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    2024.06.10

    最も速い旅人は、足で歩く旅人である。『森の生掻』゜ロヌの名蚀に孊ぶ生き方のヒント

    最も速い旅人は、足で歩く旅人である。『森の生掻』゜ロヌの名蚀に孊ぶ生き方のヒント
    湖のほずりに小さな家を建おお自絊自足の生掻を送った19䞖玀アメリカの詩人、ヘンリヌ・デむノィッド・゜ロヌ。森の自絊自足生掻をもずに䞖界的なベストセラヌ『りォヌルデン 森の生掻』を執筆し、「簡玠に 簡玠に」「最も速い旅人は、足で歩く旅人である」「野生的なものの䞭に、䞖界は保存されおいる」ずいった名蚀・譊句を数倚く残した。トルストむ、ガンゞヌ、マヌティン・ルヌサヌ・キングを觊発し、170幎以䞊をぞお、いたなお䞖界䞭の読者に読み継がれる゜ロヌの魅力ずは䜕か 『りォヌルデン 森の生掻』最新版の翻蚳者である動物孊者・今泉吉晎さんの特別講矩をヒントに、゜ロヌが残した「今を生きるヒント」を考える。

    CONTENTS

    『森の生掻』には16もの日本語蚳がある

    H.D.゜ロヌの著曞『りォヌルデン 森の生掻』は、明治時代にできたおほやほやの日本の倧孊でテキストずしお䜿甚されたした。日本にはじめお゜ロヌが玹介されたのは、1873幎のこず。東京倧孊の前身・開成孊校で、英文孊教垫ゞェむムズ・サマヌズが『りォヌルデン 森の生掻』の抜粋をテキストに䜿甚したのです。

    その埌、倏目挱石が孊生だった頃の東京垝囜倧孊で英文孊を教えおいたりィリアム・ホヌトン教授や、慶應矩塟倧孊のりィリアム・リスカル教授が、講矩で゜ロヌを玹介したす。そうした倧孊での玹介ずは別に、北村透谷や内村鑑䞉は独自に原曞で゜ロヌを読み、自らの思想を鍛えたした。

    1911幎に、氎島耕䞀郎による最初の日本語蚳が刊行されたした。タむトルは、『森林生掻』初版は文成瀟刊行

    《䜙は以䞋の頁ペヌゞ或は寧むしろその倧體だいたいを曞いたころ、マサチュヌセッツ州、コンコヌドの、ワルデン池畔に、自ら家を造り、たゝ我雙手を圹しお掻蚈くらしを立お぀ゝ、四方䞀哩の間には䞀軒の隣家もない森林䞭に、孀獚の生掻を送っおゐた、其間二幎ず二ケ月、面しお今や䜙は再び文明瀟會の寄寓者である。》
    ゚ィチ・ディヌ・トロヌ著氎島耕䞀郎譯『森林生掻』第1章「経枈」

    ず、こんな感じではじたっおいたす。「H.D.゜ロヌ」でなくお「゚ィチ・ディヌ・トロヌ」ずいうのが、なんだかかわいらしいですよね。

    ↑こちらは明治45幎1912幎に出版された『トロヌ蚀行録』西川光次郎著。囜䌚図曞通所蔵。文明の進歩によっお自然ずの接觊が少なくなり、剛毅の粟神、独立の芳念、自分の手によっお事をなす考えが枛少しおいるず憂い、トロヌ゜ロヌは《今より䞀癟幎前、新文明の初頭に斌お、早くも歀の事を予想し、其の䞀生を献げお歀の事を研究し、智識ず野生ずの結合に苊心したる人なり、圌は「吟等は野性おふ匷壮剀を芁す」ず叫び、文明人に向かッお譊鐘を乱打したる第䞀人なり。》などずある。明治時代ッおや぀は、激アツいっす

    氎島蚳以埌、16皮類もの『森の生掻』の日本語蚳抄蚳を含むず25皮類が出版されおおりたしお、その最終ランナヌを匕き継ぐ最新の蚳が、今泉吉晎蚳『りォヌルデン 森の生掻』小孊通文庫です。

    翻蚳者の今泉吉晎さんは、1940幎生たれの動物孊者。翻蚳者ずしおも掻躍しおいお、『りォヌルデン 森の生掻』のほかに『シヌトン動物蚘』や、゜ロヌ、シヌトン関連の絵本も蚳しおいたす。

    ゜ロヌず同じく、自然を愛し、野倖で自然を芳察・研究しおきた今泉さんの翻蚳は「です・たす」䜓の語りかけるような文䜓でずおも読みやすく、各ペヌゞの䞋段に配された泚釈解説も、ずおもおいねい。今の時代に私たちが山や森で感じる「自然っおいいなあ」「自然っおふしぎだなあ」的な心境を、゜ロヌがずおも倧切にしおいたずいうこずが䌝わっおきお、うれしくなりたす。

    ゜ロヌは、アりトドアで掻動するこずで、独自の思玢を぀むぎだした思想家でした。曞斎での執筆だけではなく、散歩、登山、豆畑づくりや、釣り、自然芳察をこよなく愛し、町のホヌルで数々の講挔をこなす人気の講挔者でもありたした。44歳で亡くなったその短い生涯のなかで『森の生掻』『コンコヌド川ずメリマック川の䞀週間』ずいう長線゚ッセむ2䜜を出版し、膚倧な日蚘ず詩を曞き残し、75もの講挔録を残しおいたす。

    日本における゜ロヌの翻蚳は、これたでは䞻に英米文孊の専門家の手によるものだったわけですが、今泉さんは、゜ロヌず同じ自然の専門家ナチュラリストの立堎で『りォヌルデン 森の生掻』を蚳したした。そのため、゜ロヌ研究者の間でも、埓来の翻蚳曞ずはひず味違い、たるで森の生き物たちの声が聞こえおくるような『森の生掻』だ、ず高く評䟡されおいたす。

    そんな今泉吉晎さんの特別講矩があるずいうので、2018幎秋の「日本゜ロヌ孊䌚」で聎講しおきたした。

    ムササビ先生の原点は、八ヶ岳山頂での眠猟垫䜓隓だった

    䌚堎の扉を開けるず、そこは明るい朚目色を基調ずした階段状教宀で、ざわざわずした音に぀぀たれたした。ちょうどシンポゞりムの間の䌑憩時間で、50名ほどの研究者が立ち話をしたり、展瀺資料を芋たりしながらすごしおいたした。こざっぱりず身なりの良い玳士淑女の先生方が倚いなかに、ものすごく長いあごひげのおじさんがいたりもしお、ちょっぎり嬉しくなりたす。゜ロヌの研究者たるもの、因習にずらわれずのびのびず自由でなければならぬ。そんな空気を感じたす。

    やがお、特別講矩の時間が来たした。最初に叞䌚を務める日本゜ロヌ孊䌚理事の䌊藀詔子先生による玹介があり、それに続いお今泉さんが、ぜ぀りぜ぀り、語りはじめたした。

    「私が最初に゜ロヌに関心をもったのは、『森の生掻』ずいうロマンチックな語感をも぀本のタむトルでした。『森の生掻』を読みはじめたのは孊生時代だったのですが、それ以前から私は山が奜きで、子どものずきから、い぀か山に䜏みたい、山小屋を建おたい、ず思っおいたのです」

    今泉さんは、京郜倧孊の博士号をも぀動物孊者です。長幎ムササビや野ネズミなどの小動物を研究しおきたした。今泉さんの父芪もたた高名な動物孊者であり、匟も動物孊者ずいう動物孊者䞀家に生たれ育ちたした。

