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【ホーボージュンのサスライギアエッセイ・旅する道具学】第22回「二歩先の景色」
サングラス「Niho / HAKU、MIKURI」
「ホ、ホーボーさんですよね!」
浜松町の産業会館で開かれていたアウトドア展示会。バックパックやテントの陳列棚を抜けた先で背後から声をかけられた。
振り向くと僕より少し若い男が緊張した面持ちで立っている。手のひらにはサングラスがひとつ、汗で曇るぐらい握り込まれていた。
「じつは私、アウトドア用のサングラスを作っていまして、今日がそのお披露目なんです。お忙しいところほんとうにすみません。少しだけ、お時間いただけませんか」
てっきりメディア向けの売り込みかと思ったが、それは違った。彼は「あの日のこと」を話したかったのだという。
「私、17年前にホーボーさんのトークショーを聴きに行ったんことがあるんです」
塚本と名乗ったその男は、堰を切ったように喋りはじめた。
*
塚本昌晃さんは当時、大手コンピューターメーカーに勤めていたのだが、ちょうど僕のトークショーの数日前に、会社に辞表を出したばかりだった。そして訪れたトークショーの最後に、僕は若い参加者たちに向かってこう叫んだらしい。
「お前ら、いますぐ会社に辞表を叩きつけて、旅に出ろ!」
ああ……と僕は恥じ入った。悪いクセだ。僕にはこういう黒歴史が数々ある。
「私はあれをまともに食らっちゃったんですよ」
塚本さんは翌週からバックパックを背負って北アルプスへひとり縦走登山に出かけた。そして数日間ただただ山を歩き続けた。雲が湧き、ガスが流れ、岩を踏み、水を飲んだ。夜は星を見ながらひとりで飯を食い、寝袋にくるまって眠った。山との一体感がものすごくて、気がついたら何年も抱え続けてきたものがすっかり解けていたという。
「あれはほんとうに、人生が変わるような体験でした」
そして彼は東京を引き払い、郷里の福井へ戻った。地元の眼鏡会社に再就職し、いつかアウトドアのために自分でモノを作るんだ、と決めた。それから17年、コツコツと経験をつみあげてようやく自分のブランドを世に出したのが、ほかでもない今日だという。
「そしたら会場にホーボーさんがいたんです。びっくりしたなんてもんじゃないですよ!」
おい、こっちこそびっくりだよ。酒場の啖呵みたいな陳腐なアジテーションが、こうして誰かを走らせていたとは……。聞いている僕の胸まで熱くなってくるじゃないか。
*
塚本さんのブランド名は「Niho(ニホ)」といった。
彼がこのサングラスを開発するときにこだわったことは3つあるという。一日中かけていても疲れないこと。軽くて激しく動いてもズレないこと。そして、強い日差しはしっかり防ぐけれど、いかにもスポーツ用というデザインには見えないこと。特に3つ目は多くの人が思っていることだと思う。
実際にかけてみて唸ったのは、まずレンズの薄さだった。厚さわずか1.5mm。福井県鯖江市の専門メーカーが、独自の射出成形技術で作り出したものだ。通常のレンズより2割も軽く、本当に存在感がない。
レンズはすべて偏光仕様で、色はグレー、ライトグレー、ライトブラウンといった色味の薄いものが多かった。
「これは長年眼鏡会社で働いて、の結論なんですけど、アウトドアでは、偏光レンズ以外いらないと僕は思ってるんです」
彼は熱い口ぶりで言った。
「偏光フィルターの力で光のギラつきや乱反射さえ取れれば、わざわざレンズの色を濃くする理由がないんです。色が薄ければ暗い森に入っても、岩陰へ入っても、いちいち外さなくていい。一本で、歩き通せます」
なるほどと思った。理屈はシンプルだ。そしてシンプルなものはたいてい正しい。
フレームの設計も面白かった。海外のスポーツブランドの多くは6カーブとか8カーブとか、側頭部を抱くような深いカーブをつけている。あれは鼻が高く、頭蓋骨が前後に細長い欧米人向けの設計だ。でも日本人は顔が平らだ。8カーブまでは要らない。
そこで「Niho」のフレームは普通のメガネに近い4カーブとした。これならレンズの歪みも少なくて視界がクリアになる。
側面からの光を防ぐサイドフードはワンタッチで着脱できる。テンプルを畳んだ状態ですっと抜き差しでき、開いてしまえばどんなに揺さぶっても落ちない。雪山や海上ではこいつを差し、街では外す。それによって山でも街でもシームレスに使える。
*
最後に、ひとつだけ訊いてみた。
「ニホって、変わったブランド名だね。これの由来は?」
塚本さんは少し照れて笑った。
「ホーボーさんみたいな人が、僕らにアウトドアへの最初の一歩を踏み出させてくれました。でもこのサングラスをかければ、その一歩じゃ届かなかった景色が見えてくる。使い手がまだ気づかない、二歩先の世界を見せてあげたい。そう思ったんです」
ぬおおお。いいこと言うじゃないか。
僕が17年前にしゃべったのは、たかが一歩の話だ。塚本さんは、その先の一歩をモノ作りを通じてそっと返してくれた。
世の中、なかなか捨てたもんじゃないよね。







ホーボージュン
大海原から6000m峰まで世界中の大自然を旅する全天候型アウトドアライター。X(旧Twitter)アカウントは@hobojun。
※撮影/中村文隆
(BE-PAL 2026年7月号より)




