東京船旅! 神田川でお江戸のスゴさを体感する

2019.06.22

小石川から隅田川までの神田川流域は、本郷台地を切り通した人工の渓谷。

深読みしながらアウトドア旅を倍味わう。そんな楽しみ方を推奨する連載「文化系アウトドアのススメ」です。前回から、都会中の都会・東京のど真ん中を旅しています。

船でくぐる橋の総数、なんと40本!

日本橋のたもとの船着場から出港した船は、揺れもなく、すいすいと前進します。私はガイドのYさんに「江戸城の石垣が見やすいですよ」とうかがって、左側に座りました。

神田川クルーズⓇのルート。上部の川が日本橋川、下部が神田川、左側縦が隅田川。

いただいた地図を見てみると、とにかく橋が多い! 数えてみたら、名前が書かれている橋だけで、なんと40本もあります。わずか90分で40本も橋をくぐるということです。橋マニアの皆さんには、たまらないルートなのではないでしょうか。計算してみたら、約2分につき1本の橋をくぐるというスペクタクルなペース配分。ワタシ史上最多です。

西河岸橋。1891年に初代が建立され、現在のものは1925年の建立らしい。

日本橋をくぐったと思ったら、間もなく次の「西河岸橋」が登場。おおお!と思ってカメラのシャッターを押すと、すかさず三番目の橋、「一石(いっこく)橋」が登場。

一石橋。江戸時代には八つの橋が見渡せるとして、「八つ見橋」と呼ばれた江戸の名所。

 一石橋!

その名前は、覚えがあります。時代小説でも、よく登場する有名な橋です。今の橋は大正時代のものだそうで、関東大震災にも耐え抜いた名橋だそうですよ。おおお、これが一石橋か……と感慨にふけりたいものの、すかさず今度は「常盤橋」が登場。

常盤橋。古地図を見ると、この近辺に、江戸城の常盤橋御門があったよう。

ひええ、常盤橋!

またもや名前がわかる橋が登場し、あたふた……。常盤橋の手前には、日比谷入り江の湊に接続していた道三堀との合流点があったはず! そう思って周囲を見渡しても、川らしい川はありません。どうも埋め立てられてしまったようですね。

そして間をあけず、「新常盤橋」が登場します。このあたりで私は気づきました。一応全部をちゃんと見たいけれども、こんなにも橋が多いと、全部を見て味わうのはとても無理です。今回は、「水の都・江戸創建に関わる場所にしぼろう」ととっさに頭を切り替えました。

日本橋川と神田川はつながっていなかった

実は今回、ネットで神田川クルーズⓇのルートを見て、「日本橋を出発して、神田川から隅田川に抜けられるの?!」と驚いたんです。というのも、私が見慣れた江戸時代の古地図では、日本橋川と神田川はつながっていないからです。

ちょっと調べてみると、もともとの平川(神田川の前身)の流路はむしろこの日本橋川の方向だったようです。しかし、洪水の被害を回避するため、東に放水路を開削したんですね。今の飯田橋のあたりから御茶ノ水を経て、隅田川への新ルートを新設しました。これが今の「神田川」下流域です。

そうして、江戸城や市街地の洪水はだいぶ治まったんですが、さらに鉄砲水が起こることを防ぐために、日本橋川と神田川の水路を600メートルほど埋め立ててしまいました。こういう川や堀を止めてしまうことを「堀留」と言います。そう思って、地図を見てみると、名前に「堀留」が入っている橋が2つあります。このあたりということでしょうか……。古地図で見ると、現在も存在している「俎(まないた)橋」のちょっと先で堀留になっています。

俎橋。俎橋上の道は靖国通り。

現在の堀留橋があるあたり、ここから少し上流にある堀留を、当時は「九段堀留」と呼んだみたいなんですが……。確かに、「俎橋」は、現在の九段下駅のあたりにあります。なるほど……。

堀留橋。橋上は専大通り。このあたりから「三崎橋」あたりまで埋め立てられていたんです。

今のように、再び日本橋川と神田川がつながったのは、明治時代。なぜ再びつなげたかはちょっとわかりませんが、物流の勝手の良さかもしれませんね。江戸時代の初期よりも海岸線が沖に伸びて、日本橋川の鉄砲水も起こりにくい地形になったのかな?とも思いました。

二代目徳川将軍・秀忠をちょっと見直す時間

三崎橋をくぐると、いよいよ神田川です。それにしても、この合流地点の直角さ。船で行くと、この川が人工的な川、運河なんだなあと改めて感じます。

三崎橋。その先に見えるコンクリート壁が神田川の岸壁で、合流点。小石川のあたりです。

ここから先の神田川の下流域は、もともとあった河川を加工したとか、そんな生易しいものではありません。まさに「運河」なのです。本来このあたりは、本郷台地という高台で、神田山と呼ばれていました。そこに、隅田川への放水路を開削してしまったということなんですね。ものすごい大工事ですよ!!小高い丘陵を、標高の低い川の標高まで掘り下げて、水を下流に流すんですから。

しかも、この大工事を請け負ったのは、仙台藩の一藩。いくら伊達家とはいえ、この大普請は資金も人力も桁外れですから、大変だったでしょうね。その貢献をたたえて、このエリアは「仙台堀」と呼ばれました。

今や23区内屈指の渓谷風景として大人気。こちらはお茶の水橋下から見た御茶ノ水駅。

 ところでこの大工事、実際に工事をしたのは仙台藩ですが、二代目将軍、徳川秀忠の命令によってなされました。実は、江戸市中の河川工事を伴う大改造は、始めたのは初代の家康なのですが、重要な部分を実際に動かしたのは、二代目の秀忠と言っていいと思うんですよね。

しかしこの秀忠さん。正直言って、歴史ファンに圧倒的に人気がありません。「イマイチな二代目」という印象がどうしても強いんですよね。隆慶一郎先生をはじめ、歴代の歴史小説家も、秀忠を好きじゃない先生が多いように思います。かくいう私も、あまり好きじゃないのです。理由はいくつかありますが、特に女性や子供に対して責任取らない感じが、人としてどうにも……。

でも、これまではちょっと点数がから過ぎたのかもしれないな、と思いました。これだけの大事業を成し遂げるというのは、生半可ではありません。家康から引き継いだ事業とはいえ、ちゃんとつくりあげたんですから、それなりの力量があったということでしょう。

聖(ひじり)橋。あまりにも美しくて有名ですね。関東大震災後に建立されたもの。

 彼がつくりあげた江戸の河川が、今も東京の基礎になっていますから、その点だけでもこれからは感謝しよう、とちょっとだけこころを改めました。

DATA

日本橋クルーズ®
連絡先:03-5679-7311(東京湾クルージング)
http://ss3.jp/nihonbashi-cruise/index.html

「神田川クルーズ®90分」 
料金:大人 2,500円 小学生 1,500
*クルーズプランは他にも多数あり。料金や内容については公式サイト参照。

 (次回へ続く)

 プロフィール

武藤郁子 むとういくこ

フリーライター兼編集者。出版社を経て独立。文化系アウトドアサイト「ありをりある.com」を開設、ありをる企画制作所を設立する。現在は『本所おけら長屋』シリーズ(PHP文芸文庫)など、時代小説や歴史系小説の編集者として、またライターとして活動しつつ、歴史や神仏、自然を通して、本質的な美、古い記憶に少しでも触れたいと旅を続けている。著書に共著で『今を生きるための密教』(天夢人刊)がある。

 

 

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