    䞭孊生のころ、今泉さんは、動物孊者である父芪にたずねたした。

    「どうしたら野ネズミを芋るこずができるの」

    するず、父芪は諭すのでした。生きたたたの野ネズミを芋るのは無理だよ、暙本にされた野ネズミを研究するのが動物孊なんだから、ず。父芪が研究する動物孊では、眠で獲っお暙本にする以倖には䜕の研究もしおいないずいうのです。

    「非垞に絶望的なこずをいわれた」ず、今泉さんはがっかりしたしたが、しかし気を取り盎し、䞭ず䞭の倏䌑みを利甚しお、眠を持っお八ヶ岳に登りたした。すっかり眠猟垫の気分でした。山の䞊に眠を仕掛け、生きた野ネズミやヒミズを捕たえお芳察しおやろう、ず考えおいたのです。

    暙高2800の赀岳頂䞊小屋に泊たり蟌むなかで、だんだんず眠猟垫ずしおの腕がさえおきたした。やがお、けっこうな数の野ネズミが獲れるようになっおきたした。獲物の䜓長や䜓重などを枬定し、蚘録しながら、今泉さんは倢をいだきたした。い぀の日か東京を飛び出しお、もっず動物たちのこずを知りたい。できるこずなら、自分のやり方で、生きたたたの動物を研究したい  ず。

    埌幎、今泉さんは郜留文科倧孊の教授ずしお山梚県に赎任。森のなかに小屋を぀くり、ムササビや野ネズミの芳察・研究にいそしみたす。ちなみに、このころの今泉さんは、生埒たちの間で「ムササビ先生」ずよばれおいたそうです元生埒さんが教えおくれたした。

    「ほんずうの知」は倧孊では孊べない

    そんなムササビ先生にも、゜ロヌず同じような、孊問ずのぶ぀かり合いがありたした。

    『りォヌルデン 森の生掻』のなかで、゜ロヌは曞いおいたす。

    ※以䞋、『りォヌルデン 森の生掻』匕甚箇所は、今泉さんの特別講矩を聎講した線集郚員筆者が講矩内容に関連するず考えお匕甚したした。

    《私は、若者に人文科孊や自然科孊の基瀎を孊ばせるのに、倧孊教授の足元に送り届けお教逊課皋を修めさせれば十分であるずは考えたせん。たしかに倧孊は、若者に教逊を教授し、実習で鍛えもしたす。ずころが肝心の、人が生きるための知恵ず方法は教えたせん。倧孊は顕埮鏡や望遠鏡で䞖界を芗いお研究する方法は教えおも、自分の目で芋る方法は教えたせん。化孊なら研究の方法を教えたすが、毎日食べるパンの䜜り方は教えたせん。》
    ヘンリヌ・D・゜ロヌ著・今泉吉晎蚳『りォヌルデン 森の生掻』第1章「経枈」

    ゜ロヌは、1833幎、16歳でハヌバヌド倧孊に入孊し、孊問に぀いお疑問をいだきたした。「人が生きるための知恵ず方法は、倧孊ずは別のずころにあるのではないか」ず。

    『りォヌルデン 森の生掻』には、倧孊の孊問に぀いお、こんな䞀節もありたす。

    《倧孊は、貧乏な孊生に政治経枈孊を研究させたす。ずころが、哲孊ず異名同矩の孊問である「生きるための経枈孊」は、真面目に取り組たれたためしがありたせん。孊生が、アダム・スミス、リカヌド、セヌら政治経枈孊の暩嚁者の孊問を孊ぶうちに、父芪が「生きるための経枈孊」に倱敗しお、借金地獄に陥る始末です。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第1章「経枈」

    孊生が孊ぶ政治経枈孊は、実家の経営立お盎しにはなんの圹にもたたない。おそらく、今の倧孊にもあおはたるこずではないでしょうか。100実甚の孊ではない点に倧孊の孊問のよさがあるずも思いたすが、いずれにしおも『りォヌルデン 森の生掻』は、「人はなぜ孊ぶのか」「孊ぶずは䜕をどのように知るこずなのか」ずいう根本的・哲孊的な問いをめぐる本なのです。だからこそ、150幎以䞊もの長い間、䞖界䞭で読み継がれおきたのでしょう。

    特別講矩で今泉さんは、゜ロヌがハヌバヌド倧孊教授ゞャン・ルむ・アガシヌ1807-1873に、りォヌルデン湖畔に出没した野ネズミなどの生物をたびたび送り、新皮・倉皮の刀定を䟝頌したずいう゚ピ゜ヌドを玹介しおくれたした。

    アガシヌは、圓時の䞖界を代衚する生物孊・動物孊・地質孊の研究者でした。もちろん゜ロヌはアガシヌをそれなりに尊敬しおいたはずです。しかし、それにもかかわらず、日蚘には、アガシヌの分類研究なんお「死ぬほど぀たらない」ず蚘されおいたすた、若かったずいうこずもあるでしょうが。

    若き頃の今泉さんも、父芪や指導教授に「動物孊の研究は暙本を぀くり、枬定しおデヌタをずっお分類するこずしかない」ずいわれるたびに、゜ロヌず同じように「死ぬほど぀たらない」ず感じおいたした。

    数倀デヌタではなく、子どもの頃に芳察したずきのような「自分なりの物の知り方」で研究がしたい、ず先生に䌝えるず、「それは趣味だろう」ずいわれおしたいたす。装眮ずデヌタを䞻ずする「孊問の狭さ」が、今泉さんの心の䞭にある物の知り方を受け入れおくれたせんでした。

    ゜ロヌも、今泉さんも、「死んだ暙本」ではなく、「生きた自然」に぀いお知りたかったのです。

    銃を捚おお「芳察」を遞んだ゜ロヌ

    倧孊の研究に幻滅した゜ロヌは、博物通のために自然を「分類」するのではなく、少幎のころに実践しおいたように、野の䞭で「芳察」し、その実䜓隓をもずに思玢する道を遞びたす。

    《少幎のころ、私が自然ず深く芪しんだのは、釣りず狩りのおかげです。少幎時代の釣りず狩りは、普通ならその幎ごろでは経隓しない自然の堎面に出䌚わせおくれ、自然の䞭で長く過ごす楜しみを教えおくれたした。䞭略
    特に鳥猟を撃぀こずには、私はかなり以前から違和感があり、りォヌルデン池の森に入る前に銃を売りたした。もっずも、それも、動物愛護の粟神で私の感芚が匷く動かされたからではありたせん。私は魚やミミズに、鳥ほどには哀れみを感じたせんが、単に習慣の問題かもしれたせん。ただ鳥を撃っおいたころの私の自分ぞの蚀い蚳は、鳥類孊の研究には暙本が必芁で、私が初めお芋る鳥や珍しい鳥に限っお、銃を䜿うこずも蚱される、ずいう考えでした。今は、銃で撃぀よりはるかにたしな、別の研究方法があるず考えたす。その研究方法では、銃で鳥を手に入れるのに必芁な氎準をはるかに超えお、鳥の習性に现心の泚意を向ける必芁があり、この理由だけでも、私は喜んで銃を手攟す気になりたした。》
    『りォヌルデン 森の生掻』「第11章 法の䞊の法」

    釣りず狩猟で自然の楜しみを芚えた゜ロヌでしたが、やがお成長するにいたっお、銃で鳥を撃぀のではなく、鳥の習性に现心の泚意を向け、五感をフルに䜿っお「芳察する」研究方法のほうが、「はるかにたし」ず考えるようになったのでした。

    今泉さんは、この゜ロヌの研究方法に感銘を受けたす。息をひそめお話を聎く゜ロヌ研究者の先生たちを前にしお、今泉さんは語りたした。

    「若いころの私は、動物の研究を、自分の知り方で研究したいず思っおいたした。孊問が決めたデヌタ重芖のやり方ではなく、自分の知り方で知りたいず。そんなずきに出䌚ったのが゜ロヌだったのです。゜ロヌのすばらしいずころは“五感”ですね。五感の䜿い方が本圓にすばらしいず思いたす」

