ヘンリヌ・゜ロヌは「山登り」が倧奜きだった | ナチュラルラむフ 【BE-PAL】キャンプ、アりトドア、自然掟生掻の情報源ビヌパル
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    2019.01.17

    ヘンリヌ・゜ロヌは「山登り」が倧奜きだった

    ヘンリヌ・゜ロヌは「山登り」が倧奜きだった
    ヘンリヌ・デむノィッド・゜ロヌ1817-62ずは、䜕者か いったい䜕がすごいのか りォヌルデン湖池のほずりに小屋を建お、豆畑を切り拓き、2幎2か月にわたる自絊自足的な生掻をもずに名著『りォヌルデン 森の生掻』を曞き残した゜ロヌは、いったいどんな人物だったのでしょうか

    アりトドア奜きにずっお、゜ロヌの『りォヌルデン 森の生掻』は必読の叀兞です。

    しかし、この本、読むず必ず眠くなる

    1980幎代のアりトドア雑誌『BE-PAL』の曞評欄には、゜ロヌの『森の生掻』を評しお、ずにかく眠くなる、蚀っおいるこずはわかるんだけど、ずにかくやたらめったら理屈っぜいん、どうしおも眠くなるんだよナァ  、おな評が曞かれおいたように蚘憶しおおりたす。

    かくいうb*p線集郚員のわたくしも、『りォヌルデン 森の生掻』には20代のころ3床ほどチャレンゞしお、すべお第1章「経枈」の途䞭で挫折したした。いや、ほんずに眠くなるったら、ありゃしないんです。

    なんですが、その埌、十数幎がたったうららかな秋の日に、ずある倧先茩フラむフィッシャヌマンずコヌヒヌをのみながら雑談をしおいるずきに、䜕かの話題の぀いでに、ふず゜ロヌの話が出おきたのでした。

    その人は、なんずもいいい笑顔でぜ぀り、぀ぶやいたのです。「若いころに読んだ、゜ロヌの考え方には、けっこう圱響を受けたんだよね」ず。奜きなこずをやっお生きおいくこずに぀いお、そのすばらしさず、倧倉さに぀いお、その人はず぀ず぀ず語っおくれたした。テヌブルの䞊には、窓の倖の朚の圱が揺れおいたした。そのずき、ふず思ったのです。ああ、぀いに時期が来たのだず。『りォヌルデン 森の生掻』を、いよいよおれも読たなくおはならないぞ、ず。

    じ぀は、その埌も䜕床か読み盎そうず詊みたこずがあっお、ほろ酔いのずきに適圓に開いたペヌゞに曞かれおいた゚ピ゜ヌドが心に残っおいたした。貧乏人になぜ服を恵んでやらないのか、ずいう内容で、慈善事業よりも、自分ができるこずをやるこずが倧事ずいう、゜ロヌの考え方が、毒味もある筆臎で曞かれおいたした。

    それは、こんなふうに始たりたす。

    《あなたが貧しい人を助けようずいうのなら、本圓に欲しおいるものを䞎えるのが圓然です。䞎える人の生き方を抌し付けおは助けになりたせん。あなたに䞎えるお金があっおも、単に䞎えるこずが解決になるでしょうか。むしろあなたが自分で䜿うべきです。䞭略

     私は、りォヌルデン池の氷を切り出す、アむルランド人のむさくるしい劎働者に同情したこずがありたす。ずころが私はずいえば、アむルランド人よりかすかにこぎれいで、圓䞖颚の衣服を着おいただけで、い぀も寒くお震えが止たりたせんでした。ある酷寒の日に、アむルランド人のひずりが池に萜ちたした。私の家に避難したその人は、䞉本のズボンず、たしかに汚れた二本の長靎䞋を身に着けおいたした。私はその人に䞊着を提䟛しようず申し出たのですが、断られたした。その人は䞋着を重ね着しおいたので、十分だったのです。きれいな氎に浞かるこずは、ちょうどよい氎济だったでしょう。私は、少しは自分に目を向けたほうが良さそう、ず思い盎したした。その人のために叀着屋を買い占めるより、自分のために䞀枚のフランネルのシャツを買うほうが、よほど慈善になりたす。》ヘンリヌ・D・゜ロヌ著・今泉吉晎蚳『りォヌルデン 森の生掻』

    䞀芋、むさくるしい栌奜をしおいるアむルランド移民の劎働者は、靎䞋や䞋着を重ね着するずいう方法で、じ぀に機胜的に暖かさを保぀ための着こなしをしおいたした。真冬に氷を切り出すずいうハヌドな仕事をしおいるだけあっお、゜ロヌなんかよりもよっぜど、寒さ察策がしっかりできおいたのです。

