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経典を背負った人々が村を練り歩く伝統行事、ブンスコル
インド北部のチベット文化圏、ラダックでは、古くからチベット仏教を信仰するラダック人(ラダクスパ)が数多く暮らしています。人々は、チベット暦に合わせた日取りで、一年のうちにさまざまな伝統行事を催します(従って、太陽暦ではそれらの行事の日取りは毎年変動します)。
ラダックの年中行事の中でもっとも盛大に催されるのは、ロサル(正月)です。ラダックのロサルはチベットのロサルより2か月ほど前に催されます(太陽暦では12月頃になることが多いです)。これは、かつてラダック王国の王が他国との戦争に臨む際に、開戦前にロサルを前倒しにしてお祝いせよ、と命じた故事によるものだとか。ロサルの前夜にはたいまつを掲げた人々が村を練り歩いたり、ロサル当日には近隣のゴンパ(仏教僧院)に初詣をしたり、互いの家を訪ねて宴会をしたりと、にぎやかな催しが行われます。
ラダックを訪れる旅行者の間でよく知られているのは、各地のゴンパでそれぞれ異なる時期に催される、チャム(仮面舞踊)を伴う祭礼です。絢爛たる衣装をまとい、さまざまな尊格の仮面をかぶった僧侶たちが、太鼓や笛やシンバルの演奏に合わせながら、ゴンパの境内で荘厳な舞を踊ります。ゴンパによっては、ラバと呼ばれる伝統的なシャーマンが神を降臨させて、人々に神託を告げるというところもあります。
こうした盛大なお祭りがある一方で、各地の村々では、もっとささやかで、でも村人たちに大切にされている伝統行事もあります。そのうちの一つが、ブンスコル。その村にあるゴンパに所蔵されている経典を、村人たちが運び出して背負い、僧侶の先導によって村の中を練り歩くというものです。ラダックのスタクモという村で数日滞在していた時、たまたま村でブンスコルが催されていたので、村人たちに同行させてもらいながら、その様子を取材させてもらうことにしました。

ブンスコルが行われる日、ホームステイ先の家の外で待っていると、太鼓や法鈴を手にした僧侶たちを先頭に、経典を担いだ村人たちの一行がやってきました。

ブンスコルの僧侶たちと村人たちは、村の中であらかじめ決められた何軒かの家に入っていきます。聞いた話によると、ラダックのほかの村でのブンスコルでは、村人たちは主に沿道で待っていて、法要の類も屋外で行われるそうですが、スタクモの村は小さいこともあり、一行は家の中に招き入れられてもてなされるのだとか。

村人たちがブンスコルで背負っている経典。チベット仏教で用いられる経典は、チベット文字で経文が刷られた横長の紙を重ねたもので、それらは布で包まれて木の板で挟まれています。
ちなみに最近は、ゴンパでの勤行でも、こうした古来からの経典の代わりにタブレット端末でお経を読んでいる若い僧侶もいて、それでもいいんだ……と、ちょっと驚きました。

訪問先の家々に招き入れられたブンスコルの一行は、チャイ(ミルクティー)や伝統的なグルグルチャ(バター茶)、茶菓子などを、次から次にすすめられます。ウイスキーやアラク(蒸留酒)をすすめてきたお宅もありました。

さらには、ごはんやダール(豆カレー)、サブジ(野菜のスパイス料理)などを昼食に用意してくれたお宅や、午後の時間にはおやつに果物やアイスクリームを用意してくれていたお宅もありました。お客さんをもてなす時は常に全力!というのが、ラダック人ならではのメンタリティなのだそうです。

一方、僧侶たちは村人とは別に、仏間に招き入れられ、そこでひとしきりもてなしを受けた後、読経を行っていました。ブンスコルの一行を招き入れてもてなす家の人々にとって、自宅の仏間で僧侶の方々にこのように読経をしていただけるのは、この上ない喜びなのだろうと思います。

仏間での僧侶たちによる読経が終わると、一行は再び経典を背負い、次の目的地へと向かいます。歩いている最中の僧侶たちや村人たちは、お互いよく知っている間柄だからかかなりリラックスしていて、にぎやかにおしゃべりをしたり、道端の水路から水を汲んでかけあいっこをしてふざけたりと、なごやかな雰囲気で進んでいきます。

村の中を歩いている途中、道端で出会った村人たちは、みな例外なく身を屈めて頭を経典に近づけ、手を合わせて祈りを捧げていました。このようにして経典に祈りを捧げて祝福を授かるのが、ブンスコルでの村の人々の喜びなのだろうと思います。

途中の道端では何度か、待ち受けていた村人たちから大きなバターの塊やチュルペ(乾燥させたチーズ)を渡される場面がありました。これは、スタクモ・ゴンパを普段管理している僧侶の方々に食していただけるように奉納するものなのだそうです。
水の精霊ルーの祠、ル・バーンに捧げられる人々の祈り

スタクモのブンスコルでは、村の民家に招き入れられての読経のほか、村の中にいくつかあるチョルテン(仏塔)での祈祷や、ル・バーンという聖なる祠での祈祷も行われます。
ラダックをはじめとするヒマラヤ西部の一帯では、仏教が広まる以前から、自然を崇拝対象とする土着の信仰が根付いていました。標高が高く乾燥した厳しい環境の土地だからか、ルーと呼ばれる水の精霊に対する信仰はとりわけ篤く、仏教が広まってからもルーへの信仰は現在に至るまで続いています。

ル・バーンは、ルーを祀る祠のラダックでの呼称です。ぱっと見は、石灰で白く塗られた四角っぽい石の塊で、何かが飾られていたり書かれていたりするわけでもないので、村人たちに教えてもらわなければ、それが神聖な祠だとはまったくわかりませんでした。

この日に訪れた3つめのル・バーンは、それまでと違ってほぼ自然のままの大きな岩で、地面に近いところにお供え物などをする窪みがわずかにある程度。僧侶たちと村人たちによる祈祷は、ここでも熱心に行われました。
ラダックで暮らす人々にとって、水は日々の暮らしに欠かせない非常に貴重な存在です。普段はあまり雨の降らない乾燥した土地なので、普段の飲み水や夏の間の農耕には、山々から流れてくる雪解け水に頼らざるを得ません。しかし近年の地球温暖化の影響で、冬の間の降雪量は減少し、水源が枯渇してしまった山間部の村もあります。一方、それまであまり雨が降らなかった夏の間に急に雨が増え、森のない高地のラダックでは、そうした雨が土石流災害を引き起こすようにもなりました。
スタクモの村も、2010年の夏に集中豪雨による土石流で大きな被害を受けた経験があります。村人たちがブンスコルで水の精霊ルーに熱心に祈りを捧げるのも、水のありがたさと恐ろしさの両方を、身をもって知っているからかもしれません。

あらかじめ決められていた訪問先をすべて回り終えた一行は、村の中心部近くにある僧院、スタクモ・ゴンパに戻ってきました。この行事がどんな風に終わるのかと見ていると、村人たちはお堂の中にある経典の所蔵室に入っていって、空いていた棚に経典を戻し、「はい、終わり! 帰ろ帰ろ」と、実にあっさり、あっけらかんと解散し、それぞれの家へと帰っていきました。こういうところも、小さな村ののどかな行事らしくて、よいものだなあ、と思いました。




