墨田区の路地裏でこっそり楽しむ江戸の名残の水路探索【プロハイカー斉藤正史の東京GREEN WAY FILE.26】 | アウトドア・外遊び 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル
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    2026.01.03

    墨田区の路地裏でこっそり楽しむ江戸の名残の水路探索【プロハイカー斉藤正史の東京GREEN WAY  FILE.26】

    墨田区の路地裏でこっそり楽しむ江戸の名残の水路探索【プロハイカー斉藤正史の東京GREEN WAY  FILE.26】
    プロハイカーの斉藤正史さんが、独自の視点で東京23区内の緑道を「GREEN WAY」として捉え直し、実際に歩いた足跡を紹介します。身近なGREEN WAYでも四季折々の見どころがあり、街の意外な歴史にふれることができる、かもしれません。

    今回は東京都墨田区、JR両国駅の南側エリアをめぐる「六間堀GREEN WAY」です。
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    26th ルート:六間堀GREEN WAY

    隅田川東岸の両国界隈を歩きながら感じる江戸のにおい【プロハイカー斉藤正史の東京GREEN WAY  FILE.25】 | アウトドア・外遊び 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル

    前回のFILE.25「両国GREEN-WAY」の終点であるJR両国駅から、今回のFILE.26「六間堀GREEN WAY」をスタートします。今回のタイトルに入っている「六間堀」に馴染みのある人は少ないと思いますが、その説明は追々します。

    まず、両国駅を出発してすぐに、回向院(えこういん)という立派な門構えのお寺があります。前回紹介した両国国技館の説明の中に登場した寺院です。

    回向院

    1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火による10万人以上の焼死者を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った塚が始まりだという回向院。その後の安政大地震をはじめ、水死者や焼死者、刑死者などの無縁仏も埋葬しているそうです。さらに、人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、「犬猫供養塔」「オットセイ供養塔」「小鳥供養塔」など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑、墓などが寺院内にあります。

    回向院。

    初代国技館

    かつて相撲は、寺院の建立や修復、公共事業などを行う資金集めのための勧進相撲という興行形態が一般的でした。回向院の境内で初めて勧進相撲が行われたのは1768年(明和5年)で、やがて春と秋の興行が定例化し、これが現在の大相撲の起源となります。そして、1909(明治42)年に、常設の会場である国技館が建てられました。

    その初代の国技館を設計したのは、東京駅などを手掛けたことで知られる辰野金吾と葛西萬司。現在、回向院に旧国技館跡の案内板があって写真も載っていますが、とても立派な堂々とした建物です。

    なお、この初代から当代にいたる国技館の変遷の歴史も面白いのですが、それだけで新書1冊分ぐらい書くことがあるので、とてもここで紹介しきれません。戦後史が好きな方などは、自分で調べてみてください。僕はGREEN-WAY散策に戻ります。

    初代国技館の案内板。その外観から「大鉄傘」とも呼ばれたそう。

    回向院の裏側に回り込むように道を進んで行くと、「みきや」という居酒屋の横に案内板がありました。夏目漱石が1886年(明治十九年)から1年ほど教師をしていたという私立学校「江東義塾」の跡地だそうです。

    漱石は当時、大学予備門(一高)で学びながら江東義塾で教師をしていたとか。現代に置き換えると、大学生が塾講師のアルバイトをする、みたいなことでしょうか。例えが間違っていたら申し訳ありませんが、急に漱石が身近な存在に思えてきました。

    江東義塾跡。

    その漱石ゆかりの地の案内板から1分も歩かないぐらい近所に、本所松坂町公園があります。公園とはいうものの白壁で囲われていて、いわゆる児童公園とは雰囲気が異なります。もったいぶらずに書くと、ここは赤穂浪士による討ち入りが行われた吉良邸の跡地です。

    吉良邸跡(本所松坂町公園)。

    吉良邸跡(本所松坂町公園)

    もともと吉良上野介義央は別の場所の屋敷を拝領していたものの、松の廊下の刃傷事件の数カ月後、ここの屋敷を拝領。その広さは約2550坪(約8400平方メートル)もあったとか。そして、赤穂浪士による討ち入り後、幕府によって屋敷は没収されました。ここに吉良上野介が暮らしたのは、1年半にも満たなかったそうです。

    その後、長らく吉良邸ゆかりのものは何もない状態が続きましたが、1934年(昭和9年)に地元の有志らが旧屋敷の一部の土地を購入。東京市に寄贈し、公園として整備されたそうです。現在は、歴史に関する案内板のほか、吉良上野介義央公座像が建てられています。

