広葉樹の森とともに生きたい! 埼玉出身の私が福島県南会津町に移住したワケ | 田舎暮らし・移住 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル
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    2024.01.31

    広葉樹の森とともに生きたい! 埼玉出身の私が福島県南会津町に移住したワケ

    広葉樹の天然林が森林面積の75%を占める福島県南会津町。アウトドア好きの若者・松澤瞬さんが魅了されたのは、美しい森と、森とともに生きる人々の暮らしでした。やがて関わりを深めていくうちに、林業が抱える深刻な課題を知ることになります。松澤さんが移住を決意したのは、森が美しいだけではなく、それが大きな課題をかかえていたからでした。人はなぜ移住を決意するのか。ここでは松澤さんが移住を決意するまでのなりゆきをご紹介します。アウトドアや自然が好きなみなさん、ともに未来をつくる仲間になりませんか?

    途中下車のつもりが移住することに!!

    雪の中のログハウス

    南会津町は新潟県との県境に近い豪雪地帯だ。

    私は埼玉県加須市の生まれ。いまはNPO法人「みなみあいづ森林(もり)ネットワーク」代表理事の仕事をしているので「幼少期から森林のなかで育ってたの?」と聞かれることも多いのですが、加須市は田畑が多い盆地です。ここでは中学校卒業までを過ごしました。

    高校は神奈川県横浜市へ進学。運動部全体が盛んな学校で、寮生活をしながら陸上競技に熱を注ぎました。何よりも運動部の寮生活は今振り返ってもとても刺激的でしたし、私の人格形成がされたのもこの時期だったかな? と思うこともあります。

    大学は北海道教育大学へ進学。国公立大学としては異色な「アウトドアライフ専攻」が設置され、そこの一期生です。アウトドア・アクティビティーを教育的・環境的・社会的・スポーツ的な学問の視点で捉えることを目的として、各分野のプロフェッショナルな教授陣と超個性的な同期、他大学では考えられないハードなカリキュラムが特徴でした。北海道の雄大な自然と身近なライフスタイルを大学院修了まで続けました。修了後は札幌市で教職に就く人生設計を立てていました。

    最初から南会津への移住を考えてはいなかったというのが本音かもしれません。大学院在籍時に地域教育を研究分野としていたなか、2011年東日本大震災の被災地支援の活動によって地方の農村の現状を体感し、「地域」に対する関心がいっそう強まったことも契機だったと思います。

    トラックの荷台に乗る若者

    移住したての頃、仲間たちとキャンプ場を作るため木材を運搬。

    2012年、かねてより南会津町で農村社会学の調査研究を行っていた筑波大学の教授に誘われ、教職に就くまでの社会勉強のつもりで南会津町との関わりが始まりました。当時の町は他所から来たものが収入を得られる仕事も少なかったため、筑波大学大学院に研究生として籍を置きながら、つくば市と南会津町の2拠点生活をしていました。

    雪の中、カーブミラーに映る自分たちを撮影

    こちらも移住して間もない頃。スキーで雪山散策を楽しんだ。

    南会津町に関わってからは地域住民との交流や、イベント・集落の集まりに参加してだいぶお酒も酌み交わしました。また積極的なフィールドワークや地域のキーマン(私を導いてくれた強烈な地域の仕掛け人!)の活動にも参画したことによって、地域づくりに携わることへの関心が日々増していくのを実感し、2013年に筑波大学大学院を除籍し南会津町への移住を決断しました。

    今となっては「2013年に移住した」と言えるのですが、当時は心のどこかでまだ教職の道へ戻ることの可能性もあったかな? とも思っていました。

    南会津町は森林の約75%が広葉樹の天然林

    「南会津町は過疎化の進んだ人口の少ない小さな町」というだけだった先入観は、すぐに払拭されました。そこには香川県や神奈川県の面積に匹敵する広大な森林がありました。町の面積の約92%が森林です。そこにある巨大な資源蓄積量、数百kmにわたって張り巡らされた林道……。南会津町の森林のスケールはとてもインパクトがあり、魅力的に映りました。

