トカラ列島生まれ育ちの船長、最後の航海

2019.09.15

私が書きました!
イラストエッセイスト
松鳥むう
離島とゲストハウスと滋賀県内の民俗行事をめぐる旅がライフワーク。今までに訪れたゲストハウスは100軒以上、訪れた日本の島は102島。その土地の日常のくらしに、ちょこっとお邪魔させてもらうコトが好き。著書に『島旅ひとりっぷ』(小学館)、『ちょこ旅沖縄+離島かいてーばん』『ちょこ旅小笠原&伊豆諸島かいてーばん』(スタンダーズ)、『ちょこ旅瀬戸内』(アスペクト)、『日本てくてくゲストハウスめぐり』(ダイヤモンド社)、『あちこち島ごはん』(芳文社)、『おばあちゃんとわたし』(方丈社)、『島好き最後の聖地 トカラ列島 秘境さんぽ』(西日本出版社)。最新刊は初監修本『初めてのひとり旅』(エイ出版社)。
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秘境航路の“サヨナラ”

「LCCでお安く週末海外旅行を!」などと謳われるこの時代に、いまだアクセスは週2便のフェリーのみ。もちろん、空路はない。そんな場所が日本にあるのをご存知だろうか?

鹿児島の南、屋久島と奄美大島の間に連なる7つの有人島。“日本最後の秘境”とも呼ばれる島々・トカラ列島が“そんな場所”である。

島人の唯一の足となっている“フェリーとしま2”。トカラ列島を有する鹿児島県十島村の村営船フェリーだ。7島合わせても人口1000人に満たない十島村。アクセスの困難さから、観光客も溢れるほどいるわけではない。フェリーは赤字運営だ。それでも、なくてはならない航路なのだ。黒潮のど真ん中に位置するにも関わらず、防波堤がなく港が海にむき出しになっている島もあり、接岸するには船長の経験と腕にかかってくる。

2019年3月某日。“フェリーとしま2”のブリッジから、トカラ列島各島の入港を見守るのは中村学船長。御年60歳。トカラ列島最北の島・口之島出身。この日は、学船長の最後の航海日だ。
春なのに夏を思わせるような日差しと広い青空と、トカラブルーと呼ばれる青い青い大海。白波が立つこともなく、トカラの海では珍しく(?)最高のベタ凪だ。「神様が最後の航海にくれた贈り物だね」と、目を細める学船長。

内地に住む私たちの周囲でも定年退職される方々がおられると送別会をやる職場も多いかと思う。ただ、離島の場合“サヨナラ”というできごとは島挙げての一大セレモニーとなる。しかも、トカラ列島は7つ合わせてひとつの自治体だ。島は違えど知り合い同士も多く、フェリー乗船時も船内の食堂に島人が集まり、まるで、移動集会所のような賑わいになることも。だから、きっと、この航海ではいろんなコトが起こるに違いないと私の心は浮き足立つのだった。

この日、フェリーが島の港に近づくと、いつもよりも港が賑わっているコトに気付く。通常は荷役の男性陣と看護師や役場の駐在員、荷物を受け取る数人の女性のみの場合が多い。だが、この日は島内の大人はもちろん島の子どもたちも大集合だ。(と、言っても、子どもの数は少ない島で10人ほど、多い島でも20人ほどなのだが……)。小中学校の先生で任期を終えて島を出る人もこのフェリーに乗船するため、尚更、島の総出感がハンパない。
港にズラッと並ぶ島民。タラップを降りて、みなの前に立つ学船長と、同じく定年退職を迎える貴島茂喜機関士。島民代表から送辞と花束が贈られる。そして、それに応えてふたりの挨拶後、全員で記念撮影も。

まるで、学校の卒業式を7島繰り返し行っているかのよう。さらにその後は、島人が個々に船長たちに声をかける。ある人は船長と肩を組み、ある人は、まだ幼いわが子を船長に抱っこしてもらいながら。荷役と船員の人たちが船の荷物を上げ下ろししている15分ほどの間に織り成される光景。島によっては子ども達の踊りがあったり、手作りの横断幕に“中村学船長 貴島茂喜機関士 長い間お疲れ様でした ありがとうございました”と書かれていたり。

中でも、私のお気に入りは、平島の漁師宿「たいら荘」の軽トラに掲げられた国際信号旗だ。“ご安航を祈る”という意味がある。“祝・定年成就 第2の人生の船出につきご安航お祈り申し上げます”。海人から海人への粋な演出に見ているコチラも思わず顔がほころんでしまう。

