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ジョニー・デップ主演で映画化!水俣病を追った写真家ユージン・スミスの生きざま

2021.09.23

『MINAMATA―ミナマタ―』(配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム) ●製作/ジョニー・デップ ●監督/アンドリュー・レヴィタス ●原案:写真集『MINAMATA』W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス(著) ●出演/ジョニー・デップ、真田広之、國村 隼、美波、加瀬 亮、浅野忠信、 岩瀬晶子、ビル・ナイ ●音楽/坂本龍一 ●923日(木・祝)よりTOHOシネマズ日 比谷ほか全国公開 © Larry Horricks

ユージン・スミスが手がけた一冊の写真集を原案にした映画『MINAMATA―ミナマタ―』が公開。写真集を共につくったアイリーン・美緒子・スミスさんにお話しを聞きました。

写真家ウィリアム・ユージン・スミスとは?

1918年カンザス州生まれ。『ニューズウィーク』 誌と『LIFE』誌を経てフリーカメラマンとなり、 太平洋戦争中は戦地で取材を重ね、沖縄戦で重傷 を負う。「カントリー・ドクター」「助産婦モード・ カレン」等、数多くのフォト・エッセイを『LIFE』 誌で発表。’55年には写真家集団「マグナム・フ ォト」に加わる。’75年にアイリーンとの連名に よる写真集『MINAMATA』をアメリカで出版。 同年ロバート・キャパ賞受賞。’78年脳溢血の発 作により死去。享年59。

水俣病とは?

工場排水中の水銀に汚染された魚や貝を大量に摂取することで起こった中毒性中枢神経系疾患。’56 年熊本県水俣市で公式確認され、 ’68年に国がチッソ(株)による公害病と認めた。主に脳の神経系を侵し、手足のしびれ、震え、脱力、耳鳴り、視野狭窄等の症状を引き起こし、発病から1か月以内に亡くなる重症者も。現在も多くの被 害者が患者認定を求めている。

アイリーン・美緒子・スミスさん 。1950年東京生まれ。環境ジャーナリスト。アメ リカ人の父と日本人の母を持つ。’68年スタンフ ォード大学入学。’80年スリーマイル島原発事故 調査を開始。現地に1年間住む。’83年コロンビ ア大学にて環境科学の修士号取得。’91年環境市 民団体「グリーン・アクション」設立。

熟練のカメラマンと仕事で撮影するのは初めての私、変わった組み合わせでした

「お話をいただいたのは5年以上前です。過去2回、ユージンと私が水俣に行ったことを映画化したいという話があったので すが、今回も可能性は1%ほどかと。でもジョニー(・デップ) がユージンを演じたいと聞き、 これは本格化だなと思って。彼はビッグネームで影響力がある、これから冒険が始まるなと」

映画『MINAMATA─ミナマタ─』の企画が動きだしたときを、アイリーン・美緒子・ スミスさんはそう振り返った。1971年9月、フォトジャーナリストのユージン・スミス は水俣病の取材のために現地で 暮らし始める。傍らには直前に結婚したばかりの32歳年下の妻、アイリーンさんの姿が。高度経済成長期の日本では、イタイイタイ病や四日市ぜんそくと四大公害事件が発生していた時期だった。

「熟練のカメラマンで体調を考えると最後の作品になるかもし れない彼と、仕事で撮影するのは初めての私と。変わった組み合わせで、始めから終わりまで 完全にふたりでやったプロジェ クト。毎日が二人三脚でした」

日本語をしゃべれない彼の通訳も兼ねて撮影現場に同行し、 取材には3年をかけた。

「最初はショックを受けた? と聞かれますが水俣病の現状は悲惨と覚悟していました。ユー ジンは戦場も見てます。しかし患者さんの日常にゆっくり入り、 撮影していくうちに重大さをより深く感じました。私とユージンの撮影したフィルムのベタ焼き(原寸で印画したもの)を並べたら、あの革新的ショットがどう撮られるかわかるかも。全カットをうまく撮ろうとせず、 呼吸のようにレベルを上げていく。ダメなカットがあっていい、 頂点に達するプロセスだから」

