ドナウ川最大の水門越え
ドナウ川で最大、いや、ヨーロッパ全域でも最大クラスの水力発電所「ジェルダップ」は、セルビアとルーマニアの間にある。「ジェルダップ」というのはセルビア側の名前で、英語では一般的に「アイアンゲート」。ルーマニア語では何か私には聞き取れない名前だったけれど、英語と同じく「鉄の扉」という意味がある名称らしい。
大自然が生んだ大河であるドナウ川を、鉄とコンクリートの塊でど真ん中からせき止めているその異様な姿から、「鉄の扉」というイカツイ名前がついたのだと思われるが、実際、ドナウ川を行き来する船は、このダムに差し掛かると、鉄でできた大きな水門を通ることになる。
これまで通過してきたドナウ川の水門は、大抵、脇に階段やスロープがあってカヤックで陸を迂回できるようになっているが、ジェルダップにはそれがない。ドナウ川を行き来する大きな船にくっついて、一緒に水門を通るしかない。当たり前だが、カヤックでジェルダップを越える人はそう頻繁にいるものではなく、ダム建設当時は、カヤックの通行を前提に考えられていなかったのかもしれない。
ドキドキのジェルダップ越え。私は無事故で通れるのだろうか?
ジェルダップ・ワン
実はジェルダップの水力発電ダムは、80km間隔で二箇所に設置されていて、上流側から順にそれぞれ「ジェルダップ・ワン」「ジェルダップ・ツー」と呼ばれている。
ジェルダップ・ワンが作られたのは1972年。ルーマニアの代表デジ氏と、 現在のセルビア(当時のユーゴスラビア)を束ねていたチトー氏が協力して建設した。当時としては世界規模の水力発電ダム建設であり、バルカン諸国に新たな友好関係を生むとして、1964年の着工当時のニューヨークタイムズ紙曰く、ドナウ川の両岸に1万人の群集が集まり「デジ!チトー!!」の大喝采だったらしい。
現代では、ダム建設というと自然や生態系への影響から少なからず反対意見が出るイメージがあるが、当時はまだそういう認識が少なかったのか、それとも両国ともに共産主義の真っ只中で政府への反対意見は表に出ない時代背景だったのか。
ジェルダップにはセルビア側とルーマニア側にそれぞれ発電所があって、現在でも国内の電力需給を支える要の一つになっているが、歴史を遡ると、犠牲になったものもある。有名なのは、かつてドナウ川に浮かんでいたアダ・カレ島。第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊する以前はオスマン帝国が統治していた島だった。そういう背景があって、島の人口はルーマニア人でもセルビア人でもなく、ほとんどがトルコ人。しかし150世帯が暮らすその島は、ダム建設によりドナウ川の底に沈み、島民のほとんどはトルコおよびバルカン諸国に引っ越したという。
転覆の危機
ところで、ジェルダップ・ワンの水門をどう通るかというと、基本的には電話で水門の管理棟に連絡して、水門についている信号の指示に従って通過するのだが、この時、私の携帯に挿さっていたプリペイド式のSIMカードは、通話に関しては事前に別途課金が必要で、使えなかった。
仕方なく、水門の手間にあったハシゴを登っていって、見回りをしていた係官に尋ねると、ドナウ川にニョキニョキ生えているコンクリートの柱のあたりで待っているようにいわれた。別の船が後ろから来るので、それにくっついて一緒に水門を通過するのだ。
でも、ダム手前とはいえ、まったく川の流れが止まっているわけではないし、風がちょっと出ていると多少波も立つ。長時間、川の上で静止しているのも難しいので、そのコンクリートの柱にくっついているハシゴに掴まって待っていた。
2、30分して、ガラガラ…と重そうな音を響かせながら水門が開き、一隻の大きな船がやってきた。
私への指示は、まだ「待て」のまま。
それからさらにもう一隻。
だけどやっぱり合図はまだ「待て」のまま。
最後にやってきた一隻は、大きな船だけど、すごくゆっくり、音もなく近づいてきた。そして最後、ちょうど私の真横を通過するあたりで、進路を微調整するための強烈な横噴射をした。
カヤックのほぼ真横から激しい水流が直撃。あわや転覆の危機。寸前のところで持ち堪えた。
これは完全に私の不注意で、並んでいるコンクリートの柱のちょうど死角になって、私もその船もお互いのことが見えていなかった。
