
【ホーボージュンのサスライギアエッセイ・旅する道具学10】第10話「ウミアッチャーの靴」
SUP「JP Australia /ALLWATER GT 12’6″」
赤灯台を回り込むと、風とうねりが急激に大きくなった。
SUPの先端がゆっくりと持ち上がり、次の瞬間ドーンと沈み込む。僕は慌てて海面をパドルで叩いてバランスを取った。
外洋は思っていたよりサーマルウインドが強かった。サーマルというのは正午近くになって陸上の気温が高まると、そこに向かって沖から吹き込んでくる風のことだ。セーラーやウィンドサーファーにとっては恵みの風なのだが、100%人力のSUPではちょっとばかり手強い相手になる。
そんな逆風に煽られてSUPは岸へ岸へと向かおうとした。僕はそれを強引に回頭させて沖に向かう。上腕に力がこもる。いっきに心拍数が上がっていった。右を10回漕ぎ、パドルを持ち替えて今度は左を15回漕ぐ。
そんな修行のような動作をひたすら繰り返すと、やがてN島が近づいてきた。それまで深い緑色だった海中に正午のまぶしい光が差し込み、エメラルド色に輝いている。それを見た僕は我慢できずに海に飛び込んだ。
ボコボコボコッッッ……。
顔の周りの泡が消えると、静寂が僕を取り巻いていた。海の中はSUPの上から見えた以上に透明度が高かった。
視界の端にチラチラとコバルトブルーがまたたく。ルリスズメダイだ。僕が湘南に越してきた20年前には真夏にしか見かけることはなかったが、最近は春先からたくさんの個体を見るようになった。温暖化の影響か、このあたりの海も亜熱帯の様相を呈し始めているのだ。
大きな岩を越えると全身を無数の半透明のツブツブに囲まれた。イカの赤ちゃんたちだ。イカは春から夏にかけての満月に産卵する。最近は磯焼けと藻場の減少で赤ちゃんイカの姿も減っていたが、今年は少し回復したのかもしれない。それを見て僕の口元はちょっと緩む。
ひととおり泳いで満足した僕はSUPをN島の水路に漕ぎ入れ、ギョサンを履いて島に上がった。晴れやかな初夏の午後。遠くには江ノ島と富士山。
「あぁサイコーだ……」
僕はドライバッグからサンドイッチとコーヒーを取り出すと、ピクニックランチならぬ“無人島ランチ”を楽しむことにした。
*
僕の住む町の沖合にN島と呼ばれる無人島がある。島といっても、直径150mほどの岩礁帯で、赤い大鳥居と小さな祠があるだけだ。夏休みには、貸しボートや体験カヤックに乗った観光客で賑わうが、平日はほとんど誰もいない。僕はSUPでこの島に渡り、シュノーケリングをするのが人生最大の(とはいわないが、片手に入る)愉しみだ。そんな海辺暮らしに愛用しているのがJPオーストラリアの「オールウォーターGT」というモデルである。
オールウォーターは海洋レース用にデザインされたシリーズで、全長が12フィート6インチ (381cm)もある。長くてスピードが出るが、細いぶん足元がグラグラで、海が荒れると僕などはまともに立ち上がることすら難しい。
そんな純レーサーをツーリング用にモディファイしたのがこのGTだ。幅は30インチまで拡大され、外洋のうねりの中でも安定感がある。またバンジーコード付きで荷物も積めるし、広いデッキで昼寝もできる。表層はウッド仕上げでオールドスクールな雰囲気もたっぷり。僕の好みにドンズバなのだ。
SUPのいいところは自転車と同じで、誰にでも乗れることだ。自由気ままに海を散歩でき、暑くなったらそのままザブンと飛び込める。さらに僕が気に入っているのが、フィットネス効果がめちゃくちゃ高いことだ。不安定な波の上ではボードに立っているだけでバランス感覚と体幹が鍛えられるし、そのうえハードなパドリング動作を行なうから全身がムキムキになる。さらに有酸素効果も絶大。体の鍛錬には最高なのだ。
ただ風に弱いからオフショアや離岸流には注意が必要だ。またしっかりとしたスキルを身に付けておかないと帰ってこれなくなる。凪いでいても海は怖い。そこは絶対に忘れてはならない。そんな緊張感を含め、僕は日々のSUPを愉しんでいる。
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今から30年ほど前、僕がシーカヤックで海を旅するようになったころ、沖縄に住む僕の師匠が自分のことを沖縄方言で「ウミアッチャー(海歩人)」と呼んでいた。主に職業漁師を意味する「ウミンチュ(海人)」とはちょっとニュアンスが違って、もっと気ままで自由に海に出る人のことだ。僕はこの言葉が大好きだった。
そして初めてSUPに乗ったとき、僕は「これはウミアッチャーの靴だ!」と直感した。この靴を履けば海の上を自在に歩くことができる。好きなときに好きなだけ海上散歩を楽しめる。僕はSUPの虜になった。
楽しいときだけではない。プライベートでしんどいことが続いたときや、仕事のストレスが限界に達したときにも僕はコイツを履いて海に出る。陸の喧噪と面倒くさいアレコレから離れ、風と太陽以外、何もない海上へとエスケープするのだ。
これほどまでにシンプルで、自由で、厳しく、豊かな道具はなかなかない。いまやSUPはただの遊び道具ではなく、僕の毎日に欠かすことのできないライフギアになっている。

ホーボージュン
大海原から6000m峰まで世界中の大自然を旅する全天候型アウトドアライター。X(旧Twitter)アカウントは@hobojun。
※撮影/山田真人