    北海道全域をキャンパスに活動していた大学時代には、勝手に「北海道の自然が一番」と思い込んでいたのです。しかし、四季ごとに変わる広葉樹林の色合い、生活や文化と共存した里山、四方八方を森林に囲まれながらも生活圏との適切な隔たりのある物理的な距離感など、南会津の森林は雄大で荘厳な北海道の自然にはない、心身の居心地の良さがありました。

    田園風景

    山々に囲まれた盆地でも標高は500mほど。集落の近くに人工林、山間の森は広葉樹林だ。

    そのうちに、南会津の最大の魅力は広葉樹だと思うようになりました。町内の森林のじつに75%ほどが広葉樹の天然林だったのです。日本全体では植林された針葉樹の人工林が総森林面積の約40%ですから、いかに南会津町が広葉樹の天然林に恵まれたところかがわかるでしょう。

    森の歩き道

    広葉樹林に続くトレイル。山仕事、交易などで開かれた古道も残り、近年の山歩きなどのために踏み固められたところある。

    広葉樹の樹種数は40種以上にのぼります。広葉樹林は四季の色合いなどランドスケープとして楽しめるだけでなく、野生動物や山菜・キノコ・薬草といった林産物などに恵まれ、豊かな生態系の基盤にもなっています。そして、森林の貯留・浄化作用によって透き通った清らかな水は、渓流釣りを楽しめるだけなく、南会津の酒造や農業の源となっています。

    広葉樹の豊富な樹種と資源量、動と静が共存する森林空間、高低差など変化に富んだ地形、林業や木材業などの基幹産業は、南会津の財産としての大きな魅力であると直感しました。

    野菜

    地元の農家からお裾分けしていただいた。こちらは秋の野菜。夏はトマト、アスパラガスが名産。

    畏れ敬う対象になる堂々たる森林とその文化だけではなく、南会津町の地域住民の方々にとっては森林が生活の一部になっているところも私が惹かれた理由です。キノコや山菜採りは毎年の習慣ですし、薪の調達も行ないます。伝統的な工芸品(木地師がろくろで生産する椀などの木工品や草木染めほか)、収穫祭や歳の神(五穀豊穣、無病息災を願う伝統の火祭り)といった祭事・神事が現存し、地域の暮らしと根強く結びついています。

    ふたのついた木の器

    かつては山々に木地師が住み着いてお椀やお盆を作っていた。それらは城下町の会津若松に運ばれて漆器になった。写真は町内の現代作家の制作品。

    こういった南会津の森林や産業、文化は、私の経験値にある「アウトドアライフ」とはすぐ隣の業界であると実感し、この地域の森林産業の携わってみたいとの思いが強くなりました。

    森を守る取り組みが、森と人々を断絶させた

    そんな魅力度の高い広葉樹林と、森とともにある文化ですが、実際は課題が山積みでした。

    かつて、南会津は広葉樹林業の一大生産拠点として全国的にも名を馳せていました。広葉樹は、コナラなどが薪や炭に利用されてきたことは多くの人が知るところでしょう。南会津町は薪炭材だけではなく、家具材の供給地だったのです。そのため、薪や炭が使われなくなっても広葉樹林業は活気を失いませんでした。

    加えて南会津は豪雪地帯。スギ、ヒノキといった針葉樹の良材が育ちにくく、広葉樹林を伐採して針葉樹に植え替えることが進まなかったのです。

    南会津の広葉樹林

    コナラ。根本から何本も幹は、一度伐られた株から萌芽更新したもの。使いながら育った証拠である。

    それでも、国産材が高値で取引されるようになると、外国産材の輸入も進んでいくようになり、次第に南会津の広葉樹産業は衰退し始めました。また一方で国産材のバイヤーや伐採事業者が乱立し、乱伐による優良材の減少とともに環境破壊を危惧する社会活動も起こっていきました。

    かつては国有林でも林野庁が選定した広葉樹を入札制度で伐ることができたのですが、ちょうど屋久島と白神山地の原生林が日本初の世界自然遺産に登録された頃ですから30年前です。国有林の天然林は全面伐採禁止の措置が取られてしまいました。その結果、木材生産量の減少によって木材生産事業者は廃業に追い込まれ、ついには南会津産広葉樹の流通は、ほぼ途絶えてしまったのです。

