)

1981年石川県生まれ。主婦。乳幼児を抱え、授乳や夜泣き、衛生管理に追われる中での被災だった。

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「今やれることは、今やる。あの日、私の防災意識が一気に変わりました」

2024年元日、午後4時10分。能登半島地震は正月早々に発生した。ららさんは、夫と6歳の娘、そして生後1か月の娘を連れ、石川県の実家に帰省中に被災した。激しい揺れの中で「家が潰れる!」と思い、靴も履かずに子供を連れて家を飛び出した。近隣住民の声に導かれ、高台へ避難。その後、地域の指定避難所へ向かうという選択肢もあったが、ららさん一家は、家族4人での車中泊という道を選んだ。生後1か月の乳児の授乳やオムツ替えが不可欠な中、感染症リスクもある集団生活は、あまりにハードルが高すぎた。幸いガソリンは父に頼んで入れてきてもらうことができたため、暖房は確保できたが、5人乗りの車内は決して広くはない。大人ふたりは足を伸ばして寝ることもできなかった。このとき、最大の懸念だった授乳問題を解決してくれたのが、たまたま旅行用に備えていた缶入りの液体ミルクだった。哺乳瓶を消毒し、お湯で溶かす手間がいらないことが大きな支えとなり、東京へ戻れるまでの4日間を乗り切ることができた。

「この経験で、今やれることは、今やっておこうと思うようになりました。例えば、水を季節関係なく備蓄する。ガソリンは常に満タンにしておく、など特別な準備ではなくても、そういった細々としたことの積み重ねが、被災したときに大きな力になることを実感しました」

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大人にとっては狭い車内でも、気持ちよさそうにぐっすり寝ている子供たち。6歳と1か月の小さなふたりにとっては、必要十分な空間だった。

4日間の避難生活を過ごした5人乗りの車。高台の空き地を、家族4人の拠点とした。狭いが安心できるシェルターだった。

#5  おたうさん

熊本地震(2016年)

1973年鹿児島県生まれ。会社員。熊本地震での被災経験を通じ、キャンプスキルや道具が災害時の暮らしにいかに役立つかを身をもって体感した。

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「避難所から車中泊に変えたことで、子供たちに笑顔が戻りました」

2016年4月14日、午後9時26分。凄まじい揺れが襲った。本棚が倒れかかり、おたうさんは反射的に子供たちに覆いかぶさった。翌朝、避難所を求めて、辿り着いたのは人で溢れかえる体育館。だが、その日の深夜に本震(前日の激しい揺れは前震!)が襲うと、周囲に悲鳴が響き渡った。配給を待つ間、備えていた非常食を食べることさえ、食料を持たない人たちへの後ろめたさを感じた。大人の恐怖やパニックが伝染したのだろう。子供たちは明らかに塞ぎ込んでいた。おたうさんは車中泊へ移行する決断をする。
 
狭い車内で過ごす3日間の避難生活は、趣味のキャンプ道具に救われた。カセットコンロ、LEDランタン、そして何より家族だけの空間。ちょっとしたキャンプのような環境が、追い詰められた子供たちに笑顔を取り戻させた。

「キャンプしてきた経験が、家族の心を救ってくれるとは夢にも思いませんでした。また震災を経て、防災リュックという“備え”の真の意義を、痛いほど理解しました。再び災害が起きるかもしれないので、家族を支え続けるために心の余裕を持っておこうと思います」

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食器棚が倒れ足の踏み場もない自宅。とても過ごせず、自宅外での生活を余儀なくされた。

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車とタープで設けた避難場所。慣れ親しんだ道具に囲まれ、子供たちの不安も和らいだ。

「電源」と「情報ツール」の準備をしておこう!

本特集の事前調査として読者アンケートを行ない、総勢126名の回答をいただきました。ご協力ありがとうございました。貴重な体験談ばかりでしたが、とくに連絡手段と情報収集ツールが重要という意見が多く、「バッテリーを気にしてしまいスマートフォンが使えなかった」「SNSで最新情報を知って行動することができた」など、携帯電話に関する内容が上位に。災害の備えとして「あったら良かった道具」としては、ポータブル電源や手回し充電ラジオ、ソーラー式充電器、常温保存がきくアレルギー対応保存食、20ℓくらいの給水タンク(複数個)、充電と乾電池が併用できるヘッドランプ、などの回答が目立ちました。

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※構成/風間 拓

(BE-PAL 2026年9月号より)

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