
街を抜け出し、山中の廃墟を探して歩いてみた

ポルトガルといえば、かつて16世紀に巧みな航海術でインド航路を開拓し世界の覇権を握った国。青いビーチと白い砂浜が輝く海のアクティビティを目当てに観光地としても人気ですが、山間部には地元民に愛される避暑地のような田舎町モンチークがあります。
石畳の坂道沿いに小さなカフェや雑貨屋さんが並ぶこの町に私がやってきた理由。それは、とある有名な廃墟の修道院を訪ねるためでした。
前回の『佐藤ジョアナ玲子の世界お散歩紀行』はこちら↓

廃墟の修道院は、市街地のすぐ裏手にそびえる山の中にあります。とりあえず、住宅街の細い路地を上り坂方向に歩くべし!とても小さな町だから、迷子になるのも楽しいものです。

住宅街の終わりでハイキングコースを示す看板を発見。この先には木の幹の樹皮だけをきれいに剥かれた裸の木々が並ぶ森があり、どうやらコルクの産地のようです。廃墟の修道院があるのは、そんなちょっぴり不思議な森の中。
立派な廃墟となった噂の修道院に到着

廃墟とはいえ、ビクともせずに立派な外観を残しているこの建物は、16世紀頃に建てられた修道院だそうです。
そう、16世紀といえばポルトガルが大活躍した大航海時代。大嵐の海を生き延びた航海士が、命からがら目に留まった陸地に教会を建てようとして、この修道院が生まれたという伝説もあります。
実際には、1631年にポルトガル領インドの統治者によって修道院が開かれ、1834年まで使用されていたそうです。

正面にある立派なアーチはいかにもヨーロッパ風。この重そうな建物は1755年に発生した地震で被害を受け、1842年には競売にかけられて持ち主が複数回変わったのちに、生活困窮者が集まって暮らすようになりました。

入り口には枝で組んだ簡易的な柵と扉、そして小さな畑もありました。実は今でもひとりだけここに暮らしているおじいさんがいるのです。足腰が悪く、座っている時間が多い様子ですが、山を上ってやってきた見学者を快く修道院に招き入れてくれます。
そんなフレンドリーなおじいさんの噂を聞きつけて、若者だけではなく子供連れのハイカーまで訪れる、モンチークの隠れた名スポットになっています。

入ってすぐの部屋は電球もなくて少し暗いけれど、ここがおじいさんのリビングルームのよう。寝泊まりする部屋は、この二階部分にあるそうです。
奥の中庭から漏れる太陽の光を頼りに、さらに進んでみました。

おそらく礼拝堂があったと思われる場所は、レンガで組んで造られたアーチ状の天井がありましたが、今はもうほとんどが崩壊しています。
おじいさんは人生のほとんどをここで暮らしているそうで、なんとその期間はおよそ50年。貧困に苦しんでいたご両親が、食べ物を育てながら自由に暮らせる場所を求めて、一家で移り住んだそうです。
当時は同様の事情を抱えた複数世帯が集まり、修道院の空き部屋に各々拠点を設けて一緒に暮らしていたのだとか。つまり、このコケだらけの階段の上にも、誰かが住んでいた時期があったのです。

おじいさんをはじめ、ここに住んでいた人たちはホームレスと呼ばれていました。でも、家にこんなに広い空間があるなんて、ある意味、誰の家よりも大豪邸です。

屋根も壁も崩壊せずにしっかり残っている空間もあります。いくつか落書きがあって、多いのは4つの数字2018。
一体「2018年」になにが起こったのか?調べてみると、モンチークの山で大規模な山火事が発生した年でした。
火の手は夜中のうちにこの修道院まで迫り、それに気が付いたおじいさんは慌てて飛び起き、建物の外壁に水を撒いたそう。ここで暮らしていたのはおじいさん一人だったけれど、町に住んでいた弟さんもショベルを持ってやって来て、修道院の入り口まで飛んできた火に土をかけて消火しました。
修道院は火事で焼失したと町の人々は思い込んだのですが、おじいさんのおかげで無事に生き延びたのです。

山火事なのに逃げずに留まったのは、人命の観点からは良い選択ではなかったかもしれません。でもそうしたのは、この場所がおじいさんにとって、かけがえのない大切な家だったから。そういう思いが伝わったのか、今では町の人たちからも認められた存在です。

コケに浸食されたボロボロの壁に残っていたタイルは、青と白が鮮やかなポルトガルらしい配色でした。モチーフは、鳥や花など自然で優しいもの。
廃墟というと、なんとなく暗くて怖いイメージがあるけれど、ここは平和で穏やかな空気が流れていました

日あたりの良い中庭には、大きな木が生えていました。
この中庭は、修道院が現役だった時代には家畜を育てるために使われていたそうで、修道院の食卓を支える場所でした。廃墟になっても用途はあまり変わらず、今でもニワトリが自由に歩いています。

「私たちにはお金はないが、食べ物はある」
これはおじいさんがまだ若かったころに、お父さんから聞かされた言葉だそうです。自分たちで野菜や家畜を育てることができたのは、山の中に引っ越したからこそ。家族が生きるために、自給自足の道を選んだのでしょう。
修道院は信仰の場所であるとともに、キリスト教の愛の精神をもって貧しい人たちに食事を与え助ける場所でもありました。
建物が廃墟になっても、雨風をしのいで暮らし食べ物を育てることができる、いわばシェルターとしての役割を果たし続けていることにロマンを感じます。

おじいさんが修道院で栽培したオレンジが山ほどバケツに入っていたので、いくつか買ってみました。形は不揃いだけれど、食べてみたら驚くほど甘い!!また食べたい!
モンチークの美味しいお水の話

さて、モンチークはミネラルウォーターの産地でもあり、ミネラルウォーターの工場の裏手の山道を上ると誰でも飲める水くみ場があります。せっかくなので行ってみることにしました。
美味しいお水に辿り着く前に見つけた果物の木は、まるで日本のビワ。食べてみても、やっぱりビワの味!

続いて町の中で巨大な窯を発見。小さな扉を開けてみたら、なかは平たい板があって、まるでピザ窯のようです。

やがて小川が見えてきました。段々畑のように何段も細かく落とされていて、きっと空気をたくさん含んだお水です。

さあ、水を汲んでお茶にしよう
お水はどこから来ているのか、辿ると現われるのがこの水くみ場。後ろのドアの隙間からも水が溢れ出していますが、一体ドアの向こうはどうなっているのか…。

ここで私がやりたかったのは、天然のお水を使ったティータイム。キャンプ用のコンロなど、必要な道具を持ってきましたが、なんと肝心の茶葉を忘れました。
仕方がないので、お湯を飲みましょう。

うーん。お湯よりも、冷たいままのお水のほうが美味しいかな。
でも、それよりもっと美味しいのはお酒。茶葉を忘れたこの日、ちゃっかり持ってきていたのはお酒のジン。くーっ!たくさん歩いたあとの一杯は最高です。