
三浦豪太の朝メシ前 第7回 文脈のわからない挑戦

プロスキーヤー、冒険家 三浦豪太 (みうらごうた)
1969年神奈川県鎌倉市生まれ。祖父に三浦敬三、父に三浦雄一郎を持つ。父とともに最年少(11歳)でキリマンジャロを登頂し、さまざまな海外遠征に同行し現在も続く。モーグルスキー選手として活躍し長野五輪13位、ワールドカップ5位入賞など日本モーグル界を牽引。医学博士の顔も持つ。
スリリングすぎる滝壺ダイブ
「乙女の滝」は札幌市手稲区、手稲山にあり、以前手稲山をトレランしているときに見つけた。通常の登山ルートからは少しはずれた、その滝は手稲山からの豊富な水量を湛えた立派な滝であった。
滝壺も深そうで、夏の暑い日に飛び込んで遊んだら面白いだろうとそのときは思った。残念ながら見つけたのはもう9月末の秋のこと。ランニングの格好で飛び込むにはいささか季節はずれであった。
それから季節が巡り暑い夏がやってきた。朝メシ前クラブ(BBF)でできる〝涼しくて心躍るナニか〟がないかなと思ったとき、ふと「乙女の滝」のことを思い出し、「あそこの滝から飛び降りてみよう」と考えた。
僕は時折、こうした高いところから飛び降りたいという衝動に駆られることがある。もしかしたらこれは幼少のころの原体験によるものではないかと思う。
その昔、神奈川県茅ヶ崎に住んでいたとき、庭には競技用のトランポリンが置いてあった。日本にまだ数台しかなかった本格的なもので、当時、駆け出しのプロスキーヤーだった父の収入からすると、かなり不釣り合いな代物だ。
そのトランポリンはクルマよりも高価だったが、我が家はクルマを買うよりも先に、トランポリンを買うことを選んだのである。理由は明白だ。「トランポリンは遊びながら空中感覚を養えるからだ」と父はいった。
このトランポリン遊びのひとつに、〝家の屋根からの飛び降り〟があった。屋根とトランポリンの間には柿の木があり、それを飛び越えてトランポリンに着地するのだが、当時5歳の僕は、飛ぶ前のドキドキ感、そして見事にトランポリンに着地したときの達成感を楽しんでいた。
その後、アメリカ留学中のオレゴン州では10mの橋から飛び降りて遊んでいた。その次はワシントン州のホワイトサーモンリバーにある18mの滝壺を。ノルウェーでは20mのフィヨルドの崖を飛び、立派なクリフジャンパーとしてのキャリアを積んでいった。まあ、父が冒険スキーヤーでエベレストを直滑降したことを考えれば可愛いものだが。
さて、改めて「乙女の滝」を見てみよう。高さはおおよそ5mとそれほど高くない、しかし形状がこれまでの経験とは異なる。「乙女の滝」の上部は跳んで滝壺に飛び込むような足場がない。滝壺に落ちるには上部の川に入り、その流れに沿って落ちるしかない、のである。イメージとしては飛ぶというより、絶叫滝スライダーだ。
こうして想いを募らせ、頭でシミュレーションを繰り返した僕は、「明日、乙女の滝に行って滝スライド落としをしよう」と、LINEで写真付きのメッセージをBBFメンバーに送った。
やってみなくちゃわからない絶叫の滝スライダー
僕としては、頭の中に乙女の滝に飛び込むイメージが完璧にでき上がっているが、メッセージを受け取ったみんなは「滝???」「滝スライド?落とし!!!」……と、無数のはてなマークが頭に浮かびあがったという。
朝の5時にBBFメンバーを迎えに行く。集うはコアメンバーであるタンナカ君とS氏だ。さすがの強者であるふたりも滝を目の当たりにして初めて、今日のチャレンジについて理解をした。
さて、この滝スライダーを行なうのにあたりいくつかの確認があった。まずは水の冷たさだ。8月とはいえ、山の谷間を流れる水は痺れるほど冷たい。ゆっくり入ろうとするが、さすが滝壺、足が届かずドボンとそのまま胸まで一気にずり落ちた。
「うぎゃー」と叫ぶ。心臓の弱い方は入水にはご注意を。続いて、体を水に慣らした後は、滝壺に十分な深さがあるかどうかを確認しなければいけない。僕は準備してきた水中眼鏡をつけて、滝を潜ってみると3m以上の深さがある。これだけ深ければ、落ちても川底に着くことはないだろう。
その次は、滝の上部へのアプローチである。上部へは横の急斜面を登らなければいけない。このために50mロープを用意してきた。足場は土で脆く点々とある木を頼りに上がる。ひとつひとつの木にカラビナを着け、スリングを巻き付け、そこにロープを通し安全を確保してルートをつくった。
最後の準備は、〝滝スライダー〟のルート探しである。これがまた大変だった。滝の上部はものすごい勢いで水が流れ、どのラインが滝壺に続いているのかがわかりにくい。また足元もツルツルで、もしも足を滑らせて中途半端な体勢で落ちたり、水のラインを間違えたところに落ちたら一大事だ。
ヘルメットとライフジャケット、バックプロテクターを足から通してお尻パッドとして装着したが、それでも岩に当たったり、滝壺以外のところに落ちたら大怪我するに違いない。
こうして、安全確認と水の流れを確認したうえで、いよいよチャレンジだ。言い出しっぺの僕が最初に行く。
タンナカ君は上部でアシスト役、S氏はサーファーで泳ぎもうまいことから、滝壺の横にもしものときのためにスタンバイしてもらう。
僕は上部の流れが緩いところに足を下ろし、滝壺に続くラインを見極める、そしてここだと思うところに座り込むと、途端に大量の水に体を押される。「うおーーー!」と叫びながら、川の切れ目に向かっていく、その先には空間しかない。そして浮遊感と同時に視界は滝壺に向かって開ける。
お尻が何かに当たってふわりと弾む。パッドのおかげで感覚も痛みもないが、滝の真ん中がスプーン上に凹んでいてそこに飛ばされたらしい。しかし、そんなことを考える間もなく滝壺に落ちていた。
あっという間の出来事だった。ライフジャケットのおかげでそれほど沈むことなく、浮かんですぐにガッツポーズをする、そしてS氏もタンナカくんも一緒にガッツポーズをした。
タンナカくん、S氏もそれぞれ滝壺スライダーを経験した。朝の6時前から滝に飛び込むという修験道士顔負けのチャレンジを行なった。みなの顔には達成感が浮かんでおり、われわれBBFメンバーには、さらなる一体感が生まれた。
ある南の島では、蔦を絡めて高い場所から飛ぶ天然バンジージャンプが成人の儀式とされているが、僕たちBBFも〝乙女の滝スライダー〟をもってして入会の儀式にしよう、と盛り上がった。だが数年たった現在、何人もの人たちがBBFに参加しているが、結局僕たち3人以外は滝スライダーをやっていない。

自宅の屋根から飛び降りる僕。そびえる〝柿の木〟を越え、地上のトランポリンに着地。三浦家は体を使う玩具の導入に熱心だった。

落差約8m、岩肌を伝って流れる「乙女の滝」で、スライダーに初挑戦するBBFメンバーのふたり。乙女の名は、汚れのない岩清水に由来するそう。

見事&無事、滝スライダーを成し遂げたBBFメンバー。左からタンナカ君、S氏、そして僕。絆が深まった瞬間だ。
※構成/山﨑真由子
(BE-PAL 2025年5月号より)