大学生の彼女が島に移住した理由とは?若き「よそ者」が移り住む沖島の魅力 | 田舎暮らし・移住 【BE-PAL】キャンプ、アウトドア、自然派生活の情報源ビーパル
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    2022.05.20

    大学生の彼女が島に移住した理由とは?若き「よそ者」が移り住む沖島の魅力

    琵琶湖湖岸の桜のトンネル。湖面すれすれまで桜が垂れている。

    沖島の集落から畑に続く道は、春、桜のトンネルが現れる。

    過疎化の島に移住した大学生

    「過疎化」「高齢化」は日本全土の問題である昨今。中でも、離島のそれは待ったなしの状態にある。滋賀県は琵琶湖に浮かぶ有人島・沖島も例に漏れずだ。

    沖島は周囲約6.8kmの小さな島。対岸の港からは定期船で約10分。船の本数も7時頃から21時頃まで1時間に約1便、計10~12/日便出ており、それほどアクセスが悪いわけでもない。

    だが、島の人口は約240人、平均年齢は70歳を超える。島内に小学校はあるものの、島内の小学生以下の子は5人だけ。他の約10人は同じ市内の島外からの越境通学。毎朝、通勤する先生たちと共に定期船でやって来る。中学や高校は島から市内の学校へ通えても、大学ともなれば、皆、島を出て行ってしまう。日本あちこちの「田舎あるある」だ。

    そんな沖島に5年前、ひとりの大学生が大阪から移住して来た。大学在学中の期間限定で。世の多くの人は、人や物があふれる街なかの生活に憧れるであろう年代。

    なぜ、わざわざ沖島に?当時、知人に彼女を紹介された私は、とてもとても気になって仕方がなかった。

    昭和初期を思い出させるような2階建ての木造校舎。手前には満開の桜の木。

    沖島小学校。平成7年に新築されたかわいい木造校舎。校庭の目の前は琵琶湖が広がる

    生まれも育ちも大阪のど真ん中という久保瑞季さん。移住したのは滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科に通う3回生の時。大学の授業で沖島の人の話を聞く機会があったコトが沖島との出逢いだった。過疎化と高齢化で、このままだと島が消えてしまって暮らし続けるコトができないという話に衝撃を覚えたという。

    「都会生まれ育ちの自分には"住んでいる町が消える"という感覚がわからなくて」。

    地域貢献に興味があった彼女は、そんな状況なら若者に何かできるのではないかと「座・沖島」という学生プロジェクトを立上げた。そして、島内の行事やイベントの手伝いをメンバーと行なうように。そうこうしながら、移住するまでに10回以上、島に通った。

    「島で暮らすコトに、私自身はなんの不安もなかったんですけど、唯一、親に大反対されて……」

    島が好きなコトは理解できても、わざわざ住まなくても……という両親。だから、島の家の家賃(当時、1万円ちょっと/月)や生活費はバイト代で賄ったそうだ。そうまでして住みたいと思わせてしまう沖島の魅力とはなんなのだろうか?

    細い路地の昭和っぽさを感じる民家の前でカメラむかってたたずむ瑞季さん

    沖島の集落内の路地が大好きという瑞季さん。©藤田雄也

    島人と他出者(たしゅつしゃ)を繋ぐ架け橋

    「隣の家の60代のご夫妻が、一人暮らしの私をとっても気にかけてくれて。ごはんのおかずもいつもわけてくれたんです。帰宅が遅くなる時には、ラップをかけた器に鮒の煮付けや手作り野菜のサラダとかがそっと置かれていて。もう、私にとっては島の父母なんです」

    そんなご夫妻をはじめ、島生活の間、島の人たちによくしてもらった瑞季さん。次第に、沖島の人たちに恩返しがしたいと思うように。そのコトを島の母である北村すえみさんに伝えると、こんな言葉が返ってきた。

    「恩は返すもんとちゃう。恩は送るもんや。だから、あんたは、ちがう人に恩を送ったらええ」

    木の寿司桶の中の酢飯の上に、サイコロ型にカットされた桜色のビワマス、その上には縦長に捕捉カットされた錦糸卵、さらにその上には細くカットされた紅生姜、グリーンピーズがそれらの隙間にパラパラと。