    『りォヌルデン 森の生掻』の「あずがき」にも、今泉さんは、曞き蚘しおいたす。

    《私が専門にする動物孊は、専門分化が激しくお、実隓・芳察から研究論文たで、あらゆる研究が退屈な仕事になっおいたす。『りォヌルデン』は、私たちに時代を遡っお問題を芋盎させ、あらゆる関心を、生き生きず、赀ん坊のように再生させる力を持っおいたした。》
    『りォヌルデン 森の生掻』「あずがき」

    ゜ロヌず同じように、自分も自分のやり方で研究しおいこう。『森の生掻』を読んで、心匷く感じた今泉さんは、叀めかしいず考えられおいた方法、「五感」を䜿い、「芳察」を䞻䜓ずする方法で小動物の研究に取り組んでいきたした。

    䌚堎に展瀺された今泉さん制䜜のパネルず、゜ロヌ関連の資料。貎重な『りォヌルデン』初版本もありたした。

    「釣り人の知」ず「生物孊者の知」

    『りォヌルデン 森の生掻』のなかに、釣り人の知の方法ず、生物孊者の知の方法を比范した䞀節がありたす。これを読むず、「ほんずうの知」に぀いおの゜ロヌの芋解がうかがえたす。

    《すべおが霜でばりばりに凍り぀いた早朝のりォヌルデン池に、すでに釣り糞のリヌルず簡玠な匁圓を携えた人たちがやっお来おいたす。圌らは现い糞を、厚い雪ず氷を通しお氎䞭に垂らし、カワカマスやパヌチを釣り䞊げたす。圌ら釣り人は、町の人ずは違う暮らしの流儀を持ち、自然を信じお生きる野生の人です。圌らが自然ず町ずの間を行き来するたびに、さもなければ裂け目ができる自然ず人ずの間の結び぀きが芋事に繕われたす。圌らは䞈倫な垆垃のオヌバヌズボンのたた、池の岞蟺の也いたオヌクの萜ち葉に座り、匁圓を食べたす。町の人が、人間の䜜る䞖界に通じおいるのず裏腹に、圌らは自然の䞖界に通じおいたす。圌らは䜕事も決しお本から始めず、それゆえ、成したこずに比べるず知識は倚くなく、巧みに語りはしたせん。そのため圌らの経隓は、広く知られるこずが少ないのです。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第16章「冬の池」

    このあず゜ロヌは、釣り人の知の実䟋ずしお、真冬に魚を釣る方法を玹介したす。池も呚囲の森も凍お぀いおいお、生き物はいない。そんななか、どうやっお、えさを芋぀けるのか 釣り人たちは、腐った倒朚から、えさの幌虫を探しだすのでした。

    《圌釣り人の暮らしは、生物孊者が自然に切り蟌んでいるよりもずっず深く、広く、芪しく、自然ず結び぀いおいたす。䞭略
    生物孊者は、研究甚のメスでそっずコケや朚の皮を剥いで、昆虫を探りたす。釣り人は斧を倒朚に打ち蟌んで芯から真っぷた぀にし、コケや朚の皮をはるかに遠く、広く飛ばしたす。圌は、暹皮を剥ぐ仕事で生蚈を立おおいるのです。そんな人こそ魚を釣る暩利がありたす。私は、そんな人を通じお芪しく芋えおくる自然を知るのが奜きです。甲虫の幌虫にパヌチが食らい぀き、パヌチにカワカマスが食らい぀き、そしおカワカマスに釣り人が食らい぀きたす。こうしお生き物の偉倧な茪が぀ながっおいきたす。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第16章「冬の池」

    ゜ロヌが求めた知は、生物孊者のように本から始める知ではなく、釣り人のように実際の自然の珟堎から埗た「野生の知」でした。そしお今泉さんもたた、そのような本物の知を远い求めたいず考えたした。

    ↑䞋北沢の曞店「B&B」で゜ロヌの玠敵な名蚀レタヌセットを賌入。Princeton Architectural Press刊、デザむナヌはMia Jahnson

    動物行動孊は「぀たらない孊問」だった

    今泉さんが孊生だった1960幎代の日本の動物孊の䞻流は、博物通匏の「分類孊」だったそうです。゜ロヌがハヌバヌド倧孊で倱望した、あの「分類孊」です。その研究は、動物暙本を収集し、解剖孊的な特城を蚘述するこず。研究者たちがめざしたゎヌルは「新皮の発芋」でした。

    そこぞ、1930幎代に成立した「生態孊」や「動物行動孊」が新しい理論ずしおやっおきたした。圓時の倧孊で話題になっおいた最先端の理論でした。

    なるほど、それでようやく今泉さんの研究も少しはおもしろくなったのだろうか  ず、話のゆく先を想像しおいたずころ、ドキリずするようなこずを今泉さんはいうのです。

    「私はすごく぀たらない理論だず思いたした」ず。

    今泉さんによるず、そのころの生態孊の研究方法は、「ネズミの䜓重を枬っお、ヘクタヌルあたりに䜕匹いるかを芳枬する」ずいうような研究でした。そのネズミたちがどれくらいの草を食べたかを調べるこずで、どれくらい肉ができるかを蚈算し、゚ネルギヌの流れを算出するのです。

    たしかにそういう研究も倧事ではある。でも  。調査にずりくみながら、いったい党䜓こんなこずやっお、意味があるのだろうか 死ぬほど぀たらないじゃないか ず今泉さんは感じおいたした。

    䞀方、生態孊ずずもに日本に玹介された動物行動孊ですが、「これがたた、぀たらない孊問なんですよ」ず今泉さん。階段状の教宀にクスクス笑いがさざ波のように広がっおいきたす。

    そんなわけで「死ぬほど぀たらない」ず感じた倧孊の孊問ではありたしたが、孊者ずしお生きおいくために、今泉さんはやるべき研究をやり終えお、動物行動孊の論文をたずめたす。そしお無事に京郜倧孊の博士号を取埗したした。論文のテヌマは「本胜の開発機構」でした。

    動物園の動物は、なぜ問題行動をおこすのか

    その圓時、今泉さんが孊んでいた倧孊の呚囲では、「動物園の動物に、なぜ問題行動がおきるのか」ずいうこずが議論されおいたした。

    ペヌロッパの動物園は、動物の研究機関でもあるのだそうです。圓時スむスの動物孊者にしお動物園長のH・ヘディガヌによる研究が話題になっおいたした興味のある方はぜひ、今泉さんが翻蚳したH・ヘディガヌ著『文明に囚われた動物たち―動物園の゚゜ロゞヌ』を読んでみおください。

    動物に本胜があるのなら、しかるべきずきにモグモグず食べ、しかるべきずきに発情し、巣を䜜り、子育おをするはずです。

    しかしながら、実際はそうではありたせんでした。動物園には、突劂ずしお凶暎化したり泣き叫んだりしお、食事や生殖の本胜的なリズムを厩す動物が少なくありたせん。いったい、なぜなのか

    飌育動物は、本胜を十党に発揮する機䌚がなく、欲求䞍満になりがちなのではないか ずヘディガヌは考えたした。動物園の䞭では本胜が十分に発揮できないために、ストレスがたたっお、貧乏ゆすりをしたり、皮膚をかきむしったり、同じ皮類の仲間を食べおしたうなど、いろんな問題行動をおこしおしたうのではないか  ず。

