
三浦豪太の朝メシ前 第10回 浜厚真のサーフィン体験

プロスキーヤー、冒険家 三浦豪太 (みうらごうた)
1969年神奈川県鎌倉市生まれ。祖父に三浦敬三、父に三浦雄一郎を持つ。父とともに最年少(11歳)でキリマンジャロを登頂。さまざまな海外遠征に同行し現在も続く。モーグルスキー選手として活躍し長野五輪13位、ワールドカップ5位入賞など日本モーグル界を牽引。医学博士の顔も持つ。
サーフィンとスキーは技術も精神もクロスしている
北海道の夏は日の出がやたらと早い。夏至近くともなれば、明るくなる窓の陽光に「もう朝か……」と時計を見ると、まだ朝の午前4時だったりする。
早起きした時間を有効に使い、普段はやらない、非日常的なアウトドア活動を行なおうと組織したのがわれわれBBF(Before Break Fast Club=朝飯前クラブ)である。主要メンバーは3名で各人それぞれ専門分野に長け、プロのトレイルランナーの反中祐介(タンナカ君)はトレイルラン、某有名アウトドア店のマネージャーであるS氏はスケートボードとサーフィン、そして僕、三浦豪太はスキーや冒険というフィールドを得意としている。
よって、BBFはそれぞれの特技で遊びを提供し合い、活動の日時は定めず、誰かがこれをしようと考えた時点で招集をかける。時には各々の友人らも集まるし、なにより急な招集であっても参集する。この関係を説明すると、互いに信頼し合っているというか、自分のやりたいことへの欲求を、それぞれが受け入れてくれる仲間ができたといった感じだ。結束力も少々強めで秘密結社めいてもいる。
だが、こうした早朝野外活動はわれわれの専売特許ではない。エクストリームな体験を求める人たちは古くからいて、その最たるものはサーファーだろう。彼らは最高の波を自分の手で最初につかもうと、前日からスタンバイし、朝日が昇る前には目がばっちりと開き、海に向かって鼻息を荒くしながら何時間も運転していくのだ(僕の勝手な想像です)。
その代表格がS氏で、彼はしょっちゅう(BBFが開催されていない日も)、「今日の波は良かったよ!」と爽やかな顔で出勤していることしばしばで、S氏にとって〝波がいい日にサーフィン〟することはすべての優先順位を上回るのだ。そんなS氏の呼びかけで、僕とタンナカ君、そして何人かのBBF新メンバーとで、北海道は浜厚真海浜公園に日の出とともに集合した。浜厚真は札幌市から南に1時間半ほど、太平洋に面しているため比較的温暖で、札幌周辺の人たちにとってサーフィンの聖地といえる場所。
北海道の海は夏でも冷たいので、この日のために、僕は5ミリのウェットドライスーツを新調した。ところが、〝北海道サーファー〟たちは寒さをものともしない。波さえ良ければ夏冬問わず出かける。
スキーヤーにもサーフィンをする輩を何人か知っているが、彼らは新雪が降り、かつ波がいい日には(つまり真冬でもいい波だと聞けば)スキーに来るか、海に行くのか真剣に悩む。おそらく彼らは顔中氷柱だらけになっても嬉々として波に乗っているのだろう(またまた僕の勝手な想像)。
僕は神奈川の逗子に15年住んでいた。逗子周辺といえば七里ヶ浜や津久井浜といったサーフィンの名スポットがあり、映画『稲村ジェーン』の舞台となった稲村ヶ崎も、僕が暮らしていたマンションから20分で着く。いつも波が立つサーフスポットが近場にあるので、サーファーにとっては夢のマンションであった。
だが当時、僕がサーフィンをしたのは数回程度である。なぜなら僕は波乗りの前にパドリングが絶望的に下手だったからだ。波に乗るには、うねりがある沖まで出なければならない。サーフボードに腹這いになり両手で水を搔くものの、来る波来る波に押し戻されなかなかポイントまで辿り着けない。
やっと乗れたと思ったら今度は、顔面からツッコミ、洗濯機のようにぐるぐるとまわり……上も下もわからなくなった。手痛い思いを何度かして残念にもそこから少しずつ足が遠のいてしまった。
だが皮肉なことに、この北の海でサーフィンにリベンジをするとは。これまで自己流だった僕にS氏が、来る波に対してパドルで強い推進力をつけて沖に出る方法、どの波を待ちどのタイミングでパドリングをして波をキャッチするか、ボードの乗り方などを手取り足取り教えてくれた。今回も何度か波にぐるぐる巻きにされ、何度か立っては転んだが、その都度、どうすればいいのかコーチングしてくれる。
サーフィンの波と新雪でのスキー
そしてついにその時が来た。
パドリングをしてスピードをつけた後、後ろから波に押され急にサーフボードが進む、ボードが安定したところで一気に立つ。今まで不安定だったボードはむしろスピードが出ることによって安定し、雑音のように耳元で聞こえていた波の音が風の切る音に変わる。ボードの先端を見ると滑らかな海面をスーッと海を切るように進んでいる。確かにこれは快感である!
その後何度かトライした。もう一度だけ乗れたところで体力の限界であった。サーフィンは一期一会の波との出会いだ。2度乗れただけだが一介のサーファー気取りとなった。そしてふとこの感覚は、新雪の、その日にしか会えない雪を楽しむスキーに似ていると思った。
サーフィンに興味が湧き歴史を調べてみると、西暦400年ごろにはハワイの古代ポリネシアにはサーフィンの原型ともいわれるhe enalu(ポリネシア語で波の上を滑る)があったという。
文化的にも神事としても深くポリネシア文化と繫がっていた。山の部族に嫁いだため、サーフィンができなくなって非常に悲しんだという話もあり、神事でありながらも、娯楽としてもサーフィンが楽しまれていたのだろう。
サーフィンはオリンピック種目になっているほどのスポーツだ。技術や体力を競うが、同時に自然と一体になる精神的な側面がある。そしてそこから発展したカルチャー的側面が多分にある。
クロストレーニングというのは、ひとつのスポーツの上達のために、別のスポーツの要素を取り入れることによって上達するトレーニング法である。スキーヤーにサーファーも多いのは、技術面だけではなく精神面にも多くクロス(交差)しているのだなと、哲学的な考察に至った。

S氏に、パドリングの基本を徹底的に教わった。サーフボードの上でバランスを保つこと、体の中心がブレずぐらつきがなければ推進力を得られるのだ。

同じくS氏に"立つ"イメージを教わる。

早朝、浜厚真海浜公園に集合したBBFの面々。
(BE-PAL 2025年8月号より)