第122座目「加賀公園の築山」
今回の登山口も、JR十条駅です

JR十条駅登山口。
今回の登山口(最寄り駅)も、前回の板橋富士に引き続きJR十条駅です。
動画の撮り直しなども含めるとJR十条駅には何度も来ているので、駅周辺には特に新鮮さを感じません。登山口を出発し、さっさと目的地である加賀公園を目指します。とはいえ、今回は途中まで、前回の板橋富士と同じルートです。つまり、あまり書くことがないのです…。
石神井川沿いに子規の句碑があるワケ
最初に目に留まったのが、十条駅から徒歩3分ほどの場所にある「居酒屋かつら」。開店前でしたが、店先にマニアックな日本酒の銘柄が書かれた札(?)が何枚も貼られていました。こういったお酒がそろう居酒屋さんは、名店に決まっています。
調べてみると、僕の地元の山形をはじめ、全国各地の日本酒が100種類ほどそろっているようです。「吉田類の酒場放浪記」などの人気番組にも登場しているとか。寒い季節は、こういったお店で熱燗をゆっくり味わうのも良いですね。

おいしそうな銘柄が並んでいます。
「居酒屋かつら」から道沿いを進むと、住民の方が植えたと思われるパンジーが咲いていました。

駅前から続く道で健気に(?)咲くパンジーを発見。
道のりは、王子第五小学校などが続く学校ゾーンに入ります。ふと、加賀中学校の体育館のそばにこんもりとした山らしきものが見えました。さすがに学校の敷地内に足を踏み入れるわけにはいきませんが、すごく気になります。
あとから調べましたが、特に山に関する情報は見つかりませんでした。東京の山やそれに準じたところを100カ所以上もめぐってきているからか、やや小高い場所を目にしただけで「山」だと思ってしまうことがあります。今回も都内の登山者特有の「空目」だったのでしょうか。
学校ゾーンを抜ける急で長い下り道に差し掛かり、眼下にはマンションやら住宅が見えました。そこから歩を進めていくと、広い敷地とこぎれいなビルがありました。資生堂美容技術専門学校と記されています。
その専門学校を過ぎると、すぐ眼の前に石神井川があります。前回も紹介したように石神井川沿いの道は「武蔵野の路」という散策路になっていますが、「俳句の散歩道」にもなっているようです。歩いていくと、俳句の短冊を入れる板をちらほら見かけます。そのまま進んでいくと、板橋区立加賀第二公園があり、「俳句の散歩道」になっている理由がわかりました。

石神井川沿いは「俳句の散歩道」にもなっているんですね。

一般の方の句が掲示されています。
公園内にには、正岡子規の「若鮎の二手になりて上りけり」の碑がありました。この句は、子規の故郷である愛媛県松山市にある石手川で詠まれたそうです。以前の石神井川は、若鮎が泳ぐようなきれいな清流だったそうです。
子規が詠んだ意味と少し違うかもしれませんが、高度成長によって川の様子が変わったことを憂い、清らかな流れがまた元に戻るようにという区民の願いに応える形で、板橋区がここに句碑を建立したそうです。

正岡子規の句碑。

春の桜が有名ですが、紅葉もきれいな石神井川の歩道。
加賀第二公園から加賀緑橋までの区間、川沿いの景色を眺めながら歩きます。日差しが出てきて気持ちいい散歩道です。橋を渡るとそこに、今回の目的地の加賀公園がありました。
「加賀」公園の名前と土地の歴史
加賀公園
江戸時代、このあたり一帯は加賀藩前田家の下屋敷がありました。そして、金沢の兼六園と同じく、回転式遊園が設計・整備されました。その広さは21万7千坪余り、東京ドーム15個分です。(東京ドームに換算されてもピンとこない人もいるかもしれませんが)。
この加賀公園は、屋敷内の庭園にあった築山=人の手で築かれた山の跡なのです。明治から終戦までは、敷地内に火薬を製造する板橋火薬製造所(東京第二陸軍造兵廠板橋製造所)がありました。今も築山の中腹には弾薬性能実験で使われた標的が残っていますし、FILE.105で紹介した軍需物資のための軍用鉄道の線路跡も園内にあります。ちなみに、火薬工場ではそばを流れる石神井川に水車をつくって動力として使用していたそうです。

築山の中腹に今も残る、弾薬性能実験で使われた標的。
この連載で何度も触れてきたように、大名屋敷の回転式遊園に築山あり。戦争の歴史を伝える痕跡を残しつつ、加賀公園の築山は今も健在です。築山の上から紅葉する木々を通して街並みを見下ろすと、何だか妙に晴れ晴れとした気分になりました。

木々の間から街を見下ろし、ここが小高い山であることをあらためて実感。
次回は、板橋区の徳丸富士です。