
ある研究者が留学先のアメリカ・ピッツバーグで飲んだヘイジーIPAに惚れ込んだ。これを日本で造りたい! 幼なじみを誘って立ち上げたのが、新潟のジョークンビールラボだ。創業から6年、ひたすら追い求めたヘイジーIPAに酒粕を使った酒ヘイジーIPAに取り組んでいる。
本場アメリカで最高のヘイジーに出会う
醸燻酒類研究所(ジョークンビールラボ)が新潟県十日町市にオープンしたのは2020年のこと。経営するのは地元出身の樋口啓太さんと岩田貴之さん。ふたりは小学校以前から知る幼なじみだ。クラフトビールを造ろうと言い出したのは樋口さんのほうだ。
樋口さんには情報学分野の研究者という顔がある。2010年代、東京大学生産技術研究所で特任助教と特任講師を歴任するなか、ちょくちょくアメリカに出かける機会があった。2017年から18年にかけてピッツバーグ大学に留学。鉄の町として知られたピッツバーグは、現在はロボット工学やAIの研究都市の側面を持つ人口30万ほどの都市だ。
30万人といえば新潟市の半分以下だが、「街には50軒くらいブルワリーがありました。その頃のアメリカはヘイジーIPA全盛で、そのおいしさにはまりました」と話す樋口さん。
ヘイジー(Hazy)とは濁っている、霞んでいるといった意味。イギリスで生まれたIPA(Indian Pale Ale)はホップを多用する苦味の強いビールだ。これにアメリカのブルワーたちがさらに大量のホップを投入、それでいて苦み走ることなくフルーティ、中でもトロピカルな香りを持ち味とした濃いめのIPAに発展させた。ホップの香り際立つヘイジーIPAは、新たなビールファンを開拓しながらクラフトビール界のスターダムを駆け上った。
樋口さんとクラフトビールとのつきあいは2010年代の初めから。クラフトビールを扱う店が点在する東京・下北沢に住んでいたこともあり、クラフトビールには興味津々だった。
アメリカで出会った最高のビール。これを日本でも飲みたい。シンプルな欲求が、日本で造りたいという思いに膨らんでいった。正月に帰省した際、幼なじみの岩田貴之さんに車で駅まで迎えに来てもらった。その車中で岩田さんにクラフトビールを造らないか? と持ちかけた。
当時、老人福祉施設で仕事していた岩田さんは、ちょうど転職を考えていた時期だった。もともとお酒好きでもあり、ブルワリー計画に賛同。醸造技術の研修に向かった。樋口さんは東京の民間企業に転職した上で帰国、ブルワリー経営という二足のわらじを履くことになった。

コロナ禍中に創業、売り上げが伸びない!
2020年4月、ふたりの出身地である十日町に、300リットルのタンクを5本設えた小さなジョークンビールラボ(以下ジョークン)が誕生した。これくらいの規模だと、アメリカの定義ではマイクロを越えて「ナノブルワリー」と呼ばれるそうだ。
2020年4月といえば、コロナ禍の緊急事態宣言が発出された時である。当然、客は来ない。売り上げは計画を大幅に下回った。
「それでもぼくは楽観していました。売れないのはコロナのせいだと。ところが21年になっても売り上げが伸びない。これにはショックを受けました」
そこでジョークンは思い切った策に出た。スキーリゾートで知られる東北新幹線越後湯沢の駅近にビアバーを出店することにしたのだ。越後湯沢は苗場スキー場やガーラ湯沢などの最寄り駅。一時ゴーストタウン化したリゾート地だが近年持ち直し、インバウンドの数も増えている。湯沢町の観光客数は2024年には360万人と、コロナ禍前の水準に戻していた。
「当時は岩田がひとりで十日町のブルワリーを切り盛りしていたので醸造量を増やすのはむずかしく、販売量も伸びない。この状況を打破するために越後湯沢店をオープンし、正社員も雇いました。新たな投資も必要で、かなり思い切った決断になりましたが、結果的に出店してよかった」と樋口さんは話す。
ジョークンの目標は「IPAとヘイジーIPAの最前線で戦えるブルワリーになる」こと。そしてオープン以来続く赤字経営から黒字化をめざして、2023年12月、ビアラボジョークンをオープンした。

