はじめての塩の道あるき vol.6〈鳥越峠編〉 | BE-PAL

はじめての塩の道あるき vol.6〈鳥越峠編〉

2016.08.29

春〜夏にかけての東廻り塩の道あるき。最後は鳥越峠です。前々回の地蔵峠、前回の大網峠と合わせて「塩の道・三大峠」とも呼べる、山越え感満点の健脚コースです。大網集落から東に入った長者平がスタート地点なのですが、ここへ行くにも公共交通機関がなく、徒歩なら約100分(!)かかります。公認ガイドを依頼するのがおすすめです。ゴールは小谷村最北の戸土集落です。

今回は地元大網在住の山本さんが途中までガイドをしてくれました。このコースは難易度が高い分、歩く人も少ないため、草に覆われた道を探しながら歩くというもの。山本さんをはじめ、バッサバッサとナタを持った先陣が道を切り開いていきます。倒木もあり、なかなかワイルド。

ガイドの山本さん。棒が指しているあたりが粟峠(後述)、その左が大網峠、右が鳥越峠だそう。

ガイドの山本さん。棒が指しているあたりが粟峠(後述)、その左が大網峠、右が鳥越峠だそう。

藪漕ぎ祭り。山本さんがいないと道がわかりませんでした。

藪漕ぎ祭り。山本さんがいないと道がわかりませんでした。

藪や倒木で隠れていた道を再び開いたら、迷わないようにテープで印をつけます。

藪や倒木で隠れていた道を再び開いたら、迷わないようにテープで印をつけます。

鳥越峠越えでは、廃村となった集落をいくつか通ります。長者平、横川、殿行(でんぎょう)、戸土。長者平には平倉城主・飯森十郎の一族による宿場町がありましたが、武田軍に焼き払われてしまいました。横川集落は昭和までは住人がいたため、雪で潰れた民家が残るなど、暮らしの跡がまだ感じられます。「かつては焼き畑で大根などを育てていた」と山本さん。会長の澤渡さんに教えてもらったのですが、人が住んでいた場所というのは、ミョウガが植えられていることでもわかるそうです。

横川→殿行へ向かう道は最近地滑りがあったため、道が失われています。気をつけて渡るべし。

横川→殿行へ向かう道は最近地滑りがあったため、道が失われています。気をつけて渡るべし。

殿行集落は元々2戸の小集落。昭和40年代まで住人がおり、生活に使っていた水槽が残されていました。

殿行集落は元々2戸の小集落。昭和40年代まで住人がおり、生活に使っていた水槽が残されていました。

殿行集落を越え、歩荷や牛の歩みでU字にえぐられたウトウを歩き、鳥越峠へ着きます。この鳥越峠は「明治新道」とも呼ばれているそう。それは横川集落の子供たちが、この先にある戸土集落の学校へ通うための道として開かれたから。それまでは大網峠越えの角間池〜粟峠〜鳥越峠越えの一本杉を通るルートが使われていたとのこと。この粟峠ルートは平成24年に地滑りで失われてしまい、現在整備が進められているところなのです。

位置関係がわかりづらいのですが、緑の点線が粟峠ルートです。小谷村観光連盟パンフレットより。

位置関係がわかりづらいのですが、緑の点線が粟峠ルートです。小谷村観光連盟パンフレットより。

前回の大網峠越えで触れた、信越国境裁定でもその根拠とされた「薙鎌神事」。その神事が現在でも行われている、戸土境の宮諏訪神社もルート上にあります。これは諏訪大社の御柱祭の前年となる丑年と未年の秋に、諏訪大社下社の宮司が御神木に薙鎌を打ち込むという神事。境の宮は未年なので、ちょうど去年の秋に神事が行われたばかりです。

3つ並んでいる薙鎌。鶏の頭の形をした神器なのですが、ユーモラスでかわいい。

3つ並んでいる薙鎌。鶏の頭の形をした神器なのですが、ユーモラスでかわいい。

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