子グマと戯れたいーアラスカの原野で思う

2019.04.23

深い森の中でも、少しひらけ、光の注ぐところではたくさんの新芽が芽吹いている。原野で一人でいることに寂しさを感じるような時には足元からよく観察するように心がけている。

アラスカの原野に挑む意識と覚悟とは

緊張の数秒を過ごした私は、改めて、自分が入ろうとしている大自然の世界が、今までの経験の外にあるものだということを感じていた。日本にいる間、北アルプスで一人で行ける難しいルートはどこだろう、と考えあちこち地図に無いルートを歩いてトレーニングしたが、その時得た経験値には野生生物の存在があまりに欠けていた。

ふむふむ、アラスカの原野に撮影に挑むということはこういう意識と覚悟が必要なのか、と感じると、内なるパッションがさらに加熱したのを覚えている。日常とは異なるレベルの集中、観察、判断。私の歩む先にある大きな壁の輪郭がぼんやりとだが見えてきた。

さらに数日の間、森を散策、いや森をさまよった。一口にアラスカといってもとても広く(面積は日本の4倍ある)、いろいろなタイプの森があるのだが、カトマイは北緯60度より南に位置しており、タイガと呼んでいいのかわからないが針葉樹林が広がっている。森の中の地面は場所によってとても柔らかく、特に柔らかい場所では膝の辺りまで沈んでしまう。まあ歩きにくいことこの上ない。股関節が固い私にとって、一歩一歩足を高くあげて歩くことは苦行のようだった。

しかし文句を言いつつも歩き続け、日が当たるくらいひらけた場所を見つけ寝転ぶと、まるで天国にいるかのような開放的な気持ちになった。そして、寝転んだまま左右をよく見ると小さな芽があちこちから芽吹いており、耳をすませば声でも聞こえそうなくらい濃厚な生命の気配が足元には広がっていた。緊張を持続させることはえらくエネルギーを消耗するが、その中で弛緩させる術もあるものだ、そう感じたのを覚えている。

数日後、森を歩くことに慣れてきて、いよいよクマの多くいる川沿いに出てみることにした。先日の経験から、片手にはクマスプレーを常に持つことにした。川沿いにはススキのような植物が生えていて、風はあったが、風が直接耳に当たらないようにして耳をすませば、草をかき分ける大型の生き物の音くらいは聞くことができた。突然出会うことは避けてあげたいので、集中して一歩ずつ進んだ。お昼頃だったか、周辺が広く見渡せる場所を見つけた。ここならクマを驚かせることもないだろうと思い、そこに陣取ることにした。

川沿いに出て、少し見晴らしのいいところに陣取った。条件のいいところはクマも集まりやすいので緊張した。数十分後、親子が反対岸から出てきた。

子グマの愛らしさとは一体何なのか

1時間ほど待っただろうか、川の反対側からスプリングカブ(今年生まれた子グマ)を一頭連れた母グマが出てきた。母グマは周辺と川の流れに交互に視線を送り、周辺を警戒しつつも鮭を探しているようだった。時折川にダイブして鮭を取ったり、おっぱいを欲しがる子グマに困った表情を見せたり、時に叱ったりもしていた。子グマの方はというと、隙さえあればお母さんに甘えたり、鮭をねだったり、近くに来た鳥を威嚇して遊んだり。”命は、ある一定期間、ある形であるだけだ”、という哲学に惚れたこともあるのだが、もし命がただ巡り巡っていくものだったとして、その循環にこの”愛らしさ”は必要なものなのか?なんて思ってしまうほど子グマの仕草には愛嬌があり、緊張感を保とうとする意識と裏腹にファインダーを覗く私の頬は緩みっぱなしだった。

鳥と戯れる子グマ。お母さんが構ってくれないときの子グマは、水や草や小動物など、身の回りにあるあらゆるものと遊んでいる。一緒に遊べないのが残念でならない。

こちらをみているように見えるが、私と彼らの間(100メートル近くある)にいるもう一頭のクマを少し警戒しているシーンだ。

プロフィール
佐藤大史

東京都町田市出身。長野県安曇野市在住。日本大学芸術学部写真学科卒業。卒業後、写真家白川義員の助手を務め、2013年独立。
「地球を感じてもらう」ことをコンセプトに、アラスカなどの手つかずの大自然と、そこに生きる生き物たちを撮影している。
1012日〜20日まで、安曇野市豊科近代美術館で写真展を開催予定。大迫力の極大プリントで展示予定。

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