    伐採した木

    原木を切り出すには山中に運搬路を開き、動線を作ってから行なうので計画的に進める必要がある。

    これらの課題は若い世代にも波及しています。さきほど南会津町の「地域住民の森林とのつながりが魅力的」と書きましたが、それは一定層の方々の関わり方です。私が南会津町に移住した頃にはすでに、若い世代や子どもたちの大半は、森林が物理的には近くにありながらも、森林に関わること(自然が遊び場であったり、家族といっしょに薪拾いや山仕事をしたりする機会がないこと、木そのものに触れることがないこと)がほとんどなく、森が精神的に非常に遠い存在となってしまっていました。それでは、地域の持続的な森林の保全や利活用に携わる人材は育たずに森林への無関心と放置化は一層加速化される……と、本当に心を傷めました。

    森林業復興の取り組みがはじまり、移住を決意

    広葉樹林業の衰退の理由は、乱伐もしてきた点など猛省すべきことではあると思うのですが、南会津町の森林は地域の暮らしとともにあり、人の手が加わってきた歴史があります。森林資源を使いながら守ってきた人の営みの積み重ねです。もちろん、環境破壊を食い止めて動植物の生態系を守ることは大切だと私は思ってきました。しかし、国有林の全面伐採禁止の措置がとられた頃から、「森林保護とは森林に手を加えないこと」という意識が、行政にも一般市民にも広がっていきました。南会津町も例外ではありませんでした。

    それは次世代にとってマイナスだと、私は考えるようになっていきました。現に人が森に手を加えないことで下草が生い茂るなど、森林内の視野が狭まって野生動物との偶発的な接触が増加し、ナラ枯れなど喫緊に対処しなくてはならない問題が起こっていました。ナラ枯れは上手に伐れば萌芽更新によって再生するナラ類を、伐らずに放置してしまって大木にさせてしまうのが原因なのです。

    チェーンソーとおじさん

    町の林業家は高齢の方が少なくない。そうした方々から技術を受け継ぐのも大切なこと。

    このまま森林の荒廃、森林産業の衰退、森林と人とのつながる機会の減少といった多重の課題に目をつむっていてよいのか? 私でなくても状況を知った人なら、誰もがそう思うはずです。しかし、実際に行動することはなかなかできません。地元の人も同じでした。

    それでも南会津町では、森林産業に関わる地域事業者と行政が一丸となり、地域産材の利活用による森林・経済・人材の循環を目指したNPO法人「みなみあいづ森林(もり)ネットワーク」(以下、MMN)が設立されたのです。ちょうど私が移住を決断したタイミング。2013年のことでした。

    木の板が積んである

    広葉樹は床材など建材としても需要がある。外国産材に押されている現状を、何とか打開して国産材の需要を延ばしたい。

    「みなみあいづ森林ネットワーク」(MMN)とは

    MMNは森林産業のなかで絡み合う関係性を整理し、一気通貫のサプライチェーンを構築することで、持続可能な地域林業にチャレンジしていくための組織でした。

    森林所有者、育林・伐採・運搬などを行なう事業者、製材所、建築家、大工、木工家と、森林産業の川上から川下までの方々はもちろん、行政の方々、それから一般の地域住民もメンバー。そして、木材供給、家具や内装材などの木製品開発を支援することで南会津の産業再興への寄与を目指していったのです。私は事務局を7年務め、現在は代表理事です。

    木の板

    銘木は家具材として重用されてきた。全国各地のデザイナー、家具職人の方々と交流しながら需要の道を探っている。

    このMMNでの活動を通じて、やがて私は森林利活用の可能性の幅を広げたくなっていきました。そして、2019年に合同会社SCOPを起業しました。SCOPは森林経営のコンサルタントとして、3つの事業を行なっています。

