シベリア伝説のハンター、デルスウザラに学ぶ自然暮らし ~ 住居編 ~

2019.03.05

シベリア少数民族、エベンキ族の住居(写真/茶山浩)

若いころ度々訪れたシベリア。その旅の中で得た知識は、私の自然暮らしの基盤となっている。

中でも大きな旅土産となったのが、ロシアの暖炉「ペチカ」。料理ができて燻製ができ、西洋の暖炉の1/4の薪の量で暖がとれる超省エネ古式暖炉。旅の中で出会い感動し、自分の家にも作ろうと多くのペチカ職人のもとに足を運び学んで作った(ペチカについては「自然暮らし通信社・ババリーナwebちゃんねる」をお読み下さい)。

我が家の古式ペチカを見に遊びに来てくれたロシア人たち。彼女達はモスクワ在住の都会っ子とあって、古式ペチカに触れるのは久しぶりらしい。「おばあちゃんの家に遊びに来た気分」と、写真を撮りまくっていた。

そしてもうひとつの旅土産が、シベリア伝説の猟師、デルスウザラが残した知恵。

デルスはロシア人探検家、ウラディーミル・アルセーニエフ(1907~1908)のガイドを務め、黒澤明監督によって映画化された人物である(デルスウザラについては、「シベリア伝説のハンター、デルスウザラに学ぶ自然暮らし ~ 焚き火編 ~」をお読みください)。

左がアルセニエフ、右がデルスウザラ。

1906年、極東クルンバ川沿いルートを遠征したときの写真。極寒の厳しい自然のなかで生き抜いてきたデルス・ウザラの卓越した知恵と技能、自然と一体となって暮らす彼の人間的魅力にアルセーニエフは惹かれていく。

そもそも“シベリア”とはどこか。

「ロシアのことじゃないの?」「いや、ロシアの北の方だと思う」「真ん中へんじゃない?」と結構知らな人、多いのでは? そこで少々、豆知識。

シベリアはズバリ、ここ。

濃赤(シベリア連邦管区)と赤色の部分が現在のシベリア。オレンジ色が昔シベリアだった広義の(歴史的)シベリア。濃いグレーの部分までがロシア連邦。

ロシアの大半を占める面積だが、人口は国内全体の約1/4弱と少なく、その大半は「タイガ」と呼ばれる針葉樹林を中心とした広大な森林地帯がしめている。

永久凍土や湿地が多く夏は蚊だらけ。その多さは尋常じゃなく、私もタイガの中で用を足したとき、1回でお尻片側40カ所も蚊に刺された。さらに冬の気温ははんぱなく低く、最も低い地域のオイミャンコ地方では、なんとマイナス73度Cを記録。

シベリアの人々は過酷な自然と共存しながら暮らしているのだ。

『デルスウザラ』の舞台となったアムール川の支流、ビキン川とタイガ。

ロシア人たちにとってもシベリアは一目置かれた場所だ。例えばロシアで人気のフィギュアスケート。ザキトワ選手、メドベージェワ選手などが日本でお馴染みだが、ほとんどがモスクワを中心とした西部地域出身者。

そんな中で世界選手権(3月20日~)にも出場するソフィア・サモドゥロワ選手がシベリア・クラスノヤルスク出身。彼女が登場する試合でロシアメディアがどんな解説をするかというと、

「なんと力強い滑り、負けん気の強い表情! これぞシベリアの女ね!」
「彼女の演技の後ろに、広大なタイガ(針葉樹林帯の森)が見えるわ!」となる。

それだけ、ロシア国内でもシベリアは特別な場所なのだ。

ビキン川の渡し船(写真/茶山浩)

デルスウザラは、そんなシベリアの極東、中国との境界に流れるアムール川流域に暮らしていた。

ロシアには100を優に越える民族が暮らしているが、デルスウザラはその中のツングース系少数民族のひとつ「ナナイ族」。熊や虎を崇拝するシャーマニズムを信仰し、厳しい気象条件の中で伝統を守り続けてきた。

ナナイ人が暮らすシカチ・アリャン村に伝わる伝統的な儀式と踊り。(撮影/茶山浩)

ナナイをはじめシベリア少数民族たちが暮らす家も独特だ。最も古い住居は、穴を掘った竪穴式住居の「カバ」と呼ばれる切妻小屋。定着型の防寒用住居で、旧石器時代にはすでに登場していたとされる。

極東探検隊と、竪穴式住居の「カバ」。左端で座っているのがアルセニエフ。

住居の中でパイプを吸うデルスウザラ。

カバは、ロシア極東ハバロフスク地方の先住民族の住居。建物の材料はもちろん現地調達。外壁と屋根は主にモミの皮で覆われ、柱にはシラカンバ(白樺)が使われた。出入り口は決まって川に向かっていたらしい。

