『カーズ』は擬人化されたレーシングカーの主人公がテネシー(たぶん)からカリフォルニアへと向かう長い旅の途中、アリゾナ州内の架空の町「ラジエーター・スプリングス」で停滞を余儀なくされるというストーリーです。それはともかくとして、この町の描写がとてもリアルなのです。
ラジエーター・スプリングスはかつてルート66沿いの町として栄えましたが、州間高速道路40号の開通によって、立ち寄る人が激減して、町は寂れていきました。現実にルート66沿いの多くの町が辿った歴史的経緯をなぞっています。
フィクションの形を取りながらルート66の現在の姿を生き生きと描いたという意味合いにおいて秀逸な作品です。そこには宮崎駿さんの諸作品と通底するものがある、と個人的には感じます。
- Text
●前回はこちら
ルート66最高の風景はアリゾナにある?
アリゾナ州の雄大で美しい風景も『カーズ』を構成する重要なバックボーンのひとつです。茶色の岩石と緑の樹々が作り出すコントラスト、大地を引き裂いたような峡谷、地平線に沈む太陽、あるいは地平線から上る太陽。ルート66はそんな大自然を貫いて走っています。
■映画『カーズ』予告編
監督・脚本のジョン・ラセター氏は実際に大陸横断のドライブ旅行を行い、作品の着想を得たそうです。きっとこのアリゾナ州周辺の風景こそがルート66を描くうえでもっとも相応しい舞台だと思ったのでしょう。
ちなみに、カリフォルニア州アナハイムのディズニーランドに隣接するテーマパーク、「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」では、『カーズ』の世界を再現したライドが人気です。

そのアリゾナ州を通り過ぎ、カリフォルニアとの州境が近づくにつれて、車窓から見える風景はだんだんと単調になっていきます。空と大地は相変わらず広大ですが、起伏が少なくなり、ぼそぼそと生えている灌木も緑より茶色が目立つようになります。要するに砂漠です。
そんな風景に飽きてきたころ、やや唐突に現れたようにも思えるコロラド川の橋を渡ると、そこはもうカリフォルニア州です。今回紹介するニードルズはそのコロラド川沿いにある州境の町です。
川が境界線になるということ
日本の都道府県地図とアメリカの州地図を見比べてみると、境界線に直線が占める割合に大きな違いがあることが分かります。アメリカのとくに西半分は州境の大部分が機械的な直線です。日本の県境の多くは山や川のような自然の地形によって分けられていますが、アメリカの州境のほとんどは人工的に線が引かれたものだからです。
そのなかで、ニードルズは例外的な存在です。ここでは、州境が直線ではなく、コロラド川の流れそのものに沿っています。蛇行する川が、そのままカリフォルニアとアリゾナを分ける境界線になっているのです。規模は大きく異なりますが、多摩川が東京都と神奈川県を分け、江戸川が東京都と千葉県を分けることに似ています。
ニードルズは「人工の境界」ではなく「自然の境界」のそばにある町です。東からルート66を旅してきた人にとっては、いよいよ最終地となるカリフォルニア州の入口でもあります。大きな川を渡ることで、地図上の「目に見えない」線を越えるというよりも、別の州へ「物理的」に移動したという実感を与えてくれる気もします。

ルート66以前の歴史
ルート66が生まれる前から、ニードルズはずっと「交通の要衝」でした。
元々、コロラド川沿いには、北米先住民のモハーヴェ族(Mojave)が暮らしていました。川の水は農耕と生活を支え、ニードルズは重要な交易ポイントのひとつでした。
19世紀後半になると、ゴールドラッシュと西部開拓の波が押し寄せます。川を安全に渡れるこの地点は、開拓民や商人にとっても重要な交通拠点となりました。
そして鉄道の時代がやってきます。1908年、サンタフェ鉄道によってEl Garces駅舎がニードルズに建設されました。単なる駅ではなく、ホテル、レストラン、待合室を備えた豪華な複合施設です。当時は「砂漠のオアシス」のような存在でした。淡い色の壁とアーチ型の回廊が特徴的なスペイン風の優雅な建物です。
現在のEl Garces駅舎は建物が修復され、ニードルズを象徴する歴史的遺産として大切に保存されていますが、それだけではありません。ルート66と並行して走る長距離鉄道アムトラックのサウスウェスト・チーフスは今でもここで停車します。