    吉良上野介義央公座像。

    吉良邸跡のすぐそばには、1869年(明治2年)創業の「大川屋」という和菓子屋があります。歴史より食い気というか、「忠臣蔵の吉良まんじゅう」を買い求めたかったのですが、残念ながら足を運んだ日(月曜)は定休日でした。この連載の取材では定休日に当たる確率が高い気がするのですが、日ごろの行いに問題でもあるのでしょうか…。

    「小川屋」では「隅田川」という最中も人気らしいです。

    ところで、今回歩いているエリアの南側に竪川(たてかわ)が流れています。この川は隅田川と旧中川を結ぶ約5kmの運河で、その上を首都高速7号小松川線が走っています。この竪川の1kmほど南には、同じく隅田川と旧中川を結ぶ運河の小名木川も流れています。

    千歳橋の上から見た竪川。

    さて、吉良邸跡や小川屋から南に3分ほど歩くと、竪川に架かる千歳橋に着きます。この近くに今回のGREEN-WAYの目的地というか、個人的に楽しみにしていた場所、六間堀(跡)があります。

    六間堀

    先述した竪川と小名木川を結ぶ1km弱の水路で、川幅が六間(約11m)だったことが名前の由来。掘削年は不明ですが、1617年(寛文11年)の江戸外絵図には記載されているとか。昭和に入って第二次世界大戦後には埋め立てられたそうです。

    このGREEN-WAYの連載では、これまで何度か川の跡地である暗渠を歩いています。地図で妙に真っ直ぐな細い路地を見つけると、「ここって水路跡では!?」と期待が高まります。この六間堀も、両国をめぐるにあたって事前に地図を見ていて目に止まったのでした。

    しかも、竪川や小名木川は検索するといくつも情報が見つかりますが、六間堀は詳しいことが分かりません。ならば、実際に歩くしかない!と思った次第です。歩いたからといって六間堀の何かが分かるとは限りませんが…正直にいえば個人的に水路跡の路地を歩くのが単純に好きなのです。

    千歳橋を渡ってすぐの民家の脇に、細い路地が伸びていました。六間(約11m)の半分もないくらいの道幅です。期待と不安で半々というか、妙な興奮を覚えながら、前に進みます。

    いざ、暗渠探索へ!
    暗渠っぽさ、水路の名残をひしひしと感じます。

    人とすれ違うのがやっとといった感じの路地を歩くこと、およそ5分。距離にして400mほど進むと、公園がありました。六間堀児童遊園です。

    六間堀児童遊園。

    六間堀の暗渠と思われる道は、緑道などとして再整備されているわけではありません。あくまでもビルや民家が建ち並ぶ裏路地であり、近隣に暮らす人たちの通り道です。

    でも、約400mの道のり大半が、ビルの植栽や民家のプランター、そして雑草に縁取られていました。強引だといわれたら返す言葉もありませんが、個人的には六間堀の暗渠も立派なGREEN-WAYだと感じました。

    六間堀児童遊園から、さらに路地を少し進むと都営新宿線の森下駅があります。ということで、今回はここでフィニッシュとします。

    なお、六間堀児童遊園から先の小名木川までも川筋らしき道が通っていることが、Googleマップなどを見ると分かります。また、六間堀児童遊園の1ブロック隣には、五間堀公園があります。六間堀の途中で分岐する五間堀という水路も通っていたようです。竪川〜小名木川周辺の水路(暗渠)、まだまだ探索しがいがありそうですが、それはまたの機会の楽しみにとっておきます。

    前回のFILE.25「両国GREEN-WAY」では、浅草から両国にかけて隅田川東岸を中心に歩きました。その「両国GREEN-WAY」と今回の「六間堀GREEN WAY」をつなげて歩くと、江戸の人たちの暮らしと密接な大小の川の歴史や水畔の町並みの移り変わりなどが感じられて楽しいと思います。

    今回歩いたルートのデータ
    |距離約1.6km
    |累積標高差約2m

    今回のコースを歩いた様子は動画でもご覧いただけます。

    ●六間堀GREEN-WAY

    ●FILE.25「両国GREEN-WAY」 to FILE.26「六間堀GREEN-WAY」

    斉藤正史さん

    プロハイカー

    2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22.000km(地球半周以上)を超える。また、BE-PAL.netにて「TOKYO山頂ガイド」を連載。

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