    ちなみに、私たち人間も、動物です。人間も窮屈な生掻にどっぷりずらわれお「飌われた状態」でいるず、問題行動をおこしたり、心身のバランスをくずしちゃうかもしれない  。ううむ、これはちょっずコワむ話ですよね。

    詩人は屋根の䞋では語らない

    では、私たち人間にずっお「飌われた状態」ずは、いったいどのようなものなのか 『りォヌルデン 森の生掻』の最初のほうで゜ロヌは、人間ず䜏居の関係に぀いお次のように考察しおいたす。

    《私たちは、人間ずいう皮の幌幎期に思いをはせ、閃きの才胜に富む人々が避難堎所を求めお岩の掞穎で暮らす姿を想像したす。䞖界を初めから経隓しようずする珟代の子どもは、たずえ雚が降っおも、寒くおも、アりトドアが奜きです。そしお䞀皮の本胜ずしお、たたごずやお銬ごっこをしお楜しみたす。小さかったころ、ふず目にした岩棚に匷烈に心惹かれ、掞穎を探怜した経隓を持たない倧人はいないでしょう。それは、最叀の祖先が感じた避難堎所に察する自然な憧れが、今なお私たちに残っおいる蚌拠です。
     人は、掞穎からダシの葉の屋根ぞず進み、さらに朚の枝ず暹皮の屋根、瞫っお匵った亜麻垃の屋根、かやぶきの屋根、平板ずこけら板の屋根、そしお石ず瓊ぶきの屋根ぞず進んだのです。今や私たちは、自由な倩地を忘れ、“家の心地よさ”に寄りかかる暮らしに浞っおいたす。自由な倩地は、心地よい暖炉を前にしお、はるか圌方に遠ざかりたした。もし私たちが、自由な倩地ず私たちを隔おる障壁を取り陀いお、昌も倜もアりトドアで時間を過ごせたら、玠晎らしい䜕かが必ず生たれるでしょう。詩人は屋根の䞋でばかり語らず、聖者も自由な倩地で暮らすのです。歌鳥は掞穎では歌わず、ハトもハト小屋では倩真爛挫でいられないのです。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第1章「経枈」

    歌鳥は掞穎では歌わず、ハトもハト小屋では倩真爛挫でいられない。人間もたた、動物園の檻のような䜏居にずらわれおいおは、その心に玠晎らしい䜕かが生たれるこずはない。䞖の䞭が進化しおどんなに家や䌚瀟が快適になったずしおも、建物檻の䞭にばかりいおは、いいアむデアは生たれないぞ、ずいうのです。

    「曞を捚およ、アりトドアに出よう」ず、たるで寺山修叞のようなこずを、゜ロヌは寺山より100幎も前に考えおいたのです。

    「本胜の扉」を解き攟぀には

    では、家を飛び出しお、倖にでかけるず、どうなるのでしょうか ある日、釣りの垰りに森の䞭を歩いおいお、本胜的な衝動がむくむくず生たれおきたずきの心の動きを、゜ロヌはじ぀に正確にスケッチしおいたす。

    《私は釣り竿を片手に、釣り䞊げた魚を糞に通しお持ち、すっかり暗くなった森を家ぞず急ぎたした。ず、突然、小道の前方をりッドチャックが足早に暪切りたした。私はりッドチャックを目にしたずたん、野生の歓びが䞀気に高揚する䞍思議なスリルを感じ、りッドチャックを捕らえたい、しっかり抌さえ蟌んで生のたた食い尜くしたい、ずいう激しい衝動に駆られたした。その時、私は空腹だったわけではなく、りッドチャックの野生に刺激されおそうなっただけでしょう。私はりォヌルデンの森で暮らす間に、䞀、二床、もっず凶暎な気分になっお、気が぀いた時には、飢えた猟犬のように獲物を求めお森を埘埊しおいたこずもありたす。その時の私は、鳥などの小さな獲物では野性味が薄くお盞手にできない気分で、シカほどの手匷い獲物を求めおいたした。すでに私は、野生の最高に残酷な堎面にも慣れおいたので、経隓がないための嫌悪はありたせんでした。
     私は、倚くの人ず同じように厇高さを求め、粟神的に豊かに生きたい、ず望む本胜が働くのを匷く意識しおいたす。しかし私は、もう䞀方で、原始的な野生の本胜が働くのを感じおおり、こちらも等しく尊重しおいたす。぀たり私は、人間性に劣らず野生を愛しおいたす。釣りを通じお出䌚い、芪しんだ自然ず動物ずの冒険は、い぀も私に野生の深さを教えおくれたした。時に私は、動物のように日々を過ごしお、野生を味わい尜くしたいず切望したした。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第11章「法の䞊の法」

    「粟神的に豊かに生きたいず望む本胜」人間性ず、りッドチャックマヌモット属の野ネズミを捕らえお生のたた食い尜くしたいずいう「原始的な本胜」野生。゜ロヌは、自分自身の䞭に盞矛盟するふた぀の本胜を感じ取りたした。

    森が、人間のなかに隠された「野生の本胜」を呌び芚たす。

    どうでしょう そういうこずっおあったりするのでしょうか 山や海に出かけたずきに感じる、あのうきうきずしたテンションは、野生の本胜でしょうか うおヌ ず走り出したくなるような、あの開攟的な気分を现かく怜蚌するならば、そこにガりガり、ぐるる  ず獣を远いかけおいた旧石噚時代の心性の名残がうっすらず感じられるような気がしなくはないようにも思えたす。

    そういった「野生の本胜」ず、「粟神的に豊かに生きたいず望む本胜」の䞡方を、野生ず粟神性の䞡方ずもが倧切だず゜ロヌは考えたした。

    ゜ロヌにずっお、自然を知るこずは、人間のあり方を知るこずでした。゜ロヌが動物や怍物に深い関心を寄せおいたのは、究極的には「よりよき人間の生き方」を考えるためだったのだず思いたす。

    野ネズミはなぜ、゜ロヌのズボンを登ったのか

    ゜ロヌは『りォヌルデン 森の生掻』のなかで、野ネズミの行動をスケッチしおいたす。森の小屋のなかで、野ネズミが゜ロヌのズボンを䌝っお机の䞊に登るずいう、じ぀にほほえたしい描写です。

    《りォヌルデン池の私の森の家に出没する小さなネズミは、倖囜から船で移り䜏んできた村のハツカネズミずは違う、アメリカ圚来の野生のネズミです。䞭略
    私が家を造り始めお、ただ床を匵っおいない、カンナ屑でいっぱいだったころ、䞀頭が家のどこかに巣を造りたした。その野ネズミは、昌食時に決たっお姿を珟し、私の足もずにやっおくるず、パン屑を拟っお食べたした。おそらくその野ネズミは、䞀床も人に出䌚ったこずがなかったのでしょう。たちたち私に慣れ、靎の䞊を走り、぀いにはズボンの裟から私の足を登るようになりたした。動䜜はリスに䌌お、時々止たる玠早い動きで家の平らな壁面を登りたした。ある日、私が怅子に座っお長机に肘を぀いおいるず、圌が姿を珟しおズボンの裟から私の衣服を登り、䞊着の腕を䌝っお机の䞊に降りたした。そしお、机に茉せおあった昌食の玙包みの呚りをくるくるず䜕回か走っお回りたした。私は昌食前に圌ず、玙包みを間に挟んで、手を䜿っお“いないないばあ”で遊びたした。そしお、最埌に、チヌズを芪指ず人さし指で぀たんでそっず差し出すず、圌は私の手の平に登っおしゃがみ、少しず぀かじり取っお食べたした。食事を終えた圌は、パがするように前足で顔を拭っお掗い、歩み去りたした。》
    『りォヌルデン 森の生掻』 第12章「森の隣人たち」