    • ① 「資源」:森林の「資源」を使う事業
    • ② 「空間」:森林の「空間」を使う事業
    • ③ 「人」 :森林に関わる「人」を増やす事業

    地域の資源は「広葉樹」であるということを捉え直し、①「資源」では、森林の集約化、原木の伐採・流通、製材の流通、商品開発、林産物の活用を行なっています。

    ②「空間」では、森林環境の整備、キャンプエリアやランドスケープの造成、教育・福祉・医療と連携したツーリズムの企画、実施をしています。

    南会津の広葉樹林

    昨年の夏、森林学の研究者、その学生の方々に協力していただいて買い取った森の資源量調査を行なった。

    ③「人」では、森林と関わる人材の増加を目指すために関係人口の創出企画や企業・大学と連携した活動にも取り組んでいます。森林の利活用を従来の林業にとどめるのではなく、「遊び」の要素も加えて広げていこうという考えで、いうなれば林業から森林業へシフトです。それこそ、かけがえのない森林を未来へつなぐいちばんの方法だと思うのです。

    あなたも南会津に住んでみませんか? 

    南会津町の森林業協働施設

    南会津町の中心地、田島地区に町が「森と木の情報・活動ステーション」として創設した「きとね」。2022年に完成した。

    私が南会津に移住して11年目になります。今となっては「移住」といって差し支えないでしょう。地元出身の女性と結婚し、子どもを授かり、南会津町に根を張って暮らすことで地域や森林の見え方も変わってきたと実感しています。

    今シーズンも家族でスキーを楽しんだ。南会津町には4つのスキー場がある。

    小さい地域ならではの公私混同とでもいうような、老若男女の垣根などない濃い人付き合いを軸にしたライフスタイル、四季のなかで移ろう生活文化、豊かな自然のなかでの遊び、森林との関わりは子育ての環境としてもいい環境だと思っています。そして現在、思いを共有し、森と人の未来への活動をいっしょにしてくれる仲間を切に切に求めています。

    ほしっぱの家

    針生地区の設計事務所「はりゅうウッドスタジオ」は町産木材の活用促進、移住促進を地道に進めてきた。写真の「ほしっぱの家」は同社が運営する多目的活動施設。

    「ほしっぱの家」の内部

    「ほしっぱの家」は大学の課外授業や企業研修などを想定した施設で宿泊も可能。「ミナミアイヅライフ」とも連携していて、うまくマッチングできれば利用可能だ。

    もちろん仲間になること、さらには移住を決心しするには、さまざまな課題やハードルがありますよね。「暮らそう」という決心は、私の場合もそうでしたが、単に旅で訪ねるのではなく、旅を一歩越えた旅とでもいうのか、地元の人たちとの交流もあり、旅館や民宿、あるいはキャンプ場などではないところへの滞在の体験が必要だと思います。

    まずは移住体験を!

    「旅以上、移住未満」などいう言葉も聞こえますが、最近、福島県はそんな滞在を実現しやすくする制度を作ったのです。それが、南会津地域への興味関心がある方をサポートする福島県南会津 移住・定住者向けサイト「ミナミアイヅライフ」です。中長期間、南会津町に滞在してのインターンや生活体験などを、金銭的にもサポートする制度です。

    南会津のなかでも針生(はりゅう)という集落は私のおすすめです。移住や二地域居住の支援を約40年前から積極的に行ない、地元住民との関わりだけでなく独自の生活スタイルを確立するなどために参考になる移住者も多くいます。ぜひ、南会津で未来のために森林業をいっしょに進めましょう!

    南会津の温泉

    町内の各所で温泉が沸き、共同浴場もたくさんある。

    ●福島県南会津 移住・定住者向けサイト「ミナミアイヅライフ」 https://www.minamiaizu-life.com
    ●合同会社SCOP https://www.scop-consulting.com
    ●福島県移住ポータルサイト「ふくしまぐらし」松澤 瞬 https://www.fukushima-iju.jp/ijushanokoe/197.html

    私が書きました!
    合同会社SCOP 代表
    松澤 瞬(まつざわ・しゅん)
    1988年埼玉県加須市生まれ。北海道教育大学岩見沢校の芸術・スポーツ文化学科アウトドア・ライフコースで学び、同大学院修士課程修了。その後、筑波大学大学院で森林学を学びながら南会津町との2拠点生活を始めた。2013年、NPO法人みなみあいづ森林ネットワークが設立され事務局事業に専念。現在は同組織の代表理事を務めるとともに、2019年に設立した合同会社SCOPの代表として林業にとどまらない広葉樹林の利活用を進めるべく活動している。

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