
昨年、未曾有の災害に見舞われた能登・輪島市三井町で、里山の暮らしを守り受け継ぎたいという思いを胸に “森づくり”を進めている「のと復耕ラボ」。代表の山本亮さんと副代表の尾垣吉彦さんへのインタビュー後編は、高く伸びた木々が三井町の歴史を感じさせる森の中を歩きながら始まります。
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のと復耕ラボ 代表の山本亮さん(左)と副代表の尾垣吉彦さん(右)
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「自伐型林業は面白いよ」って声をかけられて 〜そして、震災
―― うっそうとした暗い森を想像していましたが、道ができているせいか明るさもあります。
尾垣さん(以下敬称略) この山はアテと呼ばれるヒバ(ヒノキアスナロ=石川県の県木)が植えられた人工林です。道幅は2~2.5mが基本。森の中を縫うように山頂に向かって造っていく林道で、道の両側に木を残しています。
というのは、木々の枝葉によって直射日光を遮り、道に雑草が生えにくくするため。路肩を丸太を積み上げた木組みで強化するなど、「自伐型林業」が基本とする壊れにくい道づくりを、ひとつひとつ学びながら行っているところです。

道幅2mほどの小道は、木材搬出などの作業道としての機能だけでなく、住民が入りやすくなることで山林管理も可能となる。

―― 丁寧な道づくりを行っているのですね。少人数でも実践でき環境保護にも貢献できる林業といわれる「自伐型林業」との出会いは、どんなふうに?
山本 僕が三井に移り住んだ当初は輪島の地域おこし協力隊員として活動をしていたのですが、「自伐型林業」のことはその時代に知りました。「自伐型林業」の普及活動をしている方の講演があるというので話を聞きに滋賀まで行ったりもしていました。三井はもともと林業の町だし、目の前で荒れていく里山を見ていましたから、いつかここでやってみたいと思っていました。
尾垣 僕が「自伐型林業」のことを知ったのは5年ほど前、健康の森でキャンプ場の仕事をしていた時です。
福井で山林管理の講座を開催している「ふくい美山きときとき隊」の代表理事・宮田香司さんに、健康の森で「自伐型林業」の研修を年に2回ほど行ってもらっていました。その頃は目の前の仕事が忙しく林業には興味を持てなかったのですが、「自伐型林業は面白いよ」って宮田さんから声をかけられて。研修をのぞきに行ってみたら、手法のひとつひとつが理にかなっていて。凄いなーって感心してしまいました。とはいえ、僕はまたキャンプ場での日々の仕事で忙しく過ごしていたのですが……。
去年の1月。能登半島地震の直後に僕たちのところに、福井から宮田さんが重機を載せたトラックを運転して来てくれたのです。
山本 僕が宮田さんと初めましての挨拶を交わしたのは1月15日でした。長期で災害ボランティアをする予定で能登に来た宮田さんは、4月に入る頃まで、ここを拠点に活動してくださることになったのです。
宮田さんは、東日本大震災のときには3年間東北でボランティア活動をなさった、そんな方だったのです。
積み重ねてきたことが全部白紙になってしまった中で
―― 震災では能登地域を中心に甚大な被害が出ましたが、ここ三井町はどんな状況だったのでしょう。
山本 家屋の倒壊や被害も多く、亡くなられてしまった方もいます。住む家を失い、仮設住宅で多くの方が暮らしていますし、人口の1割以上がこの1年で流出しています。また、土砂崩れがいろんな場所でおき、林道とされるところの倒木もすごくて、現在も山に入れない場所がたくさんあります。
そんな状況の中、震災直後に能登に入った宮田さんは僕らのところに滞在して、三井町を中心に様々な復旧作業をしてくれました。

尾垣 日中は作業をして、夕方に茅葺きの家に戻るという毎日が続いたのですが、夜な夜な、宮田さんが「自伐型林業」のことだったり、チェーンソーや重機の扱いが災害の現場で生きて防災につながるといったことを話してくれたんです。そうか、大事なこと、学ばなければならないことがたくさんあるな、と感じました。
山本 地震に遭ったことで積み重ねてきたことが全部白紙になってしまい、僕はこれからどう生きていくのか、という気持ちになっていました。そんな中、宮田さんやボランティアに来てくれた人たちと話をすることで、三井町は本来林業で栄えた町なんだから、もう一度森からエネルギーや木材を得られる暮らしをつくることができれば、この先も生きていけるかな、住み続けられるんじゃないのかな、という気持ちになりました。
そこから、森づくりがやれたらいいよねという話が2月とか3月に出て。じゃあ、4月はボランティア活動をしっかりとやろう、それと横並びで自分たちのやりたいこともやっていこう、と決めました。それで、6月くらいから森づくりプロジェクトが動き出しました。