    「動䜜はリスに䌌お、時々止たる玠早い動きで家の平らな壁面を登りたした」ずありたすが、今泉さんはこの箇所を読んで、この野ネズミが「暹䞊性の習性」を備えおいたのではないかず掚枬したす。

    「リスに䌌た動き」ずいうのは、りサギのように、ぎょんぎょんずギャロップでかける動きです。ちょろちょろ歩く地䞊性のネズミずは違う、リスのようなフォヌムで野ネズミは壁面を登ったのではないだろうか、ず今泉さんは想像したした。

    暹䞊タむプの野ネズミは、地面に朚の実などの食べ物を芋぀けるず、「朚の䞊にも食べ物朚の実があるぞ」ず予枬しお朚登りをする習性がありたす。䞀方、ハツカネズミなど地䞊性のネズミは、地面をちょろちょろず歩きたわるけれども、リスのような動きではない。人のズボンを぀たっお机の䞊にたで登ったりもしたせん。

    ゜ロヌは、野ネズミずリスを、きちんず識別しおいたす。「春」の章では、春の到来を喜び、倧隒ぎするアカリスの様子が描写されおいたす。

    《春が近づくず、あのいたずら奜きのアカリスが、二匹䞀緒に私の家の床䞋に朜り蟌み、本を読んでいるか、曞きものをしおいる私の足の真䞋にやっおきお、キュッキュッキュヌ、クッワクッワカヌず鳎いお隒ぎたした。ぐるぐるず螊り回っおゎロゎロず喉を鳎らし、それたで聞いたこずもない春の先駆けの倧隒動を挔じたした。私は足を螏みならしおちょっず驚かせおみたした。リスさん、リスくん、もうちょっず静かにしおくれないかな。でも、圌らはたすたす隒々しくキュッキュッキュヌず鳎き隒いで悪ふざけに興じるばかりで、人間なんお、捕たえられるものなら捕たえおみな、ず蚀わんばかりで、䜕を蚀っおも聞いおもらえたせんでした。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第17章「春」

    今泉さんは、自らのフィヌルドワヌクの経隓をふたえお考えたした。ズボンを䌝い机の䞊に登った野ネズミの行動は、「本胜」なのか、それずも「孊習」なのか。そもそも「本胜」ずは、䜕でしょうか

    ↑『りォヌルデン 森の生掻』にある゜ロヌ名蚀。無駄なこずに人生を浪費しないで、シンプルにシンプルに
    ゜ロヌのレタヌセットPrinceton Architectural Press刊、デザむナヌはMia Jahnson

    「本胜」ずは䜕か

    むギリス出身の動物孊者アヌネスト・トンプ゜ン・シヌトン1860-1946は、゜ロヌや゚マ゜ンを読んで「やっおられねえ」ずむギリスの矎術孊校を飛び出し、幌少期をすごした自然が豊かな囜、カナダに戻りたした。そこでオオカミやキツネ、シカなど、野生動物の習性を芳察し、「オオカミ王ロボ」など、いたなお読み継がれる名䜜『シヌトン動物蚘』を残したすが、実蚌䞻矩を旚ずするアメリカの孊䌚では、シヌトンの研究は物語ではあるが、孊問ではない、ずされ、あたり評䟡されなかったそうです。

    オヌストリアの動物行動孊者・コンラヌト・ロヌレンツ1903-1989は、20䞖玀初頭においお、すでに叀めかしい方法論ずなっおいた「芳察」ずいう手法で、動物の「本胜行動」を蚘録したす。そしおある日、ハむロガンの卵を人工ふ化させたずきに、芪鳥だず勘違いしお雛がロヌレンツのあずをペチペチず぀いおきおしたうずいう珍珟象に遭遇し、この行動を「刷り蟌み」imprintingずいう抂念で説明したした。

    今泉さんによるず、動物孊の䞖界でも、「本胜」の有無は意芋が割れおいるのだそうです。実蚌䞻矩のアメリカの孊䌚は「本胜などない」ずいう立堎で、動物の本胜的な行動は「条件反射」で説明されるのだずか。䞀方で、ペヌロッパの孊䌚は、動物に「本胜」があるず考えおきたした。

    ここでは「本胜」の是非はどちらでもかたいたせん。本胜があるにしろ、ないにしろ、いずれにしおもロヌレンツの刷り蟌み行動のような「本胜的な行動」は実圚しおいるからです。以䞋、䟿宜的にではありたすが、そうした行動を含め「本胜」ず衚蚘しお考察をすすめたす

    若き孊究時代の今泉さんは、先人たちにならい、自分のやりかたで「本胜」を研究するためにフィヌルドに出たした。そしお、ムササビやリス、モグラ、野ネズミなどを暙本にするのではなく、小さな山小屋を建おお、「生きたたた芳察する」ずいう方法で研究をすすめたした。

    先ほど觊れたように、今泉さんは「本胜の開発機構」をテヌマにした論文で博士号を取埗したした。

    「本胜」は、どのような状況で開発されるのか。「本胜」を解き攟぀ものは䜕か

    このテヌマが、じ぀は゜ロヌず深く関連しおいるのです。

    野山をこよなく愛する人、今泉吉晎さん。

    最も速い旅人は、足で歩く旅人である

    ゜ロヌは、「歩く人」でした。䞀日に䜕時間も歩くこずが日課だったのです。それは「散歩」ではあるものの、私たちがむメヌゞするような、ぶらぶらず1時間くらい歩いお、コヌヒヌをのんだり、お店をのぞいたりしながらひたを぀ぶす  ずいうタむプの散歩ではなく、距離も時間もすごく長いロングディスタンス散歩だったのです。

    ゜ロヌは家業である鉛筆補造業や、枬量士ずしおの仕事をしながら、コンコヌド村の呚囲䜕マむル䜕十キロもの範囲にわたっお、ほが毎日歩きたした。そしお、季節ごずの動怍物の営みを芳察し、思玢にふけりたした。

    『りォヌルデン 森の生掻』の䞭に、こんな䞀節がありたす。

    《私は、ある友人からこう蚀われたした。
    「君は党然お金を貯めおないようだけど、奜きな旅もできないでしょう。汜車に乗れば、今すぐフィッチバヌグを蚪ねおこれるのにね」。
    けれど、私には、そうは考えない分別がありたす。私は経隓から、最も速い旅人は、足で歩く旅人であるず、孊んでいるからです。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第章「経枈」

    「最も速い旅人は、足で歩く旅人である」。゜ロヌがここで䌝えようずしおいたのは、汜車賃を皌ぐために働いおいる間に、毎日すこしず぀歩いおいけば目的地に぀いおしたうじゃないか、だから歩いたほうが速いよ ずいうこずでした。詭匁ではあるが、これはなかなか深いです。健脚゜ロヌならではの発想です。

    もしかするず、゜ロヌの文章の倚くがそうであるように、この䞀節は゜ロヌ流の比喩かもしれたせん。より深く読むこずができるように思いたす。自分の足で歩く旅人は、どんな乗り物で移動する人よりも、より深く䞖界を知るこずができる――ずいうふうに。

    湖畔に家を建おお、ひずり暮らしを詊みた理由に぀いお、゜ロヌは、次のように曞いおいたす。

    《私が森で暮らしおみようず心に決めたのは、人の生掻を䜜るもずの事実ず真正面から向き合いたいず心から望んだからでした。生きるのに倧切な事実だけに目を向け、死ぬ時に、じ぀は本圓には生きおはいなかったず知るこずのないように、生掻が私にもたらすものからしっかり孊び取りたかったのです。私は、暮らしずはいえない暮らしを生きたいずは思いたせん。私は、今を生きたいのです。私はあきらめたくはありたせん。私は深く生き、生掻の真髄を吞い぀くしたいず熱望したした。》
    『りォヌルデン 森の生掻』 第2章「どこで、なんのために生きるか」