    ゜ロヌが玠敵なりヌルの䞊着を提䟛しおくれたずしおも、氷を切り出す仕事には、むしろ邪魔になったでしょう。

    ずはいえ、「人のために叀着屋を買い占めるより、自分のために䞀枚のフランネルのシャツを買うほうが、よほど慈善になりたす」ずいうのは、いったいどういうこずなのか

    ここで、゜ロヌは「瀟䌚の富」を持ち出したす。

    《私の隣人でも、䞀郚の人たちは貧乏な人を台所で䜿っお、それが思いやりだず蚀っおいたす。でも、自分が台所で働くほうが、ずっず思いやりのある行為ではないでしょうか 収入の十分の䞀を教䌚に払っおいるず自慢する人がいたす。あなたがもしその考えなら、十分の九を教䌚に払ったほうがいいでしょう。けれどもそんなこずをしたら、私たちの瀟䌚には富の十分の䞀しか回っおこないではありたせんか。このようなお金の流れを、財産をたたたた持った人の思いのたたに任せおいいのでしょうか。》ヘンリヌ・D・゜ロヌ著・今泉吉晎蚳『りォヌルデン 森の生掻』

    お金や仕事を恵んだり寄付したりするよりも、自分で働き、自分でしっかりお金を䜿ったほうが、瀟䌚に富が回っお、党䜓が豊かになるのではないか。

    このような考え方には、゜ロヌが圓時批刀的に読んでいたアダム・スミス『諞囜民の富』の圱響が䌺えるように思いたす。゜ロヌは、スミスの「分業」論を批刀したしたが、個々人がその胜力の限り働き、゚ゎむスティックに、自己本䜍でお金を䜿ったほうが、結果的にみんなが豊かになる、ずいう『諞囜民の富』の考え方を共有しおいたした。

    ずはいっおも、゜ロヌは、匱い人を助ける行為自䜓は倧切だず考えたす。

    《なるほど、溺れるものがいれば、助けるのが圓然で、自然です。でも、助けたのなら、すぐに靎の玐を結んだほうがいいでしょう。あなたはあなたの時間を䜜り、自由な仕事をするのです。䞭略たず、私たち自身が最初に、自然ず同じように簡玠に、玔真に、元気は぀ら぀ず生き、衚情を暗くする雲を打ち払い、自然の掻力を十党に取り蟌もうではありたせんか。貧しい人たちの監芖人にずどたるこずなく、䞖界にずっお䟡倀ある人になるよう、励もうではありたせんか。》前掲曞

    なるほど、ぞんく぀だけど、おもしろそうな人ではありたすよね。

    博愛や慈善掻動も倧事だけれど、だからこそ、たずは自分のこずを、ずいうのが゜ロヌの考えなのだず私は理解したした。これはこれで筋が通っおいるず思いたした。

    で、意を決しお、毎日すこしず぀寝る前に読み始めたわけです。

    りォヌルデン森の生掻

    新蚳の『りォヌルデン 森の生掻』はですたす䜓で、読みやすかったです。たしかに、ずきどき眠くはなるのですが、おかげで『りォヌルデン 森の生掻』を読む日々は、安眠の日々でもありたした。

    思想曞、ずいうふうに考えおいたしたが、読んでみるず、淡々ずした自然描写あり、お金や読曞、人生の意味に関する深い話があり、湖の生態系に぀いおの自然科孊的な掞察があり、傍線を匕きたくなる圧倒的な名蚀がある、ゞャンル分け䞍胜な、たさに森のように深く豊穣な本でした。

     

    読み継がれる160幎前の叀兞『森の生掻』

    ゜ロヌは、いたもなお、䞖界䞭で読たれ続けおいたす。『りォヌルデン 森の生掻』の翻蚳は、最新蚳の小孊通文庫刀今泉吉晎・蚳のほか、岩波文庫、講談瀟孊術文庫ず぀の翻蚳があり、いずれもロングセラヌになっおいたす。

    本囜アメリカでは、有名な映画にも登堎しおいたす。ロビン・りィリアムスずむヌサン・ホヌクが䞻挔した1989幎の映画『いたを生きる』では、ロビン・りィリアムス扮する囜語教垫が孊生時代に䜜った「デッド・ポ゚ッツ・゜サ゚ティ死せる詩人の䌚」の合い蚀葉が、゜ロヌの『りォヌルデン 森の生掻』からの匕甚(私は生きるこずの真髄を心ゆくたで味わいたい)でした。

    たた、『りォヌルデン 森の生掻』は、150幎以䞊前に刊行された叀兞ずいうのにずどたらず、非垞に珟代的な読み方もできる本です。自然の䞭で最小限の生掻道具ずずもに暮らし、独自の哲孊を぀むぎだした、その文歊䞡道的な営みは、昚今の「ミニマリスト」の源流ずいっおいいかもしれたせん。

    2017幎の初頭、文化人類孊者で東京倖語倧孊倧孊院教授の今犏隆倪氏が『ヘンリヌ・゜ロヌ 野生の孊舎』で読売文孊賞随筆・玀行郚門を受賞したした。旅する文化人類孊者ならではのみずみずしい感性で゜ロヌを読み盎し、゜ロヌの可胜性を拡匵した゚ッセむ集です。非垞にすばらしい本だず思いたす。

    たた、マむケル・サンデル教授の「ハヌバヌド癜熱教宀」で話題になった政治哲孊のゞャンルでも、゜ロヌは重芁な思想的源流です。最近出版された神島裕子・立呜通倧孊教授の『正矩ずは䜕か』䞭公新曞には、リバタリアニズム自由至䞊䞻矩の章で゜ロヌに觊れおおり、他者の考え方に寛容なリベラルな、新しいリバタリアニズムの可胜性に぀いお蚀及がありたす。゜ロヌを、政治哲孊の新しい可胜性ずしお読むず、どのような地平が開かれるのでしょうか。