山の所有者から「あなたたちなら任せてもいいよ」と言われて‥‥
―― 森づくりの一歩目としてやったことは何だったのでしょう。
山本 自分たちは山を持っていないので、山を利用させてもらう、森に手を入れさせてもらう、ということになります。なので、始めるに当たっては山の地権者(所有者)などの情報を調べました。
尾垣 山の周りには20軒くらいの家があるので、一軒一軒まわって説明をして協定書を結ぶ必要があったんです。

山本 今、記録を見てみたら、地権者回りを始めたのは9月18日。能登豪雨の3日前です。
―― 復興に向け少しずつ歩みを進めていた最中に追い討ちをかけられた記録的な大雨による豪雨災害でした。
尾垣 あの豪雨の後は、もう森づくりなんてできないんじゃないかと思いました。それでも地権者まわりを再開したんですが、「あなたたちなら任せてもいいよ」って言ってもらえて。協定書の締結が順調に進んだのは、震災直後から僕らがボランティア活動をしていることころを見てくれていたからだと思います。
―― 「自伐型林業」の手法を取り入れることは豪雨災害にも強い森づくりにつながるのでしょうか。
尾垣 能登豪雨のときは、福井県も大雨に見舞われたのですが、福井市大宮町の宮田さんの森の作業道には、分散排水という処理が施されていたので、道がどこも崩れなかったそうです。それを聞いて、ちゃんとした技術を持って道をつくることが大切。自分たちの森にも取り入れたいと思いました。
地震に続いて豪雨という2度の災害を経験して思ったこと
―― お話をうかがって、丁寧な森づくりには大きな意味があることがわかった気がします。それで、最終的に目指す森の姿というのはあるのでしょうか。
尾垣 目標をつくって、それに向かっていくのが普通ですよね。でも、地震に続いて豪雨という二度の災害を経験をして僕が思ったのは、目標を持つより前に、全部崩れたとしたら自分には何が残るのだろうってこと。
昔の人って、応用が効いて何かに対応できる知恵とか技、生きる力みたいなものがあったと思うんです。それが僕らの世代にはまだ、いくらか引き継がれている。なので、この地域で僕らが今、森づくりにチャレンジすることで学んだ知恵や技術を生きる力に変えいくことができたら、それを、三井町の子供だったり、外から関わってくれる人たちと一緒にやっていけたら、面白い未来ができるんじゃないかな、と思っています。


僕たちが森に関わることでどんな変化がおきるか
山本 人工林は災害の危険が高いから広葉樹の森を目指そうとか、針広混交林化しようとかいう話もあるのですが、僕らはそういうふうには考えていなくて。アテはアテで地域の文化として大事だし、香りもいいし、湿気に強く腐りにくいという性質もある。この先、樹齢百年、二百年の太いアテの木が、この地域に生えていても面白いと思うんです。
それと、人工林の中ってほとんど山菜がないのですが、この前、ここで作業をしていたら山菜の女王と呼ばれるこしあぶらを見つけたんです。それで周辺の木の枝を落としてそこに日が当たるようにすることで、来年はここでもっと山菜が採れるようになるかもしれない。こんな風に「自伐型林業」のやり方で間伐とか択伐をすることで、いずれは暗い森に日が入って、いろんな植物が生えてくる森に変わっていくでしょう。
僕たちが森に関わることでどんな変化がおこるか、そこから自分たちがどんな恵みを得られるだろうか、ということも含め、ラボ(実験)しているという感じです。

―― その実験に参加するのも楽しそうです! サポーター募集やイベントの情報なども、SNSでチェックしようと思います。次にここに来たときは森の様子がどんな風に変わっているのか、それを見るのも楽しみです。
きょうはたっぷりとお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
【一般社団法人 のと復耕ラボ】
2024年1月1日に発生した能登半島地震の直後に被災者たちによって設立された。築170年の茅葺き屋根の古民家を拠点に、1日も早い復興、再生を目指して、民間のボランティアセンターを運営。延べ4000人(2025年7月現在)のボランティアを受け入れた。併せて、能登・三井町の新たな未来を描くために、倒壊した家屋の古材活用に取り組む「古材レスキュープロジェクト」、持続可能な里山・森づくりを目指す「森づくりプロジェクト」の活動を展開している。

●のと復耕ラボ
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●自伐型林業についての参考サイト
自伐型林業推進協会 https://zibatsu.jp
ふくい美山きときとき隊 https://kitokitoki.com