あとで私の姿に気がついた船長と乗組員たち、みんなびっくり「ゴメン、ゴメン」の大合唱。いえいえ、こちらこそお騒がせしました…。
水門の中は、こんな感じ
ジェルダップの水門を越えるときに心に留めておかないといけないのは、水門手前の待ち合わせスポットに到着してから、実際に水門の向こう側に通過するまでは、結構時間がかかるということ。
私の場合は、水門の手前に到着して、係官に見つけてもらって、それから一緒に水門を通過する3隻の船が全員集合するまで1時間か、下手すると1時間半くらい待った。
そして全員が水門の内側に入ってから、入口の水門が閉じて、排水が完了するまでが30分。
後ろを振り返ると、入口の扉の根本のコンクリート部分が露出するくらいまで水位が下がっていた。
排水が完了して出口側の水門が開いたら、通過完了。ではなく、ジェルダップ・ワンの場合は、2段階式になっていて、水門の出口の先にもう一つ水門がある。
この扉の向こうに全員が移動してから、2回目の排水が完了するまでがまた30分近くかかる。だから結果的に、水門手前の待ち合わせスポットに着いてから実際に水門の向こう側に行くまで、私の場合はたっぷり2時間半くらいかかった。
待ちながらお菓子や飲み物を飲んでいたせいで、水門の中に入ったあたりで無性にトイレに行きたくなってしまったが、ひとたび水門の中に入ってしまったら離脱することはできない。他の船の乗組員の目もあるので、カヤックに乗ったまま器用に用を足す、というのも難しい。
もしこの記事を読んでくれた人がジェルダップ・ワンをカヤックで通ることになったら、事前にトイレを済ませてスッキリしてから向かうことをお勧めしたい。
ジェルダップ・ツーは仲間と一緒に
一つ目のジェルダップを越えたあと、「ブラザ・プランカ」という小さな町のレストランで、鉄板の上にバターに浸ったソーセージがこんもり盛られたランチを食べていると、テラス席の向こうの砂浜に、大荷物を載せた二人乗りのカヌーが現われた。
私と同じく、ドナウ川を河口目指して漕いでいるドイツ人のフリッツさんご夫妻だった。
かなり個性的なスタイルで川を下っているご夫妻なのだが、彼らの紹介はまたの機会にするとして、話してみるとなんと私たちは同じ日の別の時間にジェルダップ・ワンを通過していることがわかった。
私は、漕がずにダラダラ街に滞在する日もある一方、彼らはほぼ毎日休まずに漕いでいる。だから結果的に私よりずっと速いペースで旅を進めているのだが、漕いだ日に限って比較すると、一日に進める距離には大差がないことがわかった。ジェルダップ・ツーまでは一緒に行って通過しようという話にまとまった。
「1時間待って」と言われて
ジェルダップ・ツーの管理棟にはフリッツさんご夫妻が電話してくれた。係官は、英語もドイツ語あまりうまくは通じなかったみたいだけど、とにかく1時間水門の手前で待つように指示があった。待機場所は、水門手前の、堤防のような岩が敷き詰められている場所。日陰がほとんどなくて、暑い。
しばらくして下流から一隻、船が水門を登ってきた。その後はいくら待っても上流から船がやってくる気配はない。そして、そのまま約束の1時間が経過した。水門は、今までの例でいうと、上流から船がやってくるのを待って、到着したら一緒に後ろにくっついて通過するのが常だったのに…。
結果的には、ハインツ夫妻が事前に電話していたおかげか、約束の1時間が経った頃、ほかに船が来ていないにもかかわらず、私のカヤックとハインツ夫妻のカヌーだけで水門を通してくれた。
水門の中は排水に伴って水位が下がっていくので、水位に合わせて上下する壁の鉄板を手すりがわりにして、排水完了を待つ。だけど、ハインツ夫妻のようなカヌーの場合、オールの支えになっているパーツがカヌー本体から出っ張っているため、手すりに掴まるのが難しい。
そこで、長い棒の先に、ディズニー映画のピーターパンに出てくるフック船長みたいなフックを取り付けて、それで手すりを引き寄せて、掴まっていた。
カヤック旅もカヌー旅も目指すゴールは同じく黒海。今日ここまで辿ってきた道も同じ。だけど細かい小道具や必要な工夫は、ちょっと違う。私たちが見ているドナウ川は、どれだけ同じで、そしてどれだけ違うんだろう。