シベリア中央部に住む少数民族ブリヤートモンゴル人の伝統的な丸太小屋「ユルタ」(写真/茶山浩)

ナナイ族は夏と冬、目的に応じて住居を変えていた。冬の伝統的な住居は丸太小屋。オンドル式の炉があるのが特徴で、アルセニエフとデルスもたびたび宿泊していた。

「暖炉を焚いたが、霧のせいか、あるいは長く焚いていなかったせいか、煙突の吸い込みが悪く小屋中に煙が立ちこめた。こういうときは熱い炭で炉を十分に熱してやると煙が吸い込み、オンドルが温まる」(小説『デルスウザラ』より)

ナナイの伝統的な冬の住居。7世紀~10世紀に広まったとされ、主にアカマツ系の丸太を組んでいた。

冬の住居の内部。調理をする炉の煙突がベンチの下を通っていて、オンドルのようにベンチが温かく、その上で就寝する。調理と暖房両方をかねる無駄のない暖炉で、ペチカにも通じる(ハバロフスク郷土博物館)。

ナナイの夏の移動式住居。白樺の樹皮と柳の小枝でできていて、まるでドーム型テントのよう。主に漁や狩猟をするときに使われていた(ハバロフスク郷土博物館)

シベリアの少数民族の住居には移動式天幕タイプのものも多い。北米インディアンの住居ティピーは、ここシベリアから伝わったと言われている。

少数民族の一般的な夏のテントは、主に涼しい林の中に立てる。ポールにするのは長さ4mほどの白樺の枝で、先端がY字になっているものを9~10本使用。

先端のY字状の股木を絡め合って力のバランスをとり立ち上げ、白樺などの樹皮で覆う。

冬のテントは水場や漁が近くで行えるように河岸に移動。材には河岸に多く生えている柳の樹などを使う。夏のテントより一回り小さくして、鹿やアザラシなどの毛皮で覆う。

シベリア中央部、クラスノヤルスク地方(先に紹介したフィギュアスケート選手の出身地)に居住するエヴェンキ族の住居。夏はシラカンバの樹皮で覆い、冬はバイカル湖の淡水アザラシの皮で覆っていた(ウラン・ウデ民族学博物館)。入り口にある木はシャーマンの魔除け。

住居の立ち上げは、まず先端が二股になっている太めの樹を3本用意。この3本が住居の支柱となる(3本三脚構造)。先端のY字状の股木を絡めて立てるのが特徴で、紐で縛るよりもはるかに強く、バランスがとれて安定する。その3本の支柱に他の樹を絡めれば柱の完成。この3本三脚構造はキャンプのかまど作りなどでも利用できるので、試してみてほしい。

「オグダ」と呼ばれる移動式住居も面白い。19世紀という比較的新しい時代に西シベリア南東部で使われていた結婚の義を行なうテントで、新婚夫婦は3日間このテントで暮らす。

その際、新郎はテントの中で火打石で焚き火をし、その火が「どのぐらい早く着火するか」で、将来の生活を判断したという。ようするに、

「焚き火ができない男は、さようなら」という、男にとってはそりゃあもう恐~いテントだ。

9本の細く若いシラカンバ(白樺)の樹をポールにし、白樺の樹皮で覆った新婚住居。3日の儀式が終わったら壊される。

住居の材もインテリアも、すべてそこにあるものから作り、1本の薪さえも大事に使う時代。

家を見れば、その地がどんな気象条件でどんな民族が生活しているのか、暮らしの文化が一目瞭然だった。それに比べ今は柱も壁も屋根も、ホームセンターですべて揃う。便利さと引き換えに自然や文化の継承を手放している。

その土地にあるもを使い、時間がかかっても工夫しながら作り、自然に敬意を払いながら生きる暮らし…。それが、私が求める無駄のない自然暮らしだ。

アルセニエフは旅の記録の中にこう記している。

「デルスウザラは、焚き火の薪の切り口を見るだけで、薪を作った人物がどの地方の出身かわかる。彼は火打ち石であっという間に火をつけ、炎がきれいに立ち上がると、『この人(薪)はいい人』と喜んだ」

次回は、「シベリア伝説のハンター、デルスウザラに学ぶ自然暮らし ~ 動物編 ~」です。お楽しみに!</p

ババリーナ裕子

かつてサハラ砂漠をラクダで旅し、ネパールでは裸ゾウの操縦をマスター。キューバの革命家の山でキャンプをし、その野性味あふれる旅を本誌で連載。世界中で迫力ある下ネタと、前代未聞のトラブルを巻き起こしながら、どんな窮地に陥ろうとも「あっかんべー」と「お尻ペンペン」だけで乗り越えてきたお気楽な旅人。現在は房総半島の海沿いで、自然暮らしを満喫している。執筆構成に『子どもをアウトドアでゲンキに育てる本』『忌野清志郎・サイクリングブルース』『旅する清志郎』など多数。

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