
今回は東京都中央区の人形町周辺をめぐる「水天宮・松嶋・浜町(川)GREEN WAY」です。
5th ルート:水天宮・松嶋・浜町(川)GREEN WAY
前回に続き、今回も江戸の中心である日本橋のすぐそば、人形町周辺に点在する寺社仏閣の「日本橋七福神」をめぐります。今回のルートは「水天宮・松嶋・浜町(川)GREEN WAY」です。
早速、トレイルヘッド(=トレイルのアクセスポイント)である水天宮前駅を出発。すると、すぐに大きなコンクリートづくりの建物が見えてきました。なんと!…などと、もったいぶるまでもありません。駅名にもなっている水天宮です。
水天宮前駅の開業前の仮称は「蛎殻町(かきがらちょう)」だったそうです。でも、地元の地名であり、知名度が高く短くて分かりやすいという理由で、1990年に駅名が「箱崎」に決定します。しかし、この駅名をめぐって営団地下鉄(現・東京メトロ)側と住民側などで意見が対立。結局、地名を取りやめ、駅名は「水天宮前」に変更になったそうです。
水天宮
水天宮の発祥は、久留米藩(福岡県久留米市)。9代目藩主の有馬頼徳が、1818年(文政元年)に、自家でまつっていた水天宮を三田赤羽の上屋敷に分祀したのが、東京の水天宮の始まりだとか。
当初は藩邸内なので一般の参拝が難しかったそうです。ただ、江戸で水天宮のも信仰者が多いことから、毎月5の日に一般開放されるようになったそうです。
その人気ぶりはすごく、有馬家の会計記録には「水天宮金」という賽銭や奉納物、お札などの販売物の売上項目があり、その金額は安政年間の記録で年間なんと2000両にもなりました。財政難であえぐ久留米藩にとって貴重な副収入だったそうです。

水天宮。
弁財天
水天宮にまつられているのは弁財天です。日本の弁財天は、インドのヒンドゥー教の女神サラスヴァティが起源といわれています。仏教に取り入れられ、吉祥天や他の神々の要素も吸収し、インドや中国で伝えられるいろいろな面で異なるとか。日本神話に登場する宗像三女神(むなかたさんじょしん)の一柱(神仏や遺骨を数える単位)である市杵嶋姫命(いちきしまひめ・水の神)と同一視されることも多いそうです。
古くから弁財天にゆかりのある社では、神仏分離以降、宗像三女神(むなかたさんじょしん)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)をまつっているところが多いとか。なお、最近は神社でお金だけでなくスマホを洗う人もいるそうです。弁財天と電子マネー…?
水天宮を出て新大橋通りを渡り進むと、ビルに組み込まれているような鳥居が見えました。ここが今回の2つ目の目的地、松島神社です。
松島神社
松島神社の創建は、1585年(天正13年)。それ以前の鎌倉時代には、この周辺一帯は入り江だったそうです。松が茂った島(松島)に「柴田」という一族が住んでいたそうで、その松島の柴田家の屋敷神として設けたのが起源だそうです。
天正年間(1573~1592年)のころから一般に公開され、当時は「松島稲荷」と呼ばれていたそうです。江戸時代になり、周辺が埋め立てられると、一帯は「松島町」と呼ばれるようになります。地方から多くの人たちが住むようになり、人々が故郷の神々を合祀するように頼んだため、祭神が多く祀られることになり、13もの神を祀っているそうです。

大国神
松島神社にまつられている大国主(オオクニヌシ)は、日本神話に登場する神を指します。天から下った代表的な神(国津神)で、国津神の主宰神とされているそうです。『古事記』や『日本書紀』の異伝や『新撰姓氏録』によると、須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫、『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされているとか。
と、日本橋七福神の松島神社に関する資料を引き写してみたのですが、何か違うような…。
大国さまと大黒さま、どちらも親しみを込めて「だいこくさま」と呼ばれていますが、大国さまと大黒さまは全く別の神様です。大国さまは、日本の神話に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと)。縁結び、土地守護の神として信仰を集めています。
一方の大黒さまは、もともちはマハーカーラというインドの神。日本に伝わると密教の守護神となり、寺の台所や食堂の神としてまつられていたとか。七福神の「だいこくさま」は大黒さまです。
七福神のうち日本起源の神様は、恵比須さまだけといわれています。でも、日本橋七福神のサイトなどでは松島神社にまつられている日本の大国神が紹介されています。これって厳密には七福神じゃないような…。あえて大国さまと大黒さまを混同して七福神のひとつとして可としているのかもしれませんが…。
何か踏み込んではいけない領域に歩を進めてしまったような気がしてきたので、向きを変えて隅田川方向に進みます。すると、何やら公園のようなものが見えてきました。
浜町(川)緑道
前回も書きましたが、人形町周辺はビル街です。僕の姿を客観的に見たら、ただの「街歩きの人」です。そうした中、ようやく「東京GREEN WAY」という連載にふさわしい緑道がありました。「浜町(川)緑道」です。

なぜ、わざわざ(川)と書くのか。中央区のサイトやGoogleマップは「浜町川緑道」ですが、東京都のサイトなどは「浜町緑道」という表記になっています。緑道の名前が統一されていないのです。
ということで、この緑道について調べてみました。もともと東京都千代田区岩本町から中央区日本橋浜町まで、浜町川という河川が流れていました。その川は戦後に治水工事で暗渠となり、跡地に整備されたのが現在の緑道です。
結局、調べを進めても、緑道の名前が不統一の理由は分かりませんでした。それどころか、地元の商店街のサイトではこの緑道を「グリーンベルト」と記してました…。
ともかく、この浜町(川)緑道がとても心地よい場所であることは事実です。この緑道の雰囲気に心をひかれるのは僕だけではない証拠に、写真を取っている外国人も何人か見かけました。日本橋から歩いても10分ほどの場所に、こんな緑に囲まれた癒しスポットがあったとは!

緑道を進んでいくと、「勧進帳(かんじょうちょう)の弁慶像」がありました。前回も軽く触れましたが、人形町周辺には、江戸時代に歌舞伎を上演する芝居小屋が複数ありました。1974年(昭和49年)に緑道が整備された際、街の歴史を踏まえてこの弁慶像を設置されたそうです。

さらに緑道を進んでいくと「日本漢方医学復興の地 記念碑」がありました。明治時代、新たにもたらされた西洋医学が注目を集める一方で、漢方医学が衰退の危機にひんします。そうした中、この地に開業した医師の和田啓十郎氏が漢方医学のために貢献したことを称える石碑だそうです。

「日本漢方医学復興の地 記念碑」があるのは、浜町(川)緑道の終点です。ということで(?)、今回の「水天宮・松嶋・浜町(川)GREEN WAY」は、ここで終了とします。
■今回歩いたルートのデータ
|距離約800m
|累積標高差約1m
今回のコースを歩いた様子は動画でもご覧いただけます。
●水天宮・松嶋・浜町(川)GREEN WAY