
初回は東京都中央区の「日本橋」です。
東京23区内に85本もある「緑道」
「東京には緑が少ない」「23区内では気軽に自然と触れ合えない」といった言葉を見聞きすることがあります。そのたびに僕は「え!?」となります。23区内にも自然があるけどな、と思います。
例えば「緑道」。河川や運河の暗渠、線路や旧道の跡地などに整備された道です。「ホニャララ遊歩道」「◯✕親水プロムナード」といった名称で親しまれているところもあります。
通勤や通学の途中に、買い物や食事に出かけた道すがら、あるいは休日に散歩がてら、はっきりと意識しないままに緑道を通っていることも多いかもしれません。

僕がざっくり調べた範囲では、東京23区内にある緑道はおよそ85ルート。もっとも多い江戸川区内には、15ルート以上もあるのです。
アメリカの3大ロングトレイルを踏破し、日ごろから歩くことをなりわいにしている僕は思いました。せっかく身近な場所に多くの緑道があるのに、ただ通り過ぎているだけなんてもったいない!
いつも通っている道であっても、初めて歩くかのような新鮮な気分で踏み入れてみてください。心からくつろいで、それでいて真剣に歩いてみてください。
これまで見過ごしていた草花を目にして、小さな季節の変化に気づくかもしれません。自宅近くで、意外な歴史スポットにめぐりあえるかもしれません。「かもしれません」を連発していますが、近所の緑道で今までに味わったことがない楽しさを感じられるかもしれません。
これから、僕がプロハイカーの視点で東京23区内の緑道を「GREEN WAY」と捉え直し、実際に歩いた足跡を紹介します。身近な自然に触れることの心地よさ、そして歩くことの楽しさも含めて伝えられたらと思っています。

1st ルート:日本橋
ということで、「東京GREEN WAY」初回となるFILE.1で歩くのは「日本橋」です。
全ての道はローマに通ず、ではないですが、日本の国道の起点が日本橋にあります。そこで、この連載のスタートも、日本橋にしようと考えたわけです。
今回のルートのトレイルヘッド(=トレイルの起点となるアクセスポイント)は、東京メトロ半蔵門線・銀座線三越前駅B5出口。ここから120mほど、ちゃっちゃと歩けば2分ほどの道のりが、今回のルートです。

「え、短い!?」と思われた方もいらっしゃると思います。
僕が日ごろ身を置いているのは、ときには半年以上かけて数千kmの距離を歩くこともあるロングトレイルの世界です。来る日も来る日も歩いていると、筋力や心肺機能がトレイル仕様に整ってきます。そうした身体を「ハイカーボディー」といいます。
ハイカーボディーになる前、スタートして日が浅いうちは、1日に10数kmしか歩きません。無理や無茶をせず、少しずつロングトレイルに身体を慣らしていくのです。
無理をしないのは、GREEN WAYも一緒です。何かを競ったり誰かと争ったりしているわけではないし、長い距離を歩くことが偉いわけでもありません。わずかな距離であっても、自分がぐっとくるポイントが見つかればOKなのです。
三越前駅B5出口を出ると、気になるお店の看板がありました。「TRATTORIA yue」というイタリアンです。
東京というか日本の中心、日本橋に店を構えていながら、ランチがサラダ付きで900円です。「TRATTORIA yue」が入っているビルには、他にもインド料理や豆腐料理のお店もあります。
まだ歩き始めてもいないのに、店の前で「何を食べようかな?」などとメニューの写真をぼーっと眺めてしまいました。先が思いやられます。

さて、気を取り直してスタート。三越前駅B5出口を出ると、すぐに日本橋が見えてきます。目と鼻の先ですが、橋の手前に「元標の広場」がありました。
今まで数え切れないほど日本橋近辺を歩いていますが、全く目に入っていませんでした。よくいわれるように、人間は見たいものしか見ません。きちんと意識しないと、そこに何かあっても視界に入らないのです。
今回、「何かないかな」と前のめりで歩いて気づきました。日本橋って、実は見どころ満載なのです。
日本国道路元標(複製)
日本橋の手前にある「元標の広場」には、街灯型の「東京市道路元標」とともに、台座にはめ込まれたとされる「日本国道路元標」の複製が設置されています。レプリカではないオリジナルの日本国道路元標はというと、日本橋の車道中央に埋め込まれているそうです。
なお、日本国道路元標の文字は当時の内閣総理大臣、佐藤栄作氏によるものだとか。元標の広場には里程標も設置されていました。