     

    ガンゞヌ、キング牧垫に力を䞎えた「垂民的䞍服埓」の思想

    ゜ロヌは、『垂民の反抗垂民瀟䌚ぞの反抗』ずいう晩幎の講挔で、監獄にぶちこたれた1846幎月の経隓に぀いお語っおいたす。奎隷制ずメキシコぞの䟵略戊争に反察する意図で、皎金の䞍払いを続け、町の監獄に䞀晩だけ収監されたのです。りォヌルデン湖畔の小屋で『森の生掻』をはじめお1幎がすぎたころのこずでした。

    ゜ロヌの家族や友人たちは、みな奎隷制やメキシコ戊争に反察しおおり、圓時゜ロヌ呚蟺で共有されおいたリベラリズムのひず぀のあらわれずしお、この収監事件が起きたのです。

    ちなみに、゜ロヌのこの行為・考え方は、「垂民的䞍服埓」Civil Disobedienceず呌ばれお埌䞖に絶倧な圱響をおよがしたした。以䞋は、H.D.゜ロヌ著『垂民の反抗 他五線』岩波文庫・品切れの翻蚳者・飯田実氏による「垂民的䞍服埓」の芁点です巻末の「解説」から匕甚。

    ■法埋や政策が、個人の良心より高い道埳的法則ず矛盟をきたすような堎合には、前者法埋・政策よりも埌者個人の良心・道埳的法則が尊重されるべきである。

    ■政府がいちじるしく正矩の芳念にもずるような「暎政」に走った堎合には、垂民は玍皎拒吊ずいった平和的な手段に蚎えお政府に抵抗する暩利を有する。

    ぀たり、良心やより高次元の正矩にかなっおいる堎合に、法の斜行者に反察の意図を衚すために、あえお皎金を払わないでよい。そのような垂民のピヌスフルな意芋衚明行為が、゜ロヌの「垂民的䞍服埓」なのでした。

    「垂民的䞍服埓」の考え方は、抵抗運動や独立運動の粟神的支柱になっおいきたした。マハトマ・ガンゞヌの独立運動や、第2次䞖界倧戊時の反ナチのレゞスタンス闘争、マヌティン・ルヌサヌ・キングの公民暩運動、1960幎代埌半のベトナム反戊運動や、2011幎のりォヌル街遞挙運動などを支えたのも゜ロヌの「垂民的䞍服埓」でした。非暎力䞻矩でむギリスからの独立を勝ち取ったガンゞヌは、肌身離さず゜ロヌの本を持ち歩いおいたそうです。

    ゜ロヌは、「個人の暩利」をなによりも倧切にした個人䞻矩者でしたが、自分のこずばかり考えおいた孀独な人だったわけではありたせん。瀟䌚的正矩など、より高次の目的のために戊う反骚者であり、奎隷制や䟵略戊争に匷く反察するリベラリストだったのです。

    りォヌルデン湖

     

    「山登り」が奜きだった゜ロヌず゚マ゜ン

    叀兞ずは「可胜性」です。今の芖点で読み盎し、過去ず察話するこずで新しい知芋が埗られるずいうのが、叀兞の魅力だず思いたす。

    b*p線集郚員のわたくしも、ようやく『りォヌルデン 森の生掻』を読みおえお、いろいろず觊発されたのですが、その感動をなかなか蚀葉にするこずができずにいお、もんもんずしおおりたした。このたた終わりにしたくはありたせんでした。

    ゜ロヌずはどんな人だったのか 

    『りォヌルデン 森の生掻』の珟代的な意矩ずは䜕なのか

    それを知るために、2018幎10月5日、東京・品川で開催された「日本゜ロヌ孊䌚」の党囜倧䌚に出かけたした。

    日本゜ロヌ孊䌚幎次倧䌚

    「日本゜ロヌ孊䌚」ずは、1964幎に前身の「ヘンリヌ・゜ヌロり協䌚」ずしお蚭立された、英米文孊研究者による孊䌚です。日本屈指の歎史を誇り、党囜各地の120人以䞊の倧孊教授や研究者たちが、゜ロヌの文孊・思想をはじめずしお、同時代の䜜家ラルフ・゚マ゜ン、ナサニ゚ル・ホヌ゜ヌン、ルむザ・メむ・オルコットなどの䜜家を研究察象ずしお、アメリカの文化史を考察しおきたした。その孊䌚の幎に䞀床の党囜倧䌚にお、『りォヌルデン 森の生掻』の翻蚳者・今泉吉晎先生が特別講挔をするずいうのです。これはもう、なんずしおも聎講しに行かなくおは

    「日本゜ロヌ孊䌚2018幎床党囜倧䌚」の䌚堎は山手線倧厎駅からほど近い立正倧孊の倧䌚議宀。今泉先生の講挔の前に、さたざたなプログラムがありたした。

    たずは、りィスコンシン倧孊倧孊院生・小怋道晃さんによる研究発衚からスタヌト。「゜ロヌずケルアックにおける〈私〉語りに぀いお」ずいう、なんずも気になるテヌマです。゜ロヌはアメリカ文孊の祖であるずずもに、ケルアックず同様に、新しい語り文䜓を生み出した革呜家でした。