言語生成AIの多言語能力がビアバーで生きる
はじめに紹介したように、樋口さんは情報学の研究者である。専門は人間とコンピュータの関係を研究するHCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)、コンピューターの画像読み取り技術を研究するCV(コンピューター・ビジョン)など、いずれもAIに関わる最先端の分野だ。
その知見はクラフトビール造りにどのように活かされているのだろう? 樋口さんはこう答える。
「ぼくの研究分野は、人間がつくったものを人間が試して、結果を受けて改善する、その繰り返しです。その枠組みはビール醸造にも当てはまります。モルトや酵母の種類や量、発酵時間などのパラメータを決めて造りあげ、その結果に対して人間が評価を下す。サイエンスと感性、両方が必要なところはHCIと似ています」
樋口さんはすでに言語生成AIを使った“AI接客システム”なるものを開発して、ビアラボジョークンに導入している。
「AIは文章を読むのが得意なので、ビールの特徴を読み込ませてユーザーに合わせて問い合わせに応えられるシステムをつくりました」
お店のタブレットに「好みのビールはIPA」とか「このビールに合う料理は何?」などを打ち込むとAIが応えてくれるというもの。「特にAIの多言語能力が活かされます。今は日本語と英語があればいいというわけではないので」。
観光客も多国籍化している。自分の好きな1杯とそれに合う料理をセットで注文したいという要望は、ビアバーなら当たり前のこと。しかし、これに十分に応えられる人材を育成するのは小さなブルワリーにとって容易ではない。AIを使いこなせるのはジョークンの強みだろう。ちなみに越後湯沢のビアラボジョークンでは、注文そのものはタブレット経由ではなく生身の人間が取っている。
地元酒蔵の酒粕を使ってレガシーになるヘイジーを
ジョークンは今年の4月でオープンから6年になる。最近、積極的に醸造しているのが地元の酒蔵の酒粕を使ったヘイジーIPAだ。
新潟は全国屈指の酒どころ。酒蔵の数も日本酒の消費量も日本一。樋口さんと岩田さんは日本酒も大好きだと言う。大学生の頃、「きちんとうまい酒を飲もう」と、ふたりで買って飲んだのが地元十日町の酒蔵、松乃井の酒だった。その松乃井から分けてもらった酒粕を用いたビールは「酒ヘイジーIPA」として定番化している。筆者も飲んでみた。甘い香りのする日本酒のようなビールのような酒だ。
「確かに甘く感じるかもしれませんが、実は、糖度は低いんです」と言う。どういうこと? 「ビール発酵が終わったあとに酒粕を投入しています。発酵後なので糖分はほとんど残っていません。それでも甘く感じるのは、酒粕のもつ甘い雰囲気やちょっと濁った色合いのせいだと思います」と樋口さんは説明する。
醸造長の岩田さんは、「酒粕を使うと糖分はキレているけれどドライすぎないビールができます」と言う。
近年、酒粕を使ったビールが各地でちらほら見られるようになってきた。甘い香り、日本酒の香り、どぶろくのような濁り。酒粕ヘイジーは日本独特のビールスタイルだろう。「外国のお客さんもおいしいと言ってくれるのがうれしい」と岩田さん。

新潟県には80軒ほどの酒蔵がある。岩田さんのネットワークを活かして酒粕を分けてもらい、次々とヘイジーIPAに仕上げている。
「酒粕は蔵ごとに個性があります。モルトやホップなどの原料や造り方は同じで、酒粕だけ変えて醸造しています。300リットルの小ロットでいろいろ造れるのがナノブルワリーのよさです(岩田さん)
造り方を一定にするにすることで酒粕の特徴が浮き彫りになる。そのデータもすべて貯蔵される。ジョークンに蓄積された酒粕ヘイジーの醸造データは国内でも屈指だろう。
「酒蔵の後継者探しはかなり厳しい状況になっています。それはぼくらにとっても他人事ではありません。だから将来に酒粕ヘイジーというフォーマットが残せれば、と思っています。新潟だけじゃなく他の地域でも使えますし」(樋口さん)と、遠い将来のことも見ているジョークンだが、それはまだ先の話だ。今の目標は経営を軌道に乗せること。今シーズンは初の黒字化を見据える。今、力を入れているのがジョークン専用ビアサーバーの営業だ。
飲食店になるべく負担がかからないよう小型の冷蔵庫を改造したオリジナルのビアサーバーを開発した。すでに湯沢町のホテルや飲食店に導入してもらっているが、めざすのは地元の外だ。

「あの店に行けばいつもジョークンのビールが飲めるという環境を作りたい。新潟ならではのビールを提供して地元に恩返ししたい。ぼくらはアメリカのヘイジーIPAをめざして始めたブルワリーですが、だんだん、なぜ日本で造るのか、なぜ新潟で造るのかを考えるようになりました。地ビールってそういうものなのかもしれませんね。なんだか一周して地元に戻ってきたような」
黒字化の先には醸造量を増産するためのブルワリーの拡張、クラフトビールのさらなる追求がある。樋口さんはビールとAIの関係についてこんなことも考えている。
「AIのリサーチ機能を使って、地元の特産品や文化を取り入れたビールを造っていきたいです。面白いのは、いろいろな人がいろいろな言葉を使って感想や評価をしてくれることです。そのたくさんの言葉を分析することで、一人一人に合ったビールマップみたいなものが出来るんじゃないか。そうすればもっと新しいビールが入っていきやすくなるのではないかと思います」
ビールはもともと多様だが、ブルワーの飽くなき探究と創意工夫のおかげで、多様性はますます広がっている。しかし、その広がりは大多数の飲み手には伝わりにくい。自分好みの1本を探すのもビールの喜びだが、それはちょいとマニアック。ビアバーでAIの力も借りながら自分好みのビールに出会えたら、それはきっと素敵な一杯になるだろう。
アメリカのヘイジーIPAに憧れて生まれた新潟十日町のジョークンは、酒粕やAIの力を活用する最先端の地ビールブルワリーに発展している。今後どんな変化を遂げるのだろうか。
●新潟県十日町市本町5-5-8
https://www.jokun-brewing.work