世界一危険で世界一美しいトカラの海

皆に愛されている学船長。私のようなリピーター観光客のコトまでも覚えて頂き、たま~に、ブリッジにお邪魔させて頂いたコトも。そんな時、きまって学船長はこう言っていた。「船乗りとして世界中の海を見て来たけれど、トカラの海ほど美しいところはない」と。海を見つめる瞳が、まるで少年のようにキラキラとしている学船長。だが、実は、もともとは船乗りになる予定ではなかったのだと言う。子どもの頃から、生まれ育った口之島の海を眺めるのが好きだった。でも、海は危険を伴う。「どんな仕事に就いてもいいけど、船乗りにだけはなるな」海で多くの漁師たちが事故に遭うのを見て来た母親の口擬せだった。だから、学少年も鹿児島の工業高校に進学するつもりだった。あの瞬間までは。

中3の秋。教室の後ろの壁に担任の先生がおもむろに張り出した1枚のポスター。そこには、丸い地球とコンテナ船と敬礼している航海士の写真。そして「世界の七つの海を行く海の男募集」という言葉。学少年の心に、ずっと仕舞い込んでいた鐘が鳴り響いた。「航海士になって世界の海を見てみたい! 」海を眺めるコトが好きだった幼少時の気もちの湧き上がりは止まるコトを知らなかった。「もちろん、母親は大反対でしたよ。父親は、自分がやりたいと思うならやりなさいと言ってくれてね」
航海士の学校を卒業後、18~22歳までタンカーの会社の国内航路に乗船。その後、自動車専用船の会社に入り、世界の海へと出て行った。

学船長、36歳の時。公私ともに転機が訪れる。「その年、子どもが生まれたんです。出航港へ向かうために空港へ行くんですね。そこへ妻と子が見送りに来てくれるんだけど、辛くてね。乳飲み子のこの子に、もし何かあったとしても、すぐに帰って来られる仕事じゃないコトがもどかしくて……」
時を同じくして、生まれ育ったトカラ列島の唯一の足“フェリーとしま”の船長候補の募集が出たのを知る。「フェリーとしまがないと成り立たない航路。島の人々になくてはならない船。やりがいもあり、子どもといる時間も増えるに違いない」世界の海から地元の海へ。学船長の新しい航海がはじまった。

「これがね、カルチャーショックの連続だったんですよ(苦笑)」ん? 世界をまわって来た航海士がカルチャーショック?! しかも、子どもの頃から慣れ親しんでいるトカラの海なのに?! 「特に平島、小宝島、宝島の港は当時まだ今ほど整備されていなくてね、世界中のどの港よりも、とんでもなく危なかった」少年時代、自分の住んでいる口之島と隣の中之島にしか行ったコトがなかったため、中之島以南のトカラの海を知らなかった学船長(見習い)。乗組員が波が荒く揺れているデッキで作業をしている姿にも驚きだったという。

「でも、夏のベタ凪の時の小宝島の港の海なんかは、海の底まで真っ白でね。サイパンやグアムに行かなくても、国内にこんなに美しい海があるコトを知らない国内の人が多いのがもったいないとも思うんですよ」トカラ列島は悪石島と小宝島の間に“渡瀬線”という動植物の分布境界線がある。そこから北は断崖絶壁の火山列島。以南の小宝島と宝島はサンゴ礁が隆起してできた島だけに、ターコイズブルー色の海がまぶしい。いかにも南国の海そのものだ。

サヨナラと言う名の「絶景」

奄美大島の名瀬港を出航した“フェリーとしま2”。トカラ列島の各島を寄港し鹿児島港へ向けて北上する。トカラ列島最北の島であり学船長の故郷・口之島を出たトコロで、イルカの群が現れた。フェリーと並走してピョンピョンと海面を跳ねるイルカたち。「昨日、イルカから見送りするって電話があったから~」と冗談を交えつつニコニコと海を見つめる学船長。引退後も海のコトに関わって行くのかと思いきや「海はきっぱり辞めますよ」と。「実は数ヶ月前から山に目覚めてね。今後は山を登りたい」と。海の男は山の男へ。第二の人生のスタートだ。

夕方、鹿児島港にフェリーとしま2が入港すると港はものすごい人だかり! 十島村役場の職員や学校関係者、地元メディア。船長の口之島の同級生たちも勢ぞろいだ。そして、学船長の横には奥様とお子さんふたり。

こんな盛大な定年退職の瞬間があるだろうか? 本人自身も関係者も、そして、たまたま乗船した観光客も、けっして忘れられない。7つの有人島でひとつの自治体というトカラ列島だからこその景色だと思う。“他にたとえようのない、すばらしい景色”を「絶景」と言うのなら、この瞬間こそ最高の「絶景」だと思わずにはいられない。

 

 

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