    その埌、東北文化孊園倧孊・祓川信匘先生の「『マメ畑』ず蟲曞」に぀いおの研究発衚、慶應矩塟倧孊名誉教授・山本晶先生の「゚マ゜ンのホむットマンあお最初の曞簡を邊蚳玹介した癜暺掟の二人および関連する事実」ずいう研究発衚に぀づいお、シンポゞりムが開催されたした。

    テヌマは、「゚マ゜ン、゜ロヌず登山」。

    ゜ロヌず、゜ロヌの垫匠である゚マ゜ンは、登山を奜み、しばしば登山旅行をしおいたようなのです。そうだったのか 

    『りォヌルデン 森の生掻』にも、次のような䞀節がありたす。

    《これたで私が持った家は、小さなボヌトずテントだけでした。私は倏にテントを持っお小旅行に出かけたした。そのテントは、今も私の屋根裏郚屋に䞞めおしたっおありたす。ボヌトは人の手から手ぞ枡り、時間の流れの圌方ぞ䞋っおしたいたした。》今泉吉晎蚳『りォヌルデン 森の生掻』第章「どこで、なんのために生きるか」

     ゜ロヌは、テントやカヌヌずいったアりトドア道具を䜿っお、しばしば旅をしおいたしたようです。

    さお、今回のシンポゞりムでは、「山ず゜ロヌ」「山ず゚マ゜ン」に぀いお、文孊研究者たちの発衚ず質疑応答が繰り広げられたした。

    たずは、成城倧孊の䜐藀光重先生からの研究発衚からスタヌト。テヌマは、「暗い山ず栄光の山 ――『コンコヌド川ずメリマック川の䞀週間』における登山ず死の欲動」でした。

    『コンコヌド川ずメリマック川の䞀週間』は、1949幎に出版された゜ロヌの凊女著䜜です。この本の草皿は、゜ロヌが『りォヌルデン 森の生掻』で描いた湖畔生掻の2幎2ヶ月間に執筆されたした。

    コンコヌド川ずメリマック川の䞀週間

    本が出版される10幎前、1839幎の倏に、゜ロヌは兄のゞョンずずもにワシントン山アゞオコチョヌク山の山頂をめざしお、小舟による川旅にでかけたした。『コンコヌド川ずメリマック川の䞀週間』ずいう本にたずたっおいたすが、この旅には2週間かかっおいたす。

    じ぀はこのコンコヌド川ずメリマック川を旅しおいる時期に、兄のゞョンず゜ロヌはひずりの女性17歳に恋をしおいたした。いわゆる䞉角関係です。

    川旅から戻ったその日に、兄はその女性に䌚いに行き、その埌、結婚を申し蟌みたすが、いったんOKがでたものの、結局は断られたす。その数ヶ月埌に、今床は゜ロヌがその女性に結婚を申し蟌み、最終的に断られたした。

    幎埌、1842幎に兄ゞョンが砎傷颚で亡くなりたす。゜ロヌは、哀しみずずもに、幎前の求婚事件で、結果的に兄を裏切っおしたったこずに、莖眪のような気持ちを抱いたのではないかずいわれおいたす。

    1845幎7月4日からりォヌルデン湖畔の小屋で「森の生掻」を始め、『コンコヌド川ずメリマック川の䞀週間』の原皿を曞き始めたすが、小さな小屋での簡玠な暮らしは、哀しみを癒し、兄ゞョンぞの眪の意識をあがなう莖眪の詊みだったのかもしれたせん。

    ゜ロヌの小屋

     

    ゜ロヌの凊女䜜『コンコヌド川ずメリマック川の䞀週間』

    さっそく本を賌入し、読んでみたした。゜ロヌは、この本の「火曜日」の章で、山頂でご来光を芋たずきの話を曞いおいたす。

     

    《私はか぀お雲の䞊の、マサチュヌセッツ州サドルバック山の頂䞊から倜明を芋たこずがある。たたたた今はこの濃霧では事物を十分に芳察できないので、そのずきの話を詳しく語らせおいただきたい。》

    ヘンリヌ・゜ロヌ著・山口晃蚳『コンコヌド川ずメリマック川の䞀週間』而立曞房より匕甚以䞋同

     

    ゜ロヌの登山装備は、簡玠で、いたでいう日垰りハむキング皋床の道具仕立おだったようです。

     

    《道ばたでラズベリヌを摘み、時々蟲家でパンを買い、背負ったリュックには数冊の旅行曞ず服の着替え、そしお手に杖を持っおいた。䞭略ノヌス・アダムズの村で手に入れたいくらかの米、砂糖、ブリキ補のコップをリュックに入れ、午埌は山に登り始めた。頂䞊は海抜䞉千六癟フィヌトで道のり䞃、八マむルである。》前掲曞

     

    暙高は玄1100、道のりは1112㎞ほどでした。山道を行くず、長くお広い谷の真ん䞭を小川が流れおいお氎車が回っおおり、゜ロヌはそのような颚景を歩く心境を、たるで《倩の門ぞ登ろうずする巡瀌者の入っおいく道のように思えた》ず蚘しおいたす。

     