    「今を生きる」ずは、乗り物に乗るのではなく、自分の足で歩く旅人のように生きるこずでした。自分の足で歩き、自分の目で芋お、自分の頭で考える。そのようにしお、深く生き、生掻の真髄を吞い぀くしたい。これこそが、゜ロヌのめざしたこずでした。そのために゜ロヌは湖畔での小屋暮らしを詊み、日々、䜕時間にもわたっお散歩したのです。

    「本胜」の必芁条件は「ホヌム」

    毎日歩き回るこずで、広倧な散歩゚リアが、゜ロヌにずっお芪しみの感じられる土地になっおいきたした。今泉さんは、゜ロヌの散歩範囲は、動物孊の甚語でいう「home range」行動圏にあたるず考えおいたす。

    「home range」は、シヌトンが確立した抂念です。北米の自然の䞭で数倚くの動物を芳察し、その生態を玹介したシヌトンは、次のような蚀葉を埌䞖に遺したした。

    「攟浪しお生きる動物はいない。動物は、慣れ芪しんだ䞀定の土地home rangeで生きる」

    慣れ芪しんだ䞀定の土地。「アりェむ」ではなく、「ホヌム」な土地で、動物は生きる、ずシヌトンは考えたした。

    りォヌルデン湖畔の森は、野ネズミにずっおの「ホヌム」でした。「ホヌム」だからこそ、森の䞭の小さな小屋のなかで、野ネズミはするするず゜ロヌのズボンを登り、机の䞊のパン屑をもぐもぐず食べたのです。

    動物の「本胜」が発揮されるためには、「ホヌム」な環境がずずのっおいなくおはなりたせん。動物園の動物に問題行動がおきるのは、そこが「アりェむ」だからで、「ホヌム」ではないからです。

    このこずは人間にもあおはたるでしょう。䜕かがうたくいかないのは、もしかするず、その堎が「アりェむ」だからなのかもしれたせんた、なんでもかんでも呚囲の環境のせいにするずいうのはいけたせんが  。

    ゜ロヌにずっおは、お気に入りの散歩コヌスこそが「ホヌム」でした。

    「ホヌム」を぀くった者には、平和に生きる暩利がある

    ゜ロヌは毎日たくさん歩きたした。そしお、お気に入りの堎所に独自の地名を぀けたした。犬がおしっこでマヌキングするように、゜ロヌは蚀葉でマヌキングしたのです。歩き、芳察し、思玢し、日蚘に蚘すこずで、゜ロヌは自分が暮らす村の呚囲に芪しみに満ちた「ホヌム」な土地home rangeを䜜り出しおいきたした。

    「home range」の発芋者、シヌトンは、いいたした。

    「自分でhome rangeを぀くった者には、平和に生きる暩利がある」ず。

    散歩をする゜ロヌには、平和に生きる暩利がありたした。平和に生きるずいうのは、本胜をのびのびず解き攟っお、その動物らしく生きるずいうこずです。野ネズミなら、野ネズミらしく生きる。人間なら、人間らしく生きる。自分で「ホヌム」な環境を぀くった者は、のびのびずピヌスフルに生きおいく暩利があるずいうのです。

    今泉さんは特別講矩の最埌を、次のような蚀葉で締めくくりたした。

    「私が生きる指針にしおいるのは、だれもが自分の関心事を掘り䞋げお、熱䞭し、自分を成長させるなら、䞖界は平和になる、ずいった゜ロヌの蚀葉です。私が、゜ロヌや゚マ゜ンから孊んだのは、“ずらわれず、どんどんやろうよ”ずいうこずだったのだず思いたす」

    やわらかい拍手に包たれお講矩は終わりたした。䌚堎を出た私たちは、駅ぞず歩きながらふしぎな興奮に満たされおいたした。囜道を流れるヘッドラむトがひずきわ矎しく芋えたした。゜ロヌず今泉さんから、肩をぜんぜんず叩かれたような気分でした。

    ゜ロヌの講挔録『歩く』に登堎する名蚀。䞖界は野生的なものの䞭に保存されおいる
    ゜ロヌのレタヌセットPrinceton Architectural Press刊、デザむナヌはMia Jahnson

    ゜ロヌが解き攟ったもの

    ここから先は、䞀線集郚員である筆者が、今泉さんの特別講矩を聎講しお感じ、考えたこずを曞きたいず思いたす。

    人間も含め、動物が本胜を発揮するためには、必芁条件がありたした。「ホヌム」home rangeです。「ホヌムな環境」が敎うこずで、本胜はのびのびず解き攟たれる。逆にいえば、本胜を解き攟぀ためには「ホヌムな環境」が必芁だずいうこずになりたす。

    䞀方、「本胜」instinctずいう蚀葉には、「動物が先倩的に持っおいる行動パタヌン」「自然の衝動・性質」ずいう意味のほかに、「生たれ持った才胜」「玠質」「倩分」「盎感」ずいう意味がありたす。

    私たち人間は、自分の意志で「ホヌム」な環境home rangeを぀くるこずができたす。どこに暮らし、䜕を行うのか もちろん限界はありたすが、ある皋床は自分で自由に決めるこずができる。

    たずえば、散歩をしたり、山に登ったり、家族や仲間を䜜ったりするこずで、自分奜みの「ホヌム」な環境を぀くっおいくこずができたす。そしお「ホヌム」な環境をずずのえるこずで、自分自身の隠れた本胜才胜・玠質・倩分・盎芳を解き攟぀こずができたす。

    では、゜ロヌが日々、歩くこずで解き攟った「本胜」才胜・玠質・倩分・盎感ずは、䜕だったのでしょうか。

    歩くこず、考えるこず

    《原始時代の人の裞そのものの暮らしは、驚くほど簡玠で、少なくずも私の蚀う利点には恵たれおいたした。人はずおも小さな存圚であっただけに、自然に寄寓し、自然を枡り歩くこずだけは存分に楜しめたした。十分な食事ず睡眠で元気を取り戻すず、次の日の旅の構想を緎ったのです。人は自然を自由なテントにしお暮らし、枓谷を瞫っお進み、草原を暪切り、山を登り、頂に立ちたした。しかず芋おください。今や人は、自分が䜜った道具の道具になっおいたす お腹がすくず果実を摘み取っお食べた自立した人が、今や蟲民になりたした。倧暹の䞋を避難堎所にした人が、今や倧きな家を守る人になりたした。私たちは、キャンプの倜を過ごすこずがなくなっお、地面に䜏み着き、今や倩空を忘れたした。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第1章「経枈」

    か぀お「自然を枡り歩くこず」を存分に楜しんだ人間は、今や「倩空を忘れたした」。そのように語る゜ロヌが、日々散歩をし、自らのなかに解き攟った本胜ずは、倩空をずりもどし、その䞋でのびのびず「考えるこず」だったのではないかず思うのです。

    そしおもしかするず、゜ロヌのように瞊暪無尜に「考えるこず」こそ、人間ずいう動物のもっずも根源的な、もっずも人間らしい、もっずも野生由来の本胜ではないか、ずも。

    『りォヌルデン 森の生掻』ずは、歩くこずで倪叀の盎感力を解き攟った゜ロヌが思玢した、線み目のような思想が曞かれおいる曞物なのではないでしょうか。

    だからこそ、いたの垞識的な頭で読み進むず、「難解」だずか「たどろっこしい」ずも感じおしたう。

    でも、きっず、いたの時代のありきたりの読み方でわからなくお良いのです。いたでは考えられないほど、ずお぀もなく野生な頭で、驚くほど広く、恐ろしく深いこずが曞かれおいるかもしれないのだから。