運動の先頭に立つ山崎を演じた真田広之。 「『ラストサムライ』を観たとき、ピッタリと思った」。右はアイリーン役の美波。© Larry Horricks

ユージンの写真はまるで映画 の1シーンのよう。前後の空気を感じさせ、観る者の心を捉える。「優れたジャーナリズムはアートで、ふたつをひとつにしてなにかを伝えるのが仕事」、そう繰り返していた。

「彼自身はユーモラスで純粋で、毎日何かに感動する楽しくて優しい人。彼のように、 歳を過ぎて魂に完全な無邪気さを持つ人ってまずいません。でも時間も守らずに遊ぶから一緒にいると疲れちゃって。年齢差を感じます? とよく聞かれたけど、 ええこっちが年寄りみたい、と冗談で(笑)」

水俣の問題はず〜っと続いていて、いまも正念場

そうした性格と過去の出来事に由来する鬱状態、取材で負った大ケガ、確かな撮影技術。「すべてが肥料となって」、スケールの大きな一枚になる。料理でいえば「そうしたシーズニング(調味料)を入れて起こる現象」、 それが彼の写真だった。完成した写真『MINAMATA』は、住民のなかで暮らしたからこその生々しさと迫力に満ちている。残酷な現実と騒乱、対する人びとの憂いや哀しみ、神々しいまでの愛が刻まれる。ときに患者のよじれた手のアップが、この病について多くを語る。まさに渾身の一冊。 一方、その3年は年若い新妻だったアイリーンさんにとって温かい記憶として蘇る。若いころに父親の自殺を経験し、ケガや鬱に悩まされたユージンにとっても「束の間のハピネス」だった。

「本当にね、幸せでした。田舎の暮らしにはリズムがあります。都会の人工的な光とは無縁で、朝には朝の風景が目の前いっぱ いに広がる。夕方には一軒一軒から五右衛門風呂を焚く煙が上 がり、陽が沈むときの海は必ずキレイで。人としてのスケールを感じさせる器の大きい患者さんとの出会いと、海空山の美しさに感激していました」

チッソの社長役の國村隼。事件を起こした人物とそのフォローをした二代目と、ふたりを 融合しひとりのキャラクターに仕立てている。© Larry Horricks

50年経っても、患者さんとの交流は続いているのだろうか?

「はい。先日お誕生日のお祝いに行った方は当時ティーンエイジャーだったけど、もう60代半 ば。会うとお互い、青春の気分になるんですよね」

だからこそ映画化という〝冒 険〟を前に協力を惜しまず、監督にさまざまな材料を提供した。 一部撮影現場も訪れたが、あとは「レットゴー(手放す)」。彼女を演じた美波にもアドバイス はせず、完成を待った。

いまユージンの信念が再注目 され、「彼は幸福な人」と改めて思ったそう。それで原発事故に揺れる福島や、世界中で現在 進行形の公害問題を提示するエンドロールを観て、「アンドリュー(監督)、やってくれた 」 と心の中で喜んだ。彼女自身、71歳の現在に至るまで反原発の市民運動を続けている。その原動力はなんなのだろう?

「やっぱり水俣とユージンです よね。彼はどこかドラマティッ クな、聖者のような気分があっ たのかも。どんなに大変でもやり遂げようとした。私にとって市民運動はアートです。楽しくてしょうがないんですよ 指 圧みたいにツボを見つけ、想像力を駆使し、柔道のように相手の力を使って行動していく。ちょっとした遊び心が大切です。 それで水俣の問題はず〜っと続 いていて、いまも正念場。この映画で世界中の人に知ってもらえたら状況がガラっと変わるかもしれない。そう願っています」

原案写真集『MINAMATA』が再販!

写真集『MINAMATA』は1975年アメリカで出版。’80年に出版された日本語版は長く絶版だったが、このほど再販された。クレヴィス 刊 4,400円。

※構成/浅見祥子

※この記事は、2021年ビーパル10月号に掲載されたものをウェブ用に再編集しています。

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