    途䞭、山に䜏んでいる快掻な奥さんず蚀葉を亀わしたりもしながら、䞀歩䞀歩山を登っおいき、《朚々が぀いに痩せこけた黄泉の囜のような様子になり始めるずころ》に出お、そしお日が沈みもうずしおいる時間垯になっお、ようやく頂䞊に着きたす。

     

    ゜ロヌはこの登山に、十分な氎さえ持参しおいたせん。山頂で喉の枇きをいやすために、氎堎を探すのですが、泉の氎が涞れかけおいたため、黄昏の䞭で深さフィヌト玄60㎝の井戞を掘り、火をおこし、焚き火で米の倕食をこしらえ、その堎で朚を削っお䜜ったスプヌンで食べるのでした。

     

    「板」ず「石」を䜿った゜ロヌ流ビバヌク術

    圓時はもちろん、寝袋なんお䟿利な道具はありたせん。おそらく倏堎だったからでしょう。毛垃すら持っおきおいなかったようです。では、゜ロヌはどうやっお山頂でビバヌクしたのでしょうか

     

    頂䞊には、りィリアムズタりン倧孊の孊生たちが建おた、かなり倧きな展望台の建物があり、そのなかに「板」をしいお、薪をひず山集め、焚き火を敎えお、その脇で眠りたした。身䜓の䞊にも「板」をのせ、そのうえに「石」をのせお眠ったずいうから、すごい。

    思わず「重くなかったんかい」ずツッコミたくなりたす。

     

    《抑えに倧きめの石を乗せたので、快適に眠れた。冬の倜、自分たちがしおいるように、䜓の䞊にのせる戞を持っおいない隣人たちはどうするのかず蚊ねたアむルランドの子䟛のこずを私は思い出しおいた。この質問はたったく意想倖なこずではないず私は思う。戞があれば、たった䞀枚の毛垃だけでもしっかり身䜓に抌し぀けおくれ、人をどれほど快適にするか、それを詊みたこずのない人は思いもよらないのである》前掲曞

     

    朝目が芚めるず、゜ロヌは、建物の䞊に登り、いちばん高いずころに座っお日の出を埅ちたした。展望台の郚材に、ここを蚪れた倧孊生たちの名前が刻たれおいるのを芋やりながら、゜ロヌはひらめきたす。

     

    《もしそれぞれの倧孊が山の麓に配眮されるなら、倩分豊かな教授陣が存圚する倧孊にひけをずらないだろう》ず。前掲曞

     

    山は、名門倧孊に劣らない、究極の「孊びの堎」ではないか、ずいうのです。なぜならば、私たちは《山頂を蚪れるたびに、䞋界で手に入れた特殊な情報を䞀般化し、それをもっず普遍的な基準に埓わせるだろう》からです。

     

    そう、山は、「特殊な情報」を「䞀般化」「普遍化」する倧孊なのです。山は、䞋界においお様々な情報源から孊んだ知を咀嚌し、「自らの知」ずしお消化吞収する孊び舎なのでした。

     

    たしかに、いたの時代も、山に登るず、なんずなく、頭の敎理ができたような気がしたす。いろいろ頭を悩たせおいた仕事の雑事が、山に登っおみるず、しょヌもないちっぜけなこずだったなぁ、ず気づくこずも倚いですよね。芁は、孊校なんか行くより、山に登ったほうが頭良くなるぞっおこずでしょうか。

     

    やがお、だんだんず明るくなっおくる光の䞭で、゜ロヌは広倧な靄もやのひろがりの䞭にいるこずに気づきたす。䞀晩、山頂で倜を過ごしたこずで、心の䞭は広々ずしおいお、䞋界のちたちたしたこずは、もはや気にならない心境になっおいたす。

     

    《東方がしだいに明るくなっおくるに぀れお、倜の間に私がそれに向けお登っお行った新しい䞖界、たぶん私の生きる将来の倧地を、それは䞀局明瞭にしおくれた。䞭略そしお䞃月の朝の――そこが䞃月であったずしお――明るい倧気を私は吞い蟌んでいた。県䞋は芋枡す限り、すべおの方面が癟マむルにわたっお、雲の波立぀囜であり、雲が芆い隠す陞地の䞖界を、雲の衚面の倚様な起䌏で瀺しおいた。そこは私たちが倢の䞭で芋るこずができるような、楜園のあらゆる喜びが感じられる囜であった。》前掲曞

     

    無限に広がる雪のように癜い雲海、はるか地平線には霞んだ森が倧平原に匵り出しおおり、その䞭にうねる霞の圢から芋えたす。その霞の圢から、そこに川があるこずあるこず、それも原始的な川の蛇行のフォルムをうかがい知るこずができたのでした。

    山頂で日の出を芋お、雲海を目にしたずきの感動を䌝える゜ロヌの文章は、150幎もの時をこえお、いたの時代の山が奜きな私たちの心にもすっず吞い蟌たれるような気がしたす。かくいう私も、山に登るたびに、毎回新鮮な気持ちで思うのです。山䞊からの光景っおや぀は、たるで倢のようであり、楜園のようであり、喜びそのものだなよなぁ、ず。

      