    島の母・すえみさんが作る「ビワマスのちらし寿司」。ビワマスは琵琶湖の宝石とも呼ばれている。

    その言葉を受け、彼女が行ったコトは「他出者(他出子)」と現在の島人を繋ぐコトだった。「他出者(他出子)」とは、簡単に言うと、今回の沖島の場合は「島を出て行った島出身者」。島に限らず、地元から出て行った人たちのコトをいう。瑞季さん曰く、この分野の研究は、なかなか難しく進んでいないという。なぜなら、その土地に残っている親世代に話は聞けても、地元を出て他の地域で生活をしている子どものトコロへ、見ず知らずの研究者が行くコトを良く思わない親たちも多いからだ。また、研究者がその親世代とそこまでの関係性を築けない場合も多い。

    「私の場合は、沖島に住んでいたので、島民の方々にも私自身のコトをよく知ってもらっていました。だから、その方々の子どもさんたちを紹介してもらい、50人ほどに会うコトができたんです」

    笹を山積みにして山状にしたところに五色の紙や白地に赤丸の扇子を3つ併せて丸状にしたものなども積み重ね、そこに火が点けられ燃えている様子。

    沖島の正月行事の「サンチョウ」。左義長(どんど焼き)のコトを、島ではそう呼ぶ。

    その結果が、これまた、興味深い。

    男性に関しては、60代は長男が家を継ぎ、次男は島外へ仕事を求めて出て行った世代。40~50代は、島のメインであった漁業が廃れ、島外に仕事を求めて出て行った世代であり、現在住んでいるコミュニティの活動の中心を担っており、島のコトまで手がまわらない。逆に若い20代は島の人口減少にともない、子どもの数も減り、同世代が少ない環境で育っているため、子どもの頃の思い出が少なく、島への想い入れも少ない。そこで、鍵となるのは30代だ。この世代は同世代が多い最後の世代でもあり、島への想いも強い。

    また、女性陣に関しては、嫁いだりして島外に出たものの、しきたりがある祭りよりも参加するハードルが低い沖島町離島振興推進協議会の新しい活動などには、興味津々な人もいるのだそう。「島の人が声をかけてくれたら、島の祭りや行事も手伝いたい」という他出者も男女共にいるという。

    その30代メンバーに瑞季さんが声をかけ「沖島ちょい飲み会in沖島」も開催した。すると、その年、そのメンバーの中から、島の祭りに参加する人が現れたのだ。瑞季さんが立ち上げた「座・沖島」の学生メンバーも共に祭りを盛り上げる。過疎化・高齢化の島なのに、その日は若い人たちで島が賑わった。かつて、島に人々が溢れていた頃を彷彿させるかのように。

    13人の老若男女が2列に向かい合って座り(もう一人は立って、その様子を眺めている)、五色の紙に願い事等を書いたり、白地に赤丸の扇子を3つ組み合わせて丸型にしたりと、サンチョウの飾りつけを制作中。

    沖島の「サンチョウ」は元服の儀も含まれている。元服を迎える数え15歳の男性陣が持つ笹の飾り物を作る「座・沖島」のメンバーと島人たち。

    恩送りのその先に

    彼女は現在、大阪の商工会議所に勤めている。就職先をそこに決めた理由のひとつに「沖島」がある。

    「沖島に興味を持ってもらったり、暮らし続けてもらうためには島に生業が必要です。地域経済を学ぶコトで、沖島に生業を作りたいんです」

    湖魚に新たな価値と可能性を見出すために、ラオス料理の料理人に沖島の湖魚を使ったラオス料理を作ってもらうイベント等を本業の合間をぬって行なっている。

    どんなに仕事で疲れていても、沖島に関わる時、沖島の話をする時の瑞季さんはキラキラと眩しい。まるで、陽の光が当たって輝く琵琶湖の湖面のように。そして、沖島に遊びに行った数日後には、すでに「沖島に帰りたい」と恋しがる。

    中央に緑の葉が茂った大きな木。それを円状に囲むように、大人用三輪車が8台並んでいる。

    車が一台もない沖島の島民の足は大人用三輪車。コミュニティセンター前の木の周りに大集合!

