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松本明子のアポなし軽キャン日記|第27回 その男、アムズの頭脳であり心臓につき
アムズレンタカーの相談役として、創業当初から支えてくれている青倉さん。当初はキャンピングカーのレンタカー事業を行なっている「バンライフレンタカー」のフランチャイズ店として営業してきましたが、バンライフさんを紹介してくれたのも青倉さんでした。今回はアムズの頭脳・青倉さんの、人柄と功績を紹介しようと思います。
遡ること51年前。小学校3年生のとき、私と青倉さんは出会いました。福井県から我が町、香川県高松市に引っ越されてきて、同じクラスになりました。短パンにハイソックスをはいて、ベストを着た出で立ちで、“なんか、ハイカラな子が転校してきたなぁ”って、クラス中が大騒ぎ。しかも成績はトップで、みんなの人気者。転校生だというのに、すぐに学級委員長に!
「松本さんはピアノが弾ける才女でしたね。色が妙に白くて、背がヒョロ高くって。背の順も後ろから3番目(女子20人中)で、僕のほうが小さかったんですよ。でも……とにかく変な子! 洋服のセンスも独特で、シマシマのシャツに花柄のスカートはいて、ノッポさん(70〜80年代にNHKの工作番組に登場していた主人公)みたいなチューリップハットをかぶっていたりして。はっきりいって、“苦手”でしたね。だって、会話が全然、成り立たないんですよ。それに輪をかけて、お母さんがまた目立つ人で。いつも着物を着て学校中をパタパタ動き回ってましたね(松本さんそっくり)」
近所で子供会も一緒だったものですから、ドブ掃除から七夕会、ラジオ体操、餅つき大会と、一緒に過ごすことが多かったんです。変な遊びもよくしていました。中学校の裏に屋島っていう山があって、校外学習に行ってるときに、カップルが通りかかりましてね。
「そしたら、松本さんが“アツアツ〜”とかいって冷やかすんですよ。そうすると、“何、この小学生”ってなるわけで。それが面白くて。カップルを見つけては、“松本一等兵、行ってこい!”って僕がいうと……」
アツアツ〜といいながらカップルの周りを回るという。
「変わったヤツでしょ〜」
中学生になっても、関係性は変わりませんでした。青倉さんは学級委員長から、生徒会長へ。
「松本さんは聖子ちゃんカットでエセ聖子してましたね。僕は坊主でしたけど」
運命を分けたのは、中学生の卒業式の日。
「式が終わって廊下を歩いていたら、階段の上に松本さんが座っていて。僕を見つけるなり駆け下りてきて、“センパイ、センパイ、私、東京に行って歌手になるんや”と。“がんばりまい!”と別れました」
常に上下関係(!?)があったので、青倉さんは私にとって、同じ年の“センパイ”でした。
「別れ、そして35年後の再会」
私が東京で堀越学園に通っている間、青倉さんは地元で一番優秀な進学校に進みました。
「野球と勉強の日々でした。勉強は嫌いじゃなかったので。とくに、解答が明確に出る、数学と物理が好きでした。高校3年生のときに読んだ落合信彦さんの本に感化されて、資源開発、とくに石油に興味を持つようになり、北海道大学の資源開発工学科に進むことを決めたんですが、入ってみたら、なんと石油がないという。北海道は石炭の学問なのでした……」
でもね、大学では、それなりに楽しんでいたみたいです。
「塾の先生のバイトをはじめたんですが、その仲間に、アイドル研究会を立ち上げている人がいて、入会することに。さらにそのなかでカラオケだけやりたい有志が集まって、サブサークルも作りました。聖子ちゃん、明菜ちゃん、荻野目ちゃんをよく歌いましたが、松本明子がアイドル、という認識はナシ」
そのころちょうど私、デビューしていたんですけど、知らなかったそう! 伝説の歌『♂×♀×Kiss』を!!
「就職先は石油開発をしている某商社に入社することができ、以来36年間石油のことだけをやってきました。石油を仕事にしていると、産油国のトップエリートと話をすることができる。そうすると、その国のカルチャーや民族の意識、国の財政状態など、いろんな国に対する知見が上がっていって、その国の課題などが見えてくる。それが国際ビジネスにつながるんです」
青倉さんがイランやイラク、アフリカ、ベネズエラなどに行って石油を買っているときに、私は『進め!電波少年』でパレスチナまでアラファト議長に会いに行っていました。仕事は違えど、似たようなこと(!?)をしていたわけです。
「電波少年はね、松本さんが小学生のころとやってることがまったく変わらず、まさに天職だと思いましたよ」
で、50歳のとき、東京在住の香川県人会で集まろう会が開催され、35年ぶりに再会! 海外赴任していて、電波少年以外、私の全盛期を知らないっていうんで、主演した昔のドラマのDVDを今からでも見るように、と渡しました。そうこうしているうちに、レンタカー業をやりたいって相談をし、今に至ります。集まろう会さまさまです!
アイドルでも女優でもなく永遠の小学生、松本明子

だいぶ歩けるようになりました!
岩手へ講演に行き、「街なかさんさ踊り」に遭遇。踊り子さんと記念撮影。
松本さんと相談役青倉さんの青春時代
小4の松本さん

小4の青倉さん

小学4年のとき、課外学習で丸亀城に行ったときの集合写真より。

青倉さんは小3から野球をはじめ中学でキャプテン。

松本さんの中学生時代はソフトボール部。

青倉さんは高校時代は4番でピッチャー。

デビューした1983年の2ndシングル発売イベント。


目立ちたがりで松本さんと似た性格の母。

大学時代、アルバイト先の塾のイベントで熱唱。

大学の研修授業で行った、鳴門大橋の料金所。

さっぽろ雪祭りで撮影。青倉さんは北海道を満喫。
●松本明子さんのレンタカー、オフィスアムズはこちら→https://officeams.com/
松本明子さん

まつもと・あきこ 1966年生まれ。香川県出身。 ’83年に歌手デビューし、『DAISUKI!』や『進め! 電波少年』などで元祖バラドルとしての地位を確立。2021年から軽キャンのレンタカー事業(オフィスアムズ)を始める。
※構成/大石裕美 写真提供/オフィス アムズ
(BE-PAL 2026年9月号より)