    もっずも短い道のりで、もっずも遠くたで旅する方法

    さお、この本の「火曜日」の章にある以䞊のような描写は、川を舟でさかのがっおいるずきに、靄に぀぀たれお芖界がきかなくなった際の、回想シヌンです。メリマック川の䞊流をめざす旅は続き、いよいよ「朚曜日」の章で、ワシントン山先䜏民の呌称アゞオコチョヌク山に登るのですが、こちらは山頂の描写がほずんどありたせん。その代わり、道䞭の文章に、ものすごい含蓄に富む名蚀が出おきたす。

     

    メリマック川の䞊流に舟を着けお、゜ロヌず兄ゞョンは川沿いに歩いおワシントン山アゞオコチョヌク山の山頂をめざしたす。霧雚の降る䞭ですが、゜ロヌは雚を厭いたせん。しめった土や束の銙り、滝の音、キノコ、カ゚ル、トりヒの暹䞊から垂れ䞋がるサルオガセのような地衣類、ツグミなどを愉しみながら歩くのは、゜ロヌにずっお莅沢な時間でした。

     

    雚のしなやかな音に包たれながら、道䞭、゜ロヌは考えるのです。か぀おこの森は探怜家が蚪れる蟺境であったけれど、いたはもう人跡未螏の地ではない。探怜家の時代は終わり、地球䞊から、蟺境は消え倱せおしたった、《どこに行っおも地䞊には、すでに人がいる》ず。

     

    しかし、ず゜ロヌは、いったん提瀺したそのような考え方を吊定するかのように、考察を進めたす。

     

    《蟺境は西にも東にも、北にも南にもなく、ひずりの人間が䞀぀の事実に向き合うずころなら――それは圌の近くにあるのだが――どこにでもある》。

     

    蟺境は、2次元的な地平にではなく、3次元、4次元的な空間に、あるいは胞の䞭にこそあるずいうのです。どこであれ、ミミズのように深く朜るこずができれば、私たちは蟺境に荒野に至るこずができるのだず。

     

    では、ミミズのように深く朜るためには、どうすればよいのでしょうか 

     

    《旅をするもっずも安い方法、そしおもっずも短い道のりでもっずも遠くたで旅する方法は、ひしゃく、スプヌン、釣り糞、先䜏民の食物、塩、砂糖を持っお、埒歩で行くこずである。小川か池にきたら、魚を釣り、それを料理する䞭略四ペンスで蟲家のパンを䞀個買い、道の次の小川でそれを湿らし、砂糖を少し入れる。䞭略二セントで牛乳を䞀クォヌト賌入し、パンか冷たくなったプディングをその䞭に砕いおいれ、皿からスプヌンで食べおもよい。䞭略このようにしお私は家の䞭で食事をずるこずなしに数癟マむル旅をし、郜合が぀けば地面の䞊で眠った。》前掲曞

     

    「歩く」こずの倧切さ

    「歩く」いお旅をするこずが倧切だず゜ロヌは考えたす。なるべく少ない道具で、食料などは道䞭で調達しながら、「もっずも短い道のりでもっずも遠くたで」旅をするこずが倧切だずいうのです。これっおたさに、バックパッキングやULハむキングの栞心、いや、すべおのアりトドア的な営みの真髄ではないでしょうか。いたの登山やハむキングから倱われおしたった、本質的な歩き旅の魅力が、この文章には衚されおいるように思えるのです。

     

    しかし、゜ロヌはたんに旅を瀌賛しおいるわけではありたせん。旅は生産的な営みではない、旅ばかりしおいるようなや぀はだめだ、ず゜ロヌはいいたす。《たくさんの旅をした者の晩幎は非垞に哀れを誘うこずを私は芋おきた》ず。

     

    《本圓の誠実な旅は暇぀ぶしではなく、死ず同じように、あるいは人生行路のすべおず同様に真剣である。䞭略坐っお旅しおいる人、ずっず坐っお足をぶら䞋げおいる旅行者、こうした単なる怠惰の兞型のこずではなく、旅が足の掻力源であり、最終的には死でもある人のこずを私は蚀っおいるのである。そうした旅人は路䞊で生たれ盎し、圌にずっおもっずも重芁な力である自然の力から旅刞を埗るにちがいない。぀いには圌は䞭略生きたたた皮を剥がれるずいう経隓をするだろう。痛みがしだいに深たり、内的に治癒するかもしれない。》前掲曞

     

    兄を亡くした゜ロヌにずっお、歩く旅は、生きたたた皮を剥がれ、新たに生たれ倉わる、たさに再生の旅でした。

     

    以䞊のように『䞀週間』ずいう著䜜は、非垞に含蓄のある思玢、旅名蚀がちりばめられた本であるのですが、肝心のワシントン山アゞオコチョヌク山の山頂の描写はありたせん。小川が぀くり出す小道を登り、氎源を越えお、《最埌は暙識がなくおも私たちはアゞオコチョヌクの頂䞊に達するこずができた》ず、至極さらりず終わっおいたす。

     

    ゜ロヌの登山ず「死ぞの欲動」

    ちなみに゜ロヌは、りォヌルデン湖での小屋暮らしの前埌にも䜕床も登山旅行をしおいお、1946幎にもメむン州のカタディン山に登っおいたすちなみに、前述の「垂民的䞍服埓」の䞻旚で投獄されたのもこの幎。いたよりもずっず登山が倧倉だった時代です。なぜ゜ロヌは、䜕床も山に登ったのでしょうか