    瑞季さんは大学卒業とともに島を出たが、彼女が立ち上げた「座・沖島」は今も大学の後輩へと受け継がれて、島民に寄り添いながらボランティア活動を続けている。
    また、彼女が島を出た後、数人の20代が沖島へと移り住んで来た。彼ら彼女らは、自然と人々が混じり合う沖島生活をそれぞれに日々楽しんでいる。そして、口を揃えてこう言うのだ。

    「沖島は住んでる人が本当にいいんです」と。

    そんな彼らの元へは、友人知人たちが、彼らを訪ねて沖島へやって来る。関係人口というと小難しく聞こえるが、そもそも、友人知人を訪ねるコトからはじまるものなんじゃないだろうか?

    そして、沖島にとってその広がりの素は、やはり瑞季さんだろうと、私は思うのだ。学生時代の彼女が島に住んだコトで、島民の「よそ者」「若者」への意識のハードルが変わったのではないかと思わずにはいられない。

    「沖島の次世代の人たちに、恩送りを続けていきたいんです」

    そんな彼女は、本職が休日の今日も、琵琶湖近くで行なわれている「浜大津こだわり朝市」で、売り子として沖島の湖魚料理等の販売の手伝いをしている。島の父母とともに、青空にはじけそうなキラッキラの笑顔で。

    「沖島漁師の会」と青地に黄色文字で書かれた垂れ幕の前に女性が2人。向かって左側はピンクの三角巾と白いマスク、黒のチェックのエプロン、花柄のくすんだピンク地のアームカバーをしている瑞季さんの島の母。右側は紺色に白いドット柄のパーカーを着、赤とオレンジとグレーの入り混じったストールを首に巻いてピースをしている瑞季さん。2人の手前には、ハスの塩焼き等の湖魚商品が並ぶ。

    月1回開催の「浜大津こだわり朝市」にて、瑞季さん(右)と瑞季さんの島の母・すえみさん(左)。瑞季さんは、大阪から、毎月、手伝いに通っている。©塚本千翔

    ●久保瑞季さんのInstagram

    クボミズキ @okishima_girl_mijo

    ●浜大津こだわり朝市

    • 場所:京阪びわ湖浜大津駅前スカイサークル
    • 住所: 滋賀県大津市浜大津1-3
    • アクセス:京阪びわ湖浜大津駅改札出てすぐ
    • 毎月第3日曜日8:00~12:00
    • URL:https://otsu-kodawari-market.jimdofree.com/

    ●フリー冊子『沖島さんぽ』

    うっすら緑がかった布地の上に黄色地に白字で「沖島さんぽ」と書かれた冊子。文字の周囲には、沖島の四季折々の写真が6枚並べられている
    滋賀県は琵琶湖に浮かぶ有人離島・沖島のガイド兼コミックエッセイ。
    沖島が気になる方は、ぜひ、下記に連絡してお取り寄せしてみてください。
    (冊子は無料ですが、郵送料は注文者さん側のご負担になります。)

    沖島町離島振興推進協議会
    montekite.com/inquiries/
    もしくは沖島町離島振興推進協議会のInstagram 「もんて @montekite2017」 へメッセージで連絡

     

     

    私が書きました!
    イラストエッセイスト
    松鳥むう
    滋賀県出身。離島とゲストハウスと滋賀県内の民俗行事をめぐる旅がライフワーク。訪れた日本の島は114島。今までに訪れたゲストハウスは100軒以上。その土地の日常のくらしに、ちょこっとお邪魔させてもらうコトが好き。著書に『島旅ひとりっぷ』(小学館)、『ちょこ旅沖縄+離島かいてーばん』『ちょこ旅小笠原&伊豆諸島かいてーばん』(スタンダーズ)、『ちょこ旅瀬戸内』(アスペクト)、『日本てくてくゲストハウスめぐり』(ダイヤモンド社)、『あちこち島ごはん』(芳文社)、『おばあちゃんとわたし』(方丈社)、『島好き最後の聖地 トカラ列島 秘境さんぽ』(西日本出版社)等。Podcast&Radiotalk はじめました。「松鳥むう」で検索を♪ http://muu-m.com/

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