オリンピックより早かった!日本最初のマラソン大会 ~安中藩の「安政遠足」

2019.05.10

 

旧中山道の杉並木が残る安中市街を仮装したランナーたちが走る。

毎年5月第2日曜日、群馬県安中(あんなか)市では一風変わったマラソン大会が催される。名づけて「安政遠足~侍マラソン大会」。遠足は「えんそく」ではなく、「とおあし」と読む。マラソンコースは「峠コース」(28.97㎞)と「関所・坂本コース」(20.15㎞)の2コースがあり、あわせて約1800名のランナーが参加する。 一風変わっているというのは、大半のランナーが思い思いの仮装で参加していることだ。甲冑姿など時代物の仮装をしている人もいれば、アニメやゲームのキャラクターに扮装した「コスプレ」ランナーもいる。

黒船のせいで走らされたサムライたち

今年で第45回を迎えるこのマラソン大会は、いまから164年前の安政2年(1855)に、安中藩で行なわれた「遠足」に由来するものだ。主催したのは安中藩主の板倉勝明(いたくらかつあき/45歳)である。

時は幕末。嘉永6年(1853)に米国使節のペリーが浦賀に来航し、幕府に開国を迫った。この「黒船来航」によって国内は大きく動揺し、人びとはいつ外国との戦争になるかわからないという緊迫した状況下に置かれた。

安中藩は江戸と京を結ぶ中山道が通り、交通の要衝である碓氷関所の警護を幕府から命じられていた。世情不安のなか、板倉勝明は藩士の心身鍛錬の必要を感じて、安中城から碓氷峠まで約30㎞の道のりを競争させる「遠足」を行なうことにしたのである。

碓氷関所跡。東海道の箱根関所と並ぶ重要な関所だった。

イカサマランナーは切腹覚悟?

「遠足」は、安政2年の5月19日から6月上旬にかけて、50歳以下の藩士たち96名を6~7名のグループに分け、数日おきにレースが行なわれた。コースは安中城を出発して中山道を走り、碓氷関所を経て、国境(くにざかい)の碓氷峠にある熊野神社がゴールだ。安中城が標高150mで、熊野神社が標高1200mなので、高低差1050mの山道をゆく難コースである。

 藩士たちに課せられたルールは、走る日を藩に届け出たからには暴風雨でも決行し、中継地点の碓氷関所とゴールの熊野神社で到着時間を記した書付(かきつけ)をもらうことだった。そして、足が痛くなって到着が遅れるのはやむをえないが、途中で馬や籠を利用したら厳罰に処するというもの。イカサマは武士の恥と心得て、はいずってでもゴールしろということだろう。

安政遠足のゴール地点となった熊野神社。到着した藩士たちには餅やきゅうりもみなどが振る舞われた。(写真:mr.アルプ / PIXTA)

江戸のサラリーマンも気づかいが必要

この「安政遠足」を記録した史料には、参加した藩士の名前、着順とおおよその到着時間が記されており、個人の正確なタイムはわからない。ただ、藩士たちには身分の上下などを気づかう事情があったようだ。上役より早く到着してしまったので、記録係に「遅い時間で記録してほしい」と頼みこむ者がいたりして、現代にも通ずる江戸時代のサラリーマン事情をうかがい知ることができる。

こうして開催されたサムライたちのマラソン大会は、アテネで開かれた第1回近代オリンピックに先がけること41年前であった。藩主の板倉勝明が「第2回遠足」を計画していたかどうかはわからないが、2年後に亡くなったため、ふたたび開催されることはなかった。

安中市街にある安中城址には「安政遠足」の記念碑が立つ。(写真:KASA-HIRO / PIXTA)

現在行なわれている「安政遠足~侍マラソン大会」は、安政遠足保存会と安中市の主催で、「勝ち負けにこだわらず楽しく走りきる!?」を大会の特徴にかかげ、町をあげての一大イベントとなっている。

今年の「安政遠足~侍マラソン大会」のエントリーはすでに終わっているが、観るだけでも十分に楽しい「時代絵巻」(?)といえるだろう。また、「安政遠足」をもとにした映画「サムライマラソン」(主演:佐藤健)も公開中だ。

構成/内田和浩

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