    䜐藀先生は、゜ロヌの著䜜や日蚘、゜ロヌの友人だったナサニ゚ル・ホヌ゜ンなどの著䜜を読み解きながら、この時期の゜ロヌの登山描写に、フロむトのいう「死ぞの欲動」タナトスが衚されおいるのではないかず掚察しおいきたす。

    メリマック川をさかのがっお、その䞊流、氎源地点をたどり、さらにワシントン山の山頂に向かう旅。道䞭の描写はあるのですが、なぜか、この山頂に぀いおの蚘茉がいっさいありたせん。

    しかし、別の章「火曜日」の章には、ほかの山の山頂の描写がありたす。この山旅を描く筆臎、思玢は、゜ロヌが兄の死を悲しむ「死の䞖界ぞの旅」のようであり、山から䞋りお再び生きる喜びを芋いだす「再生の旅」のように読めるのです。

    先生のそんな話を聞きながら、たしかに、がくらも山登りしおいるずきに、そんなこずを感じるこずがあるかもしれないずいう気がしおきたした。山䞊でもやに぀぀たれ芖界が効かないずきには、心の䞭そのものをあるいおいるような気分になりたすし、激しい雷雚に襲われたずきなんかには、たしかに「プチ死」ず「プチ再生」を感じおいるかもしれたせん。

    圓時20代だった゜ロヌは、兄の死埌、その悲しみを克服し、生きおいくために、山に登っおいたず思われたす。山登りは、身䜓的な旅であるずずもに、粟神的な旅でした。゜ロヌは、山を歩くこずで、咆哮する魂を鎮め、哀しみを癒やし、再び生きおいくパワヌを埗たのでした。

    荒れはおた心を癒すために、人間は山を歩くこずができる。喜びも悲しみもある人生に、山ずいう楜しみがあっおよかった。そんなこずを思った、䜐藀先生のお話でした。

    ゜ロヌ孊䌚

    自然ずは「結晶化した善」だ

    ぀づいお、九州倧孊名誉教授の小野和人先生が、より詳现に「゜ロヌの登山歎」に぀いお発衚されたした。前述したように、1839幎月31日から月13日にかけおの『コンコヌド川ずメリマック川の䞀週間』の旅で、゜ロヌは月6日にワシントン山先䜏民の呌び名でアゞオコチョヌク山に登りたした。暙高は6288フィヌト1917。

    ワシントン山は、1819幎、クロりフォヌド・パスず呌ばれるアメリカ最叀のハむキング道が開かれたした。頂䞊付近は颚が匷く、いたも悪倩候で有名な山です。

    この山を皮切りに、゜ロヌは蚘録が残っおいるだけでも、14回の登山旅行をしおいたす。

    1842幎にはリチャヌド・フラずずもにワチュヌセット山611に3泊4日で登り、山頂でご来光を芋たした。

    1844幎の倏に゜ロヌはニュヌハンプシャヌ州のモナドノック山965に登り、山頂にキャンプ泊。月明かりの䞭で山頂付近を散策しおいたす。

    マサチュヌセッツ州のグレむロック山1064や、東海岞を代衚するロングトレむル「アパラチアン・トレむル」の北の起点であるカタディン山1606などにも登山旅行をしおいたす。

    䞋山時に䜕床も転んでリュックサックを地面にたたき぀けおしたったり、頂䞊からはるか䞋に芋える湖に「飛び降りおしたいそうな気分」になったり、スプルヌスの朚を甚いおキャンプの寝床を䜜ったものの、焚き火の火が燃え移っお、あわおお氎に浞した朚の枝で火を消したり、荷物の運搬人が山火事を起こしおしたったり、゜ロヌは数々の登山゚ピ゜ヌドを蚘録したした。

    そうしたなかには、「自然ずは結晶化した善だ」ずいうような゜ロヌ流の名蚀も曞き残されおいたす。

    ゜ロヌは、圓時のいかなるアメリカの䜜家よりも山を愛したした。なぜ、それほどたでに山が奜きだったのでしょうか。

    小野先生は、プリンストン倧孊名誉教授で䜜家・批評家のりィリアム・ハワヌスを匕甚しながら、゜ロヌの登山描写は、前期はロマン䞻矩的で、埌期は客芳的であるず述べ、゜ロヌにずっお「山」ずは、倩ず地、聖なる䞖界ず俗なる䞖界の橋枡しをする「媒介者」だったのではないかず語りたした。

    ゜ロヌにずっお山は、生きたたた「倩」に至る道であり、゜ロヌにずっおの「倩」ずは、宗教的な「倩」ではなく、「真の人生を生きるこず」だったのではないか。

    山は、「真の人生を生きる」ための媒介者だったのではないか。

    小野先生は、そうした゜ロヌの登山志向・感芚は、日本叀来の「修隓道」の感芚に近いように思う、ずいいたす。倩界ず人界を結び぀け、山歩きによっお法力を身に぀けようずする行為。修隓道のその行為もたた「真の人生を生きる」ための営みなのではないかず。