ルート66の時代と『怒りの葡萄』
20世紀に入り、自動車が普及すると、大陸を横断する交通手段の主役は鉄道からハイウェイへと移ります。
1926年にルート66が開通しました。シカゴからロサンゼルスへ向かう「マザーロード」です。ニードルズもその拠点となり、市内で鉄道と道路が交錯することになったのです。
ルート66を旅する人たちのためにガソリンスタンド、モーテル、ダイナー、土産物店などが次々と建てられ、ニードルズはもっとも賑やかな時代に突入しました。当時は夜通しネオンが灯り、トラックや家族連れの車が行き交ったといいます。
ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』でも、この地域は重要な通過点として描かれています。
映画版では、ジョード一家がルート66を西へ進み、コロラド川を渡ってカリフォルニアへ入る場面が印象的に映し出されます。ニードルズ近辺の橋や標識、川沿いの景色が、ついに「約束の地」カリフォルニアへ到着したという瞬間を象徴する舞台として使われています。
20世紀スタジオがYoutubeで公開している『怒りの葡萄』予告編には開始後2.10前後にアリゾナ州からカリフォルニア州へ入る橋を渡るジョード一家のトラックが映し出されています。
■映画『怒りの葡萄』公式予告編
ただし、ジョード一家にはニードルズの繁栄を謳歌することはできませんでした。町外れのキャンプ地に泊まり、満足に食べ物も買えない。そんな苦しい日々が続きます。カリフォルニア州に入った頃には祖父と祖母は2人とも亡くなり、さらに長兄と義弟も姿を消します。『怒りの葡萄』で描かれるルート66はひたすら厳しい苦難と生存の道なのです。
現在のニードルズ
私はこれまでにニードルズを通過したことが2度あります。一度は夜行列車が停車したときに駅のホームに下りただけでしたので、町の様子は何も分かりませんでした。もう一度はドライブ旅行の途中で、目についたモーテルに1泊しました。
何もないところだな、が正直な感想でした。もしニードルズの関係者がここにいたら大変申し訳ないのですが、町をぐるっと一回りしたときに私はそう感じました。
モーテルの入口にも、その前を通る道路にも、そして店の壁にも、ありとあらゆるところにルート66の文字やロゴが描かれていました。逆に言えば、この町にはルート66以外には特筆するべきものは何もないようでした。繰り返しますが、私の個人的感想です。

どれだけ控えめに表現しても、ニードルズは観光の目玉になるような町ではないと思います。旅の目的地にするのではなく、あくまで通過点として考えるならば、立ち寄る価値はあるかと思います。
ルート66が華やかだった時代の空気を感じて、何もない町でゆっくりと過ごす1日があっても、悪くはないかもしれません。

ひとつだけアドバイスです。ニードルズやその周辺を訪れるなら、季節を選んだ方がよいでしょう。私がニードルズを訪れたのは2度とも冬でしたが、それ以外の季節は覚悟が必要です。砂漠地帯にあるため、とくに夏の暑さは過酷だからです。日中の最高気温は摂氏40度を軽く超え、時には50度近くになることもあるそうです。
トリビア的な話をするならば、ニードルズは「世界史上もっとも気温が高い日の降雨」という珍しい記録を持っているほどです。
2012年8月13日、ニードルズの最高気温は摂氏46.1度に達し、それでいて湿度は11%と低く、空から雨は確かに降ってきたものの、瞬く間に地上から蒸発したということです。「砂漠に降る幻の雨」をあなたも目撃できるかもしれません。そうしたものに興味がない人は、やはり夏は避けた方が賢明です。









