暖房も、料理も、薪ストーブも私の生活の必需品。だって我が家には電気が通ってないから。実は水道とガスもない…。
でも、電気はないけど、元気と時間だけはあるゾ!ということで、なんにもない代わりに炎がある暮らしの豊かさについて、今回は熱く語ろう。
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薪割りは、割って、愛でて、嗅ぐ

それはこの冬のお話。アウトドア旅の拠点としてお世話になったカリフォルニア南部のとあるお家でのこと。
敷地の隅には、カラカラに乾いた倒木を荷車に載せて運ぶお兄さんの姿があった。暖炉の薪にするらしい。彼のうしろには、小さな犬がくっついて遊んでいた。ふと、そんなシーンを思い出した。

ハンガリーの家で薪割りをしていたときには、私の側には犬がいた。その辺をウロウロしている野良犬で、みんなに餌付けされているのか、食べ物はせがまないが、人間を見ると、たとえ薪割り中でも撫でてもらえるまで離れない。
アメリカでもヨーロッパでも、世界中どこにいても薪と犬のコンビは楽しいし、私は薪割りが嫌いじゃない。むしろ、好きだ。

年輪がきれいな丸太は割るのがもったいなかったり、思いがけず美しいグラデーションの断面と出会うと、やっぱり燃やすのが惜しくなったり。そういうときは、しばらく部屋に飾ってみたりもする。
木にもいろんな種類があって、とくに割りたてはそれぞれ違う香りが楽しめる。上の写真の薪は、日本のヒノキのような懐かしい香りがした。
聞いたところによると、どこかの国には「薪を自分で割ると、ストーブが2倍暖かくなる」という意味のことわざがあるそうだ。薪割りの運動で体が温まって、その薪をくべると家も暖かくなる、という意味だ。
人類は、炎とともに暮らしてきた

カリフォルニアでは、親しい人たちが集まってクリスマスプレゼントの交換会が開かれた。みんな大人だから、サンタさんは来ないし、必要なものは自分で買える。だからこそ、相手のことを想像してプレゼントを選ぶ楽しみがあって、それが毎年の恒例行事らしい。
私がもらったのは、ネパールのトレッキング旅行から帰ってきた友人が入手してきたウールのズボンと、世界各国のコンセントに1台で対応できる変換器。
「あら、これ、ウールだから洗濯機で洗えないわね。乾燥機もダメよ、一気に縮んじゃうから」
と、声をかけてくれたのは一家のおばあちゃん。
「大丈夫だよ、ジョアナの家には乾燥機なんてないから」
お兄さんがそう返す。すると。
「そうだよ、そもそも電気が通ってないんだから」
事情をよく知る私の彼氏が追い打ちをかけた。
「ええっ!?」
一同驚愕。「それじゃあコンセントの変換器も使えないんじゃない?」と困惑のツッコミが入ったが、私もパソコンやスマホ無しでは社会生活に支障があるので、平日の日中は大学やカフェなどで現代機器を使用している。

私の生活は、ある意味単調かもしれない。外が暗くなって家に帰ったら、まずストーブに火をつける。それから、ロウソクと充電式のライトを点灯して、薄暗い部屋のなかでお酒を飲んで、体が暖まったらベッドに潜り込む。
電気がない暮らしなんて、どれだけ貧乏なの?と周りは心配するけれど、当事者である私としては、帰ったら呑んで休んで趣味の読書か音楽しかやることがない生活が気に入ってしまって、電気を通すモチベーションが湧かない。
実はこの家はもともと山のなかで、ほぼ廃墟化していたので、家主の好意で無料で使わせてもらっている。電気料金も存在しないとなると、一番の固定費はまさか酒代か?今度は健康面の心配も挙がってくるが、暗いと自然に眠くなるので、飲みすぎることはほとんどない。
夜は暗いから夜なのであって、無理に明るくする必要はあまりないように思う。私にとっては、オレンジ色の炎が夜を照らすにはちょうど良いのだ。
あらためて調べてみると、人間と電気の付き合いは歴史的には驚くほど浅い。エジソンが白熱電球を発明したのは1879年で、それから日本の竹をフィラメントに実用的な点灯時間にまで改良したのが翌1880年。日常に電気が普及してたった150年足らずだから、人類に電気がない時代の方が圧倒的に長い。
人類史上で考えたら、電気は無くとも炎のある暮らしの方が、よっぽど人間的なのである。
料理に必要なのは電力より火力

最近はコンロもIHが主流になってきて、台所にすら炎がない家が多い。私が通っている建築関係の大学の教授にガスコンロについて相談すると、やはりIHを強く勧められてしまった。
「IHの方が安全だし、なによりガスコンロは掃除が大変でしょう?」と。
それでもどうしても炎で調理したかった私が手に入れたのは、鋳物コンロ。電力の代わりに火力を手に入れた。
残念ながら古道具で手に入れた中華鍋の取っ手のガタつきと鍋底の錆びがひどいため、今度鍋を買い換えたら、どんなワイルドな料理が作れるか試して紹介しようと思う。

暖房用のストーブがあれば、コンロがなくても工夫次第で強火の料理も弱火の料理も実現できることを私は知っている。天板にアルミ鍋を置いて煮詰めたり、お肉もホイルで包んで根気強く放置すれば火が通る。凝った料理にはならないけれど、低温調理なので味は美味しい。

玉ねぎ、鶏肉、バター、スパイス、トマト缶をメスティンに入れて天板の上に放置して完成したのは、簡単トマトチキンカレー。水分量が多い料理は、この方法だと完成までやや時間はかかるが、お酒とおつまみをちびちび進めて、根気強く待つべし。

電気がない生活は「待つ」の精神の連続だ。部屋を暖めるのだって、薪ストーブは点火して少し待たないと熱くならない。だけど、アルミホイルで包んだお肉も、ストーブの天板でふた晩すると、圧力鍋で炊いたみたいに骨がするっと抜けるほど柔らかくなって絶品だ。
炎とお肉はロマンの味

大きなお肉は、ストーブが熾火になってから炉の中に石や鉄の網で台座を組んで、アルミホイルで包んだお肉を入れると、オーブンで焼いたみたいに強火で表面をカリカリに仕上げることもできる。

ホロホロになったお肉をほぐして、天板で温めたクロワッサンの中にチーズと一緒に挟めば、まるでカフェのランチみたいな贅沢サンドイッチの完成だ。
炎にあたりながらご飯を食べるのが特別に美味しく感じるのはどうしてだろう。
私が思うに、現代的な文化が生まれるよりもずっと遠い昔の人類が、炎で調理して、炎を囲ってみんなで食事をした先祖の記憶による、私たちの拭えない本能なのかもしれない。







