アメリカは人々が移動してできあがった国です。そしてルート66はそのアメリカの「メインストリート」、あるい「マザーロード(母なる道)」とも呼ばれています。この道路はアメリカの歴史と文化を象徴する遺産である、とはけっして大げさな表現ではありません。
2026年にアメリカを訪れる人は、きっとルート66のロゴをあちこちで目にするでしょう。ルート上にあるいくつかの都市では100周年を記念するイベントも計画されています。
観光という側面から見れば、ルート66には数多くの名所が存在します。レトロな雰囲気を醸し出すガソリンスタンド、モーテル、ネオン看板、カフェ、レストランなど、いわゆる「インスタ映え」スポットの数々です。それ以上に人々を魅了するのは北米大陸の雄大な風景でしょう。草原、山岳地帯、砂漠、そして太平洋へとゆるやかに変化する地形を肌に感じながらのドライブです。ルート沿いにはアウトドア好きの人なら寄り道してみたくなる場所にも事欠きません。
そんなルート66の「点と線」をこれからシリーズで紹介していきます。第1回目の今回はルート66ってそもそも何?って話から始めます。
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ルート66が歩んできた100年

ルート66は国策としての産業道路として誕生しました。1920年代のアメリカはのちに「狂乱」の形容詞がつきまとう、いわばバブル経済の時代でした。自動車が急速に普及し、国内の各都市を結ぶ道路網の整備が課題になっていくなか、中央部の農業地帯から南西部へ至る交通路として開発されたのが、このルート66だったのです。
しかし、バブル経済は必ず弾けることが歴史の鉄則です。1929年のウォール街における株価大暴落に端を発する大恐慌がたちまち世界を覆うことはご存知の通り。
さらにアメリカの中央部では干ばつや砂嵐といった自然災害に繰り返し襲われるという不幸が重なりました。生活の場を失った多くの農民家族が、家財のすべてをトラックに積み込んで、「約束された土地」と思われていたカリフォルニアを目指しました。その数は数十万人規模だと言われています。ジョン・スタインベックが『怒りの葡萄』で描いた厳しい現実です。その頃のルート66はまさに生存のための道路でした。
第二次世界大戦が終わり、アメリカが空前の繁栄期を迎えると、ルート66もまた明るいイメージを纏い始めます。自家用車が一般家庭に普及し、国内旅行を楽しむ文化が広がるなか、ルート66沿いにはモーテルやダイナーが次々と誕生し、広告看板やネオンサインが夜の道を鮮やかに彩るようになりました。1950年代から1960年代にかけて、ルート66が、ひょっとしたらアメリカそのものが、もっとも華やかだった時代でしょう。
しかし1956年に州間高速道路網の建設が始まると、ルート66は次第に主要幹線としての存在意義を失っていきます。高速道路はより直線的でスピードが出せるルートを採用したため、多くの町がバイパスされることになり、寂れていきました。そして1985年、国道としてのルート66は正式に廃止されます。
つまりルート66という名の国道はもう公式には存在しません。それでも、かつてあった道路がすべて消えてしまったわけではありません。
各地の自治体や愛好団体が歴史的遺産として、あるいは観光資源として、ルート66の保存運動を行ってきました。現在でも“Historic Route 66”という道路標識や史跡博物館のような施設がルート上の各地に残っているのはそのおかげです。廃線からすでに40年以上。偉大な達成と言えるでしょう。
約4000㎞の長い道

ルート66の起点はイリノイ州シカゴ、終点はカリフォルニア州ロサンゼルスです。8つの州とたくさんの町を通り抜け、全行程の距離は約4000kmに及びます。
ナット・キング・コール、チャック・ベリー、そしてローリング・ストーンズといった多くの名だたるアーティストがカバーした名曲『(Get Your Kicks on) Route 66』を耳にしたことはあるでしょうか? テレビドラマ『ルート66』の主題歌でもあります。能天気な明るいリズムに乗って、このルート上にある町の名を東から西へと次々に歌いあげます。
- シカゴ(イリノイ州)
- セントルイス(ミズーリ州)
- ジョプリン(ミズーリ州)
- オクラホマシティ(オクラホマ州)
- アマリロ(テキサス州)
- ギャラップ(ニューメキシコ州)
- フラッグスタッフ(アリゾナ州)
- ウィノナ(アリゾナ州)
- キングマン(アリゾナ州)
- バーストウ(カリフォルニア州)
- サンバーナルディノ(カリフォルニア州)
- ロサンゼルス(カリフォルニア州)
真にルート66を体験したいと思うなら、クルマに乗って、シカゴを出発して、これらの町々を辿り、最終的にはロサンゼルスを目指すことが、正しい旅の方法なのでしょう。
むろん容易なことではありません。前人未踏の探検というわけではありませんが、一般の旅行者にとっては十分な冒険です。それなりの日数はかかりますし、お尻も痛みます。
きつい旅だぜ、と歌った永ちゃんこと矢沢永吉の名曲『トラベリン・バス』の歌詞にも「シカゴ、はるかロサンゼルスまで」とあります。ルート66の名こそ使われていませんが、アメリカを横断するということの困難さを象徴しているかのようです。
もっときつい旅をした日本人の話を、終点ロサンゼルスの近くにあるルート66博物館の案内人から聞いたことがあります。 ルート66全行程をたったひとりで、それも自転車で走破したのだそうです。
案内人は年のころ70歳以上と見えた老人でした。スマホを取り出して見せてくれた写真には自転車に荷物を満載したサイクリストが写っていました。
「彼はわざわざ日本からやってきて、シカゴからここまで自転車で旅してきたんだよ」 とまるで孫の自慢話をするかのようでした。永ちゃんに「お前に分かるかい?」と問われているようでもありました。
ルート66の点と線を繋ぐ旅

アウトドア好きなら、ルート66のサイクリング旅行という快挙には胸が躍るでしょう。私もできることならやってみたい。でも無理だろうな。そんな風に思いながらも、それ以来ルート66のことがずっと気にかかってきました。
いくつもの町や博物館を訪れ、部分的ではあってもクルマで走ってきました。並行して走る鉄道で旅をしたこともあります。
ルート66のほとんどは都市部から離れています。クルマ以外でのアクセスが現実的ではない部分もあります。食事や宿泊場所の選択肢に困ることもあるでしょう。むしろ、不便であることの方が普通だと言えるかもしれません。
それでも、ルート66の旅を諦める必要はありません。全行程を一気に走破することはできなくても、気になった町や土地を短期で訪ねることはできるからです。実際にロードトリップに出かけなくても、数多くの書籍や映画で想像することもできます。それを繰り返すことで、私の中ではルート66の点と線が段々と繋がり始めてきました。
これからのシリーズでそんな場所やエピソードをひとつひとつ紹介していきます。100周年をきっかけにルート66に興味を持った人がひとりでも「行ってみたいな」と思ってくれたら嬉しいですね。








