
松本明子のアポなし軽キャン日記|第9回 私、松本明子の車遍歴~車は動く部屋。着替えも文具もお祝儀袋も揃えてます
山に気軽にアクセスできるように、とはじめたアムズレンタカーですが、そもそも車、結構好きなんです。
父が乗っていたのは日産のブルーバード。毎週末ごとに家族で四国八十八か所巡りをしたり、高野山や南紀白浜に行ったり、しょっちゅう車で出かけていました。父も(!?)アポなしが好きな人でして、泊まるところも予約せず、行き先も行き当たりばったりで出発するものですから、泊まるところがなくて家族でラブホテルに泊まったり、野宿したり、車中泊することも珍しくありませんでした。
免許を取ったのは23歳のとき。当時は、免許を取って自分の車を買うことがステータスでした。21歳からひとり暮らしをはじめたのと同時に、月々5000円積み立てて。トータル25万円ぐらいで取りました。1回仮免で落ちましたけど。
1991年、25歳のときに自分ではじめて購入したのは水色のフィアット・ウーノ。

はじめて車を買った喜びが伝わる、フィアット・ウーノとの記念写真。
中古で50〜60万円ぐらいだったかなぁ。外国車に憧れてまして。はじめて助手席に乗せたのが松村邦洋さん。体重が120〜130㎏あったから、車が傾いてましたよ。
中野から四谷の日テレまで『進め!電波少年』の収録に向かいました。普通40分ぐらいで行けるはずなんですけど、3時間かかりましたね。帰りも送ってあげるよ、って時間かからないように高速乗ったら上野に着いていました。「もう松本さんの車には乗らない」っていわれましたね。当時はカーナビなかったですから〜。
でも車を買ったのがうれしくてね。よく、横浜に行ってました。これまた流行りでしたね、横浜が。ジュークボックスのある有名なバー・スターダスト。このお店の前に車を停めて写真撮るのがステータス。山手の外国人墓地、港の見える丘公園、ブリキのおもちゃ博物館、一年中クリスマスのお店クリスマストイズ。結婚して子供が生まれてからも、遊びに行くのは横浜でした。知ってる道しか冒険できないという。
買ったフィアットは故障も多くて、最後は運転席の足元が水たまりになり、廃車になりました。雨漏りなのかなんなのか?

3年前、バグトラでバー・スターダスト前まで行って記念撮影。
明子の全盛期はBMWで決まり
いよいよ次はジャンピングアップして、BMWです。愛車歴は、収入が垣間見えますね。1993年。『進め!電波少年』『DAISUKI!』『TVチャンピオン』など、やっと自分のレギュラー番組を持てるようになって、親を四国から呼び寄せました。松本明子の全盛期突入です。
で、BMW 318。小さい紺のビーエムです。やっぱり憧れは左ハンドルの外車。20代、バブル後期ですけど、また流行ったんですよ、猫も杓子も紺のビーエムのセダンが。いまよりもカクカクしたかたちでね。このころ、ドラマも呼んでいただけるようになって、田村正和さん主演の『カミさんの悪口』というドラマに出させていただきました。田村さんの同僚(橋爪功さん)の愛人役で(笑)、正和さんの家に居候する役でした。
周りはベテラン勢ばっかりで、もう毎日緊張の連続でした。その撮影場所が、横浜の青葉区にある緑山スタジオ。車で自宅から1時間半くらいでしたかね。自分が出てないシーンでも現場にいたくて、セットのテーブルの下とかに隠れてジーっと見学してました。
余談ですが、田村正和さん、格好良くて素敵でですね〜。お弁当食べているところもトイレ行くところも見たことないってぐらい、24時間スターでした。端正な顔立ちでスタイルも良く、いいにおいがして…。私はずーっと見とれて凝視!「恥ずかしいからそんなに見ないで」といわれました。
初ドラマがはじまったんで、事務所の社長から「電車で通うの大変だから、ドライバー探して雇ったほうがいいよ」ってアドバイスいただきまして。ドラマって朝5時半入りとか、早いんです。だからBMWからは自分で運転せず、運転手さんをお願いしました。最初は女の子。2、3年で辞めちゃいました。
で、いよいよ廣田さん(アムズの業務部長)の登場です。そのころはハナ肇さんの弟子であり、付き人であり、ドライバーだったんですけど、’93年にハナさんが他界されて。私もドライバー探してて、廣田さんも新しい仕事探してて、ハナさんのマネージャーさんにご紹介いただき、’95年に出会いました。
外国車から日本車に定着
そのころちょうど『たたかうお嫁さま』という主演の連ドラがはじまり、バラエティー5本に連ドラと、多忙な日々をビーエム&廣田さんと過ごしました。
’96年30歳のとき、父の“大きいセダンに乗りたい”という希望を叶えるため、トヨタのセルシオに乗り換えました。父が体が大きかったんです。仕事も、家族の私用のときも、廣田さんが運転してくれました。
そのあとも3年目の車検の前、査定が良いときに同じセルシオの新車に買い替えるという、贅沢な乗り方をしてきましたね〜。でも、セルシオが製造中止になり、2006年40歳のとき、勧められたレクサスに変えました。廣田さんも私もアナログ人間でしょ。いきなりハイカラになっちゃって。スペックが高すぎて乗りこなせない。ガソリンもハイオクで高いし。
で、次はエコカーにしよう、ってことになり、’11年にトヨタのプリウスαに乗り換えました。ハイブリッド車でレギュラーだし、ガソリン代が一挙に減りました。後部席からトランクの荷物を取れるのが気に入って、もう3台目。3台目はね、8年乗り続けて、走行距離14万㎞。
だって、製造中止になっちゃったんですよ。いまはひたすら再販されるのを待っています。
松本明子の愛車歴
1991年 フィアット ウーノ
1993年 BMW 3シリーズ
1996年 トヨタ セルシオ
1999年 トヨタ セルシオ
2002年 トヨタ セルシオ
2006年 レクサス
2011年 トヨタ プリウスα
2014年 トヨタ プリウスα
2017年 トヨタ プリウスα
今年の正月は東京・羽田沖へ、日の出を見に行ってきました。
冬の寒さ対策はこれでバッチリ!
快適に過ごせるようバグトラの床と側面に遮熱シートを張りました。
●松本明子さんのレンタカー、オフィスアムズはこちら→https://officeams.com/
※構成/大石裕美 写真提供/オフィス アムズ
(BE-PAL 2025年3月号より)