東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。第27座目は、文京区にあるらしい千駄木山(狸山)をめぐります。
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第27座目「千駄木山」
今回の登山口(最寄り駅)は、JR西日暮里駅西日暮里駅前タクシー乗り場。長い登山口の名前ですね。改札を出て進むと、多くの学生の姿がありました。調べると、道路を挟んだ向かいに、あの開成学園があるではないですか。西日暮里にあることを初めて知りました。
歴史の変遷の中に埋もれた山と坂?
閑話休題。実は、今回の目的地は千駄木山ですが、その存在が確かどうか定かではありませんでした。調べてみると、どうやら「狸坂」という坂があるようで、その周辺に千駄木山があったとか…。
いつも参考にさせて頂いている、手島宗太郎さんの「江戸・百名山を行く」にも、千駄木山は載っていませんでした。ただ、別の山として、文京区千駄木に山の記載がありました。それが「権現山」の名です。この権現山が、今回のキーワードでした。
駅前に賑わいを抜け、今回も大通りを避けて裏道に入っていきます。当初、千駄木の権現山を探していましたが、どうやら現存していない様子で、実際に権現山のあったといわれる千駄木3丁目に行ってみたのですが、それらしきものは見つかりませんでした。しかし、そこで見つけたのが「狸坂」でした。坂の上に山がある(もしくは、あった)ケースは少なくありません。もしかしたら、千駄木山も狸坂の上にあったのかもしれません。
裏道を進んでいくと、お寺の入り口がありました。案内板が出ていたので寄ってみると、あの「南総里見八犬伝」で有名な、滝沢馬琴の筆塚・硯塚があるというではないですか。ちなみに、日本でほぼ原稿料のみで生計を営むことのできた最初の著述家が滝沢馬琴だそうです。へぇ~。
とりあえず、狸坂にいけば何かありそうです。このまま裏通りを進んでいきます。
ちょっと気になる雑貨屋「ワト舎」を見つけました。が、いま気がかりなのは千駄木山であり、狸坂です。先に進むことにしました。裏通りを抜けると、正面に坂道が見えました。きっと狸坂だろうと直感しました。
坂を登っていくと、駒込林(こまごめばやし)公園にたどり着きました。あれ、この坂道は狸坂では無かったのだろうか…。旧町名の案内を読むと、駒込林というのは、この辺りの旧地名だそうです。そして、千駄木山の内に駒込林町があったようです。
この旧町名の案内を読み進めていくと、なんと高村光雲(彫刻家)、高村幸太郎(彫刻家・詩人)親子や、宮本百合子(小説家)も近隣に住んでいたそうです。こんな著名な方々が暮らしていたとは、さすが文京区!と関心したのですが、旧町名の案内に、千駄木山のキーワードだと思っていた狸坂の記載はありません。
諦めて来た道を戻ると…。ひっそりと個人宅の壁に、狸坂の看板があったのでした。
やはり、この辺りは千駄木山で、通称、狸山とも呼ばれていたそうです。また、民話にちなんで狸山・狸坂と名付けられたとも伝えられているそうですが、どっちが早かったのでしょうか。
ともかく、探すのに苦労しましたが、間違いなく千駄木山、狸山は存在しました。現在では、パッと見は住宅地にある何気ない坂道です。でも、そこには文豪たちの息吹が残り、その足跡をたどる山行となったのでした。
次回は「北区田端にある北区にあるミニチュア富士」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。