    深い森のような「わからなさ」に觊れるこずが、この曞物を読む喜びなのではないかずも思うのです。

    こちらは゜ロヌの゚ッセむ「マサチュヌセッツの博物誌」に登堎する名蚀。喜びこそは人生・生掻に欠かせないものですよね。゜ロヌのレタヌセットPrinceton Architectural Press刊、デザむナヌはMia Jahnson

    ニュヌスやワむンより、叀くお新しい真実を

    ゜ロヌが自らの内に解き攟った本胜、「考えるこず」ずは、日々の「ニュヌス」や「ワむンのうんちく」の察極にあるものでした。

    《私は、新聞のニュヌスでも、泚目に倀する蚘事は読んだこずがない、ず断蚀できたす。私たちが新聞で、男が盗難にあったずか、殺されたずか、事故死したずか、家が焌けたずか、船が沈没したずか、蒞気船が爆発したずか、西郚の鉄道で牛がひき殺されたずか、犬が殺されたずか、冬にバッタの倧矀が珟れたずか、ずいった蚘事を読んだずしたしょう。――そんな蚘事は、䞀生に䞀床読めば、それ以䞊は読むだけ無駄です。ひず぀を知れば十分です。
     あなたは、そのような問題なら原則を理解しおいればよく、無数の事䟋やその応甚に関心を寄せる必芁はありたせん。哲孊者には、新聞のニュヌスはすべおがゎシップにすぎたせん。ゎシップ蚘事は、お茶を飲みながら歓談するお幎寄りのご婊人方のおしゃべりの玠材ずしお、い぀も同じ扱いで線集され、その通りに読たれたす。䞭略
     いったいニュヌスのどこが面癜いのでしょうか 新しければいいのではなく、叀くお新しいこずに関心を寄せるほうがいいでしょう。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第2章「どこで、なんのために生きるか」

    《私は、愛より、名誉より、真実が欲しいのです。私は、テヌブルに豪勢な料理ず豊富な酒が準備されおはいおも、䞖の流れに乗る参列者ばかりの晩逐䌚に列垭したこずが䜕回もありたす。䞭略
     圌らは私に、ワむンの幎代ず、そのノィンテヌゞの名声に぀いお蘊蓄うんちくを語っおくれたした。でも私は、圌らが手に入れおいない、買うこずもできないワむンに぀いお語りたかったのです。より熟成し、か぀新鮮で、はるかに玔粋、しかも限りなく偉倧な、栄光ある幎のワむン、すなわち、生きる哲孊に぀いおです。お金持ちのご立掟なスタむル、家屋敷がどうこう、それに“嚯楜”がどうした、ずいった問題は、私には興味がありたせん。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第18章「結論」

    ゜ロヌにずっお、「考えるこず」の醍醐味は、「叀くお新しいこず」に぀いお考えるこずでした。それは、ニュヌスやワむンよりも、もっず広く深くおおもしろい䞖界でした。

    ずはいえ私たち凡人にずっおは、ワむンのうんちくもスマホのニュヌスも、぀い぀い気になっおしたいたすが、そういった事柄は本質的なこずではありたせん。ワむンのうんちくず、実際に自分自身がおいしいワむンを味わうこずの口犏は、別ものなのです。流行やニュヌスを知るこずず、実際に自分自身がいい感じに日々を過ごし、生掻しおいくこずずは、別ものなのです。

    ゜ロヌがもずめたのは、時ずずもに移りゆく「浅い流れ」ではなく、「氞遠の流れ」でした。

    《時ずは、私が釣りに出かける川です。私が氎を飲もうず屈み蟌むず、川底の砂が芋え、流れは深くないずわかりたす。たずえこの浅い流れが倱われたずしおも、氞遠は残りたす。私は、その氞遠の流れの深い氎を飲みたいのです。川底が星でいっぱいの倩空の川で釣りをしたいのです。そこで私は、䞀の数を数えられず、アルファベットの最初の文字もわかりたせん。こんなふうに私は、い぀も、生たれた時より賢くなくなっおしたう自分が残念です。知性ずは肉切り包䞁です。物事の秘密に切り蟌みたす。私は自分の手は、もはや必芁以䞊には䜿わない぀もりです。なにしろ私の頭が手であり、足なのですから。私が身に付けおいる最高の胜力は、みな頭に集たっおいるず、私は感じたす。ある動物が吻ず前足を䜿っお地䞭にトンネルを掘るのに䌌お、私の本胜は、頭こそがトンネルを掘る噚官だず蚀っおいたす。そこで私は、この森の䞘の地䞭に豊かな本圓の鉱脈を求め、頭でトンネルを掘っお道を切り開いおいきたす。最高に玔床の高い鉱脈が、わが家の近くのどこかに朜んでいそうです》
    『りォヌルデン 森の生掻』第2章「どこで、なんのために生きるか」

    ゜ロヌの時代からずいぶん䞖の䞭は発展し、䞖界䞭から矎しい森が消えたした。けれども、いたなお私たちの呚囲には無限の沃野が、そしお私たちの頭のなかにも広倧無窮の「野生」が広がっおいたす。

    ゜ロヌ流にずらえるならば、自分の頭で「考える」ずいうこずもたた、倧いなる自然の営みの䞀郚分なのです。

    私たちは、野生を心の匷壮剀にしお、日々探怜しおいる

    ゜ロヌは、りォヌルデン池の春の散歩で出䌚った矎しい草、りヌルグラスをたたえお、「人間が考えるデザむンの原型は自然の䞭にある」ず曞いおいたす。

    《なかでも私は、匓なりに曲がる癜く長い穂を、䞀本の茎の先から䜕本も䌞ばすりヌルグラスに魅了されたした。この草は、冬の蚘憶で満杯の私の心に、倏を思い起こさせおくれたした。りヌルグラスの穂は、芞術家がなんずしおも写し取りたいず願う、玠晎らしい圢のひず぀です――人が玠晎らしいず感じる圢のモデルは、決たっお自然の䞭にありたす――その圢は、人間が生たれながらに頭に描く怍物界の原型のひず぀でもあっお、倜空に茝く星を芋お倩文孊者が頭に描く星座に盞圓したす。ギリシャや゚ゞプト文明の図圢よりも、いっそう根源的な叀い図圢であるでしょう。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第17章「春」

    人間の頭の䞭身の源流は「自然」だず、゜ロヌは考えたした。氷河期から脈々ず続く自然の営みは、いたも私たちのすぐそばに、私たちの心や䜓の内に、ゆったりず息づいおいたす。

    そうだずすれば、「考えるこず」ずは、その頭の䞭身の源流に向かっお探怜するこずです。カヌヌで川をさかのがるように、そしお川のれロ地点のそのたた先にある山に、自分の足で歩いお登るように。

    《私たちの村の暮らしは、探怜し尜くされおいない森や湿地に囲たれおいなければ、たちたち停滞するでしょう。私たちは、野生を心の匷壮剀にしお生きおいたす。――時に湿性怍物が生い茂る湿地に分け入り、サギやオオバンが奜んで棲み぀く氎蟺をそっず歩き、シギのけたたたしい矜音を聞き、そしおさらに、いっそう野生的な鳥のみが巣をかけ、ミンクが䜓を䌞ばしお腹面を地面すれすれにしお忍び歩くむグサの原たで足を延ばし、颚にささやくむグサの銙りを嗅がねばなりたせん。私たちは絶えず探求に努め、孊ぶに誠実でありながら、同時に、あらゆる事柄が神秘なたたに、未探怜なたたにあるこずを求めおいたす。私たちは、陞も海も玢挠たる野生のたたに、果おしない広がりず深さのたたにあるこずを必芁ずし、あたりに深くお枬量䞍可胜であるがゆえに決しお正確には数量化されず、底知れぬものであっお欲しいず望んでいたす。私たちにずっお自然を知るずは、いかに研究しおもなお研究し尜くせぬ、芋果おぬ倢です。私たちは、自然の果おしない掻力、広倧さを超えおなお広がる広さ、壮絶な恐怖の暗瀁を持぀海岞、巚朚ず土に還る倒朚に芆われた原始の森、䞉週間も続いお激しい措氎を起こす雷雲ず倧雚を目にするこずで、ふたたび生気を取り戻すのです。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第17章「春」

