週末になると山へ行き、現代の道具は使わず、自然のものだけでゼロから文明を築く。そんな遊びを相方の縄(じょう)と一緒にしながら、YouTubeで配信しています。
今回は番外編。アラスカへ行ってきたので、その旅の様子をお届けします。

わずか250年前まで、厚い氷の下だった場所
湖のように静かな湾をカヤックで進んでいると、小さな浜を見つけた。人間の気配はまるでない。浜辺に腰を下ろしてしばらく佇んでいると、遠くのほうでザトウクジラが海面から背中を出して、空高く潮を吹き上げた。
白い柱は空中にしばらく漂い、数秒遅れてプシューンという音が届いて消えた。こんなに壮大なことが起こったのに、まわりの世界は何事もなかったかのように、静かにそこにあり続けていた。
この8月、僕は南東アラスカの小さな町、ガステイビスにいた。氷河が残るフィヨルドと、苔むした針葉樹の森が続く、美しい太平洋沿岸の町だ。目的はここに住む友人に会うこと、そして手つかずの大自然を見ることだった。

週末縄文人の活動を始めてから、原始の自然を見てみたいと思うようになった。一万年前の縄文人が暮らしていた自然環境を想像しようとしても、日本の山はスギなどの人工林が多く、河川はコンクリートで固められていて、リアルにイメージするのが難しい。だからこそ、少しでも手がかりがほしかった。
そんな話をすると、友人のタイは「ぴったりの場所がある」と言った。タイは世界中を飛び回るフリーの植物学者で、南東アラスカが故郷だ。子どものころから家族でセスナをチャーターし、原野の中で数週間単位のキャンプをしていたらしい。それを冒険と言わず、キャンプと言うあたりが玄人である。そんな彼が案内してくれたのが、冒頭の静かな湾だった。

クジラの姿が見えなくなったあとも、僕はそのあまりのスケールの大きさに動けなくなっていた。何もかもがゆっくりに感じた。クジラのもつ時間の流れが、この場に伝染したみたいだった。
今見た景色は、きっと何万年も変わることなく、人知れずここで繰り返されてきたんじゃないだろうか。そんな想像を口にすると、タイは少し困ったように笑った。
「実は、この風景はまだ生まれたばかりなんだ」
その言葉の意味を、僕はすぐにはのみ込めなかった。
タイによると、ガステイビス一帯はわずか250年前まで厚い氷の下だったという。目の前にあるフィヨルドと森は、氷河が猛スピードで後退したあとに生まれたものだった。氷河が溶けた海は栄養が豊富になり、それがプランクトンを育て、クジラを呼んだ。つまり、さっきの光景はたった250年前には何も存在していなかったのだ。
あぜんとする僕に向かって、タイは言った。
「自然の真実がひとつだけあるとすれば、それは移ろい続けることなんだ」


そのことは、森を見ればわかるという。僕らはカヤックを引っ張って波打ち際から離れたところに置き、野イチゴが群生する夢のような原っぱを歩き始めた。
この原っぱは、氷河に押しつぶされていた大地が隆起してできた場所らしい。驚くことに、つぶれたスポンジがもとに戻るように、今でも新しい地面が海の中から現れ続けているという。
足元にはトクサや野イチゴが大地を覆っていた。これらが土壌を改良し、いずれ森へと遷移していくそうだ。


人の一生ではとても見きれない、自然の歴史
海岸から離れるにつれ、あたりはうっそうとした森へと変わっていく。トレッキングルートはないため、クマが作った獣道を、ドキドキしながら通らせてもらう。
いつしか、あたりはツガやトウヒ、ヒノキが混生する原生林になっていた。木々は枝先まで地衣類に覆いつくされ、地面には歩くのが大変なくらい、たくさんの倒木が横たわっている。古い墓場のようにも見えて、少し寂しくなった。
しかし、クライマックスを迎えたこの森も、決して止まってはいないという。タイが指さした倒木をよく見ると、光が当たっている表面から小さな苗木が何本も伸びていた。
倒木が、苗木に水分と養分を供給し、地面に生える雑草との競合から守っているそうだ。「ナース・ログ」、養育する丸太というらしい。死は終わりではなく、次の命へ移ろう過程の一部だった。
ここから何十年、何百年とかけて、この中の一本が大きく成長していくのだろう。クジラの一生よりもさらにスケールの大きい時間に、体の力が抜けてしまった。
あのクジラがいた景色を、僕は一枚の静止した絵画のように見ていた。けれど今は、それが途方もなく長い映画の、ほんの一瞬のカットに思えてきた。
その映画は僕の短い一生ではとても見きれない、自然の歴史そのものであり、この先も止まることなく移ろっていく。タイの言葉の意味が、ようやく体の奥から理解できた気がした。


川もまた、その掟の中にあった。タイの実家の近くを流れるサーモンリバーは、河口付近でしょっちゅう筋を変えるらしい。春の雪解けのころには、まるで別の川になるそうだ。タイの母親はこの川沿いを散歩するのが日課で、「毎日見ても形が変わるから飽きないの」と笑っていた。

実際に河原を歩いてみると、その広さに驚いた。川が生きて動くと、河原はこんなにも広くなるのかと思った。視界はどこまでも開けていて、100メートルほど離れた流木の上に、ワタリガラスが止まっているのが見えた。
ふと、自分が1万年前の河原を歩く縄文人になった気がした。川沿いを辿って、隣の集落まで旅に出る。途中、河原には石器にできそうな石や、大小さまざまな流木が転がっている。そうか、河原ってこんなに流木があるものなんだ。これだけあれば薪に困ることはないな。もしかしたら、流木で器だって作れるかもしれない。

縄文時代の自然と、アラスカの自然はもちろん違う。でもその本質は同じで、縄文時代も破壊と再生を繰り返し、移ろい続けていたはずだ。人々はそれに柔軟に対応しながら、流木や広い河原など、変化の副産物をしたたかに利用していたに違いない。だからこそ、彼らは1万年以上ものあいだ、自然と共に暮らし続けることができたのだと思う。
氷河が崩壊したあとに、森が生まれ、クジラたちがやってきた。それを美しいとか、豊かと呼ぶのは人間の身勝手かもしれないが、南東アラスカで見たあの景色はたしかに僕の心を震わせた。自然の変化を防ぐのではなく、受け入れて、対応する知恵を磨く。その先にどんな世界があるのか、ちょっと見てみたくなった。
※構成、文、撮影/週末縄文人・文(もん)