日本橋
日本橋は、徳川家康が征夷大将軍に任じられた1603年(慶長8年)に造られました。当時は長さ約68メートル、幅約7メートルの木橋だったといわれています。
その後、旧東京市は耐久性などの問題から、それまでの木造の日本橋から最終的に石造りの橋とすることに決定。橋の装飾については、建築家の妻木頼黄氏にデザインを委嘱しました。西洋的なデザインを主体とし一見洋風なデザインですが、麒麟と獅子といった東洋的なモチーフを採用。柱の模様に一里塚を表す松や榎木を取り入れている点などを見ると、日本的なモチーフも取り入れた和洋折衷の様式を持ったデザインに仕上がっています。
ちなみに、橋の表柱の銘板の筆描きは、徳川最後の将軍である徳川慶喜だそうです。しかも、橋の上にある高速道路に記されている「日本橋」は橋の表柱の銘板をコピーしたものだとか。

歩き始めてたった1分間でこんなにも情報が…。奥深いですね、日本橋。
日本橋魚河岸跡
元標の広場と道路を挟んだ向かいには「日本橋魚河岸跡」がありました。江戸時代初期、佃島の漁師たちが将軍や諸大名に販売したものの残りを庶民に売り出したことから、日本橋の魚河岸が始まったそうです。
その後、日本橋北詰から荒布(あらめ)橋までの河岸に多くの魚店が出店。魚を売る河岸なので「魚河岸」と呼ばれるようになったとか。この日本橋魚河岸は、朝だけで一日に千両の取引があるといわれ、魚河岸の旦那の中には江戸歌舞伎のスポンサーだった人物もいたそうです。関東大震災により、多くの魚屋が崩壊し、江戸時代初期から約300年続いた魚河岸は、1935年に築地市場へ移転したのでした。
市場が築地に移転して中央卸売市場という名称になりましたが、一般的にも「魚河岸」と呼ばれ続けていました。魚河岸=魚市場ということで、この場所は「日本橋魚市場発祥の地」となっているそうです。

日本橋魚市場発祥の地には女神様らしき像も鎮座しており、その台座には「江戸任侠精神発祥の地」と記されていました。魚河岸は活気にあふれていて、その勢いから鼻っ柱の強い独特の気質がうまれ、義理と恩義を重んじる気風が育まれたんだとか。
江戸っ子というと、短気で喧嘩っ早い反面、粋でいなせで人情家といったイメージがあります。そういった江戸っ子気質、つまり江戸任侠精神が、日本橋の魚河岸で醸成されていったのかもしれません。
それにしても、日本橋魚河岸跡に鎮座する女性像の正体は一体…?と、もったいぶらずに正解をいうと、乙姫様だそうです。魚河岸、魚にちなんで、浦島太郎物語の乙姫様を像にしたそうです。なるほど…。

ようやく日本橋を渡ると、「日本橋由来記の碑」がありました。日本橋の来歴は、先述した通りです。

その「日本橋由来記の碑」と隣接して「日本橋観光案内所」があります。そして、道路を挟んだ反対側には、フェリー乗り場がありました。
ここ、ベンチがあるので以前から休憩所として利用していましたが、フェリー乗り場だとは知りませんでした。人間は見たいものしか…(以下略)。
日本橋クルーズは通年運行しているものだけでも数コースあり、そのほかに桜の時季などの季節限定コースもいろいろあるようです。クルーズ船に乗って、川面から眺める日本橋も楽しそうです。
日本の道路の起点は見どころが多く、45mの日本橋を渡り切るだけでも大変でした。
「ただ日本橋を渡っただけ?」と聞かれたら「はい、そうです」としか答えようがありません。でも、繰り返しますが、短い距離であっても、そこに何かを見出し、自分なりに楽しむのがGREEN WAYの面白さなのです。といいつつ、次回からはもう少しロングなGREEN WAYをご紹介します。
■今回歩いたルートのデータ
|距離約120m
|累積標高差約1m

今回のコースを歩いた様子は動画でもご覧いただけます。