    ふだん、たいく぀な日々をすごしおいる私たちは、たたの䌑みに海や山ぞ出かけるわけですが、それはたんに「癒される」ための息抜きではないのかもしれたせん。海や山が、ずお぀もなく広くお深くお、予枬が぀かず、恐ろしい堎所だからこそ、私たちは䌑日を費やしお、少なくないお金をかけおたで、そこを蚪れるのかもしれたせん。

    時に道に迷い、予定通りにならず、倧雚や雷に打たれ、私たち人間の蚈枬胜力やデヌタ化胜力を超える圧倒的なスケヌル感にもみくちゃにされるこずもあるわけですが、たさにそれゆえにこそ、自然は知る䟡倀があるのです。

    そこが安党で予定調和の䞖界ではなく、その察極の「野生」だからこそ、探怜したくなるのです。予定調和の日垞をずびだしお、未知にたみれ、「野生の本胜」を解き攟ち、私たちがふたたび生気をずりもどすために。

    あるいは、こういっおもいいかもしれたせん。「リクリ゚ヌション」ずいう蚀葉の本来の意味Re-Creationを獲埗するために。

    癒やしではなく、自分自身を぀くりなおし、生たれ倉わるために。

    《人生の最高に高貎な獲物は自分自身であっお、人生の目的はたさしくその獲物を撃぀こずだず、確信を持っお蚀い切れたす。䞭略
    私たちの内なる地図も、未螏の癜地ではないでしょうか䞭略
    私もあなたもそれぞれに、内なる新倧陞ず新䞖界のコロンブスずなり、新たな航路を、亀易のためでなく、哲孊のために開きたしょう。人はみなそれぞれに、ひず぀の王囜の䞻人です。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第18章「結論」

    そう、探怜するべきフィヌルドは、自分自身のなかにあるのです。「考えるこず」。それは、内なる探怜家ずなっお、心の新航路を切り開くこずなのです。

    私たちもたた、゜ロヌのように毎日歩くこずで、自分自身を探怜しおいるのかもしれたせん。あるいは、毎日電車に乗っお、スマヌトフォンを手繰り、車窓から流れゆく颚景をながめながら、がんやりず新航路を切り開いおいるのかもしれたせん。いたずいう時代なりのhome rangeを぀くり、たいく぀な日々のなかで発芋したささやかな盎芳をたいせ぀にしながら、それぞれのやりかたで。

    心のドラムに耳をすたせながら探怜しよう

    《私たちはなぜ、これほど捚お鉢に成功を急ぎ、事業に呜を賭けるのでしょうか あなたの歩調が仲間の歩調ず合わないなら、それはあなたが、他の人ずは違う心のドラムのリズムを聞いおいるからです。私たちはそれぞれに、内なる音楜に耳を傟け、それがどんな音楜であろうず、どれほどかすかであろうず、そのリズムず共に進みたしょう。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第18章「結論」

    これは映画『いたを生きる』や、『カッコヌの巣の䞊で』の原䜜小説にも匕甚・蚀及された、アメリカ文孊史䞊もっずも有名な名蚀のひず぀です。

    人はみな、それぞれの心のドラムのリズムを持っおいる。その音楜に耳をすたせよ。现かなこずは極力気にせず、なるべくならあくせくしないように努め、のびのびず歩き、どうでもよいこずを堂々ず考え、トンマなこずもマヌケなこずも倧いに劄想しおいこう。なぜずいえば、私たちはみな、探怜家なのだから。

    今泉さんの講矩のあずに、゜ロヌを読みながら、以䞊のようなこずを考えたした。いたもずきおり『りォヌルデン 森の生掻』のあちこちを、読みなおしおいたす。これからもずっず折に觊れお゜ロヌの本を拟い読みしながら生きおいこうず思っおいたす。

    読み盎すなかで、今泉さんが講矩で䌝えようずしおいたのはこの郚分かな ずいう䞀節を発芋したした。最埌にそこを匕甚しお、皿を閉じたいず思いたす。

    《私は、森で暮らす実隓から、少なくずも次のこずを孊びたした。人は倢に向かっお倧胆に歩みを進め、心に描いた理想を目指しお忠実に生きようずするなら、普通の暮らしでは望めない、思いがけない高みに登るこずができたす。か぀おの生き方の䞍芁な郚分をすっかり捚お去り、芋えない心の境界を越えるこずができたす。そしお新たに、どこでも通じる広く自由な法則が、環境ず心の䞭に打ち立おられたす。あるいは、すでに知っおいる法則も、自分にいっそうかなった圢で、広く、より的確に理解するこずができたす。そしお、人ずしお高い次元の生き方をする資質が備わりたす。
     人は、暮らしを簡玠にすればするほど、圓たり前の法則より倚くを玠盎に受け入れるこずができたす。独り居は独り居でなく、貧乏は貧乏でなく、匱点は匱点でない、ずわかりたす。あなたが空䞭に理想の城郭を描けたなら、それは玠晎らしい成果です。でも、倢は頭の䞭に描くだけでなく、実珟したらいいでしょう。あずは、理想の城郭の䞋に基瀎を築けばいいのですから。》
    『りォヌルデン 森の生掻』第18章「結論」

    もしただ読んでいないなら、これを機に、ぜひ『りォヌルデン 森の生掻』を読んでみおください。どこから読んでも密林に迷い蟌める豊穣なる森で、心に野生をチャヌゞしおみおください。

    よい旅を

     

    ■参考文献
    ヘンリヌ・D・゜ロヌ著今泉吉晎蚳『りォヌルデン 森の生掻』䞊・䞋小孊通文庫
    䌊藀詔子著『はじめおの゜ロヌ森に息づくメッセヌゞ』NHK出版
    今犏韍倪著『ヘンリヌ・゜ロヌ 野生の孊舎』みすず曞房


    ヘンリヌ・D・゜ロヌ著 今泉吉晎蚳
    『りォヌルデン 森の生掻』

    「人は䞀週間に䞀日働けば生きおいけたす」ずいう名蚀で知られるシンプルラむフの名著。ヘンリヌ・D・゜ロヌは、䞀八〇〇幎代の半ば、りォヌルデンの森の家で自然ず共に二幎二か月間過ごし、自然や人間ぞの掞察に満ちた日蚘を蚘し、本曞を線みたした。邊蚳のうち、小孊通発行の動物孊者・今泉吉晎氏の蚳曞は、山小屋歎䞉十幎ずいう氏の自然の偎からの芖点で、読みやすく瑞々しい文章に結実。文庫ではさらに泚釈を加え、豊富な写真ず地図ずで゜ロヌの足跡を蟿れたす。産業化が進み始めた時代、どのように゜ロヌが自然の䞭を歩き、思玢を深めたのか。今も私たちに、「どう生きるか」を瀺唆しおくれたす。


    [

    シンプルラむフの名著、゜ロヌ『森の生掻』を読みなおそう

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    『りォヌルデン森の生掻』蚳者・今泉吉晎さんがすすめる「自然の名著」冊

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    ヘンリヌ・゜ロヌは「山登り」が倧奜きだった

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