    なぜがくらは、あんなにキツむ思いをしながら山に登るのか。ずっず疑問に思っおいたのですが、先生の話を聞いお、腑に萜ちたした。

    なぜ、山に登るのか

    たぶん、「真の人生を生きる」ために、登るのです。

    ゜ロヌ孊䌚

    オバマ、トランプ䞡倧統領が愛読する詩人思想家゚マ゜ン

    最埌に早皲田倧孊の江田孝臣先生による、゜ロヌの垫匠である゚マ゜ンの詩「モナドノック」に぀いおの研究発衚がありたした。

    この詩は、゜ロヌも登った山、モナドノック山965に登った経隓がもずになっおいたす。山頂で、日の出を埅ちながら星空を芋おいる心境をもずに曞いた詩だず考えられたす。

    圓時のアメリカは鉄道が開通した盎埌の時期。゜ロヌ、゚マ゜ンの故郷コンコヌドずボストンを結ぶ鉄道が開通したのは1844幎。1845幎には、コンコヌドずモナドノック山の最寄り駅を結ぶフィッチバヌグ鉄道が開通しお、登山が盛んになりたした。

    Thousand ministrels woke within me,
    ‘Our music’s in the hills;’
    䞀千人の吟遊詩人が私の䞭で目芚めた。
    「われらの音楜は山にあり」。
    小野和人先生蚳

    ず、この詩ははじたりたす。ストヌリヌは、だいたい次のような内容です。

    郜垂の矀衆に倱望しお山に登った詩人゚マ゜ンがモナドロック山に呌びかけ、山を讃える。山で出䌚う民に、独立ず高貎なものを求めるが、ちたちたした卑屈な人々を芋いだしお倱望する。その埌、山の民の䞭に枩和さ、智恵、技術、蟛抱匷さなど良きものを芋いだす。

    そこで、モナドロック山が、語る。䜕千幎もの未来に、「燃えさかる琎座」が到来するのを埅っおいるのだず。より偉倧なるもの、音楜ず詩の時代の到来、吟遊詩人、を埅っおいるのだず。

    そしお山は、郜䌚からやっおきたこぎれいなサラリヌマンたちに、暎力的な宇宙の運動ず荒々しい自然を芋せ぀けお、街に远い返す。

    この詩の重芁なずころで、「琎座の䞀等星ノェガ織り姫星が、私山に近づいおくる」ずいうフレヌズがありたす。先生によれば、1842幎にオヌストリアの倩文孊者・化孊者クリスティアン・ドップラヌが近づく星は青色を垯びるずいう理論ドップラヌ効果を発衚しおおり、゚マ゜ンは圓時最新のこの倩文理論を知っおいた可胜性があるその埌の研究の結果、実際にノェガが地球に近づいおいるこずが確かめられたした。

    ゚マ゜ンが考える「人間がめざすべき道」は、恒星ノェガのような、「詩ず音楜に向かう人間の発展」でした。

    ゚マ゜ン論文集

    ゚マ゜ンの最初の著䜜『自然』の冒頭でも、星を芋るこずで人は真の孀独を埗るこずができ、そのこずの重芁性が述べられおいたす。゚マ゜ンの星奜きは、山登りず深い関係があるず考えられたす。

    オバマ前倧統領やトランプ倧統領も愛読しおいるずいう、゚マ゜ンの『自己信頌』はアメリカ屈指の叀兞的名著ですが、自己の盎感を信頌し、自己を超克しお発展いくべしずいう『自己信頌』の考え方は、山の䞊で星を芋るこずから生たれたのかもしれたせん。

    人は山に登り、星を芋るこずで、俗っぜい街の喧隒や矀衆から離れお、胞がすヌっずするような、ほんずうに倧切な感芚を取り戻すこずができるのかもしれたせん。

    ※『りォヌルデン 森の生掻』の翻蚳者・今泉吉晎先生の特別講挔線に぀づきたす
    最も速い旅人は、足で歩く旅人である「日本゜ロヌ孊䌚」今泉吉晎さん特別講矩に行っおきたした

    【関連蚘事】

    ◎シンプルラむフのバむブル。ヘンリヌ・゜ロヌ『森の生掻』を読みなおそう

    ◎『りォヌルデン森の生掻』蚳者・今泉吉晎さんがすすめる「自然の名著」冊

     

    ヘンリヌ・D・゜ロヌ著 今泉吉晎蚳
    『りォヌルデン 森の生掻』

    「人は䞀週間に䞀日働けば生きおいけたす」ずいう名蚀で知られるシンプルラむフの名著。ヘンリヌ・D・゜ロヌは、䞀八〇〇幎代の半ば、りォヌルデンの森の家で自然ず共に二幎二か月間過ごし、自然や人間ぞの掞察に満ちた日蚘を蚘し、本曞を線みたした。邊蚳のうち、小孊通発行の動物孊者・今泉吉晎氏の蚳曞は、山小屋歎䞉十幎ずいう氏の自然の偎からの芖点で、読みやすく瑞々しい文章に結実。文庫ではさらに泚釈を加え、豊富な写真ず地図ずで゜ロヌの足跡を蟿れたす。産業化が進み始めた時代、どのように゜ロヌが自然の䞭を歩き、思玢を深めたのか。今も私たちに、「どう生きるか」を瀺唆しおくれたす。


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