1973年生まれ。旅、アウトドア、DIY、田舎暮らし、家庭菜園などのジャンルで活躍するフリーライター。これまで延べ3年3カ月かけてオートバイで世界一周したほか、自転車ではアラスカ、フィリピンを野宿ツーリング。2011年から茨城県筑波山麓の農村で田舎暮らし。自宅のセルフビルドや野菜づくりなど、できることは何でも手づくりの生活を実践中。著書に「キャンプの基本がすべてわかる本」(枻出版社)、「野菜づくりを基礎から学ぶ 庭先菜園12ヵ月」(実業之日本社)、「ニワトリと暮らす」(地球丸)、「菜園DIY入門」(地球丸)など多数。 田舎暮らしhttp://www.wadayoshi.com/
暮らし半分、遊び半分の“つくる暮らし”を目指して
茨城県筑波山麓の農村に暮らして8年になる。この時期、家の前に広がる田んぼは半ば稲刈りを終え、もう1か月もすればカキ畑がオレンジ色に染まる。集落は筑波山から連なる標高300mほどの山を背負い、近年殊に増えたイノシシが山の麓の農家を困らせている。
この里山に住む以前、私は東京駅まで電車で20分ほどの住宅地で、マッチ箱のような小さな借家に暮らしていた。雑誌のフリーライターという仕事柄、出版社との打ち合わせやら、何やらで、都心に出やすい場所のほうが仕事をしやすかったからだ。ただ、窓を開けても隣の家の壁しか見えないような住宅地にいつまでも住むつもりはなかった。
私は“つくる暮らし”がしたかった。家も、食べ物も、エネルギーも。といっても自給自足を目指すほどの覚悟はない。そもそも、今の日本の社会で自給できることなんて高が知れている。それでも田舎で広い土地があれば畑で野菜をつくり、暮らしに必要なものを木や鉄などでこしらえ、暖房や煮炊きに薪を利用するくらいはできる。なるべくお金をかけず身の回りのものをうまく利用し、頭と体を使って自分たちで生活を作っていく、というのが面白そうだと思った。いつでも広い景色の中にいたかったし、庭で自由に焚き火もしたかった。それから私は仕事の合間など時間があるときにインターネットや田舎暮らしの情報誌で物件を探すようになった。
資産価値限りなくゼロの家
いろいろ物件を見ていると、私の限られた予算で入手できそうな物件の相場が少しずつみえてきた。そして、場所、土地の広さ、建物の状態などを考えると「敷地300坪以上の古民家」というのが目安になった。空き家が増えすぎて問題になっているように、田舎には買い手を待つ格安の中古物件が山ほどある。無償譲渡という0円物件だって珍しくはない。とはいえ、安ければ何でもいいというわけではない。
遊び半分でもささやかな自給的暮らしを目指していたのでなるべく広い土地が欲しかった。その最低ラインが私の中で何となく300坪だった。
家は古民家にこだわった。安っぽいサイディングの壁やベニヤのフローリングを張った高度経済成長期以降の大量生産の家は住む気になれない。そういう家の寿命は30年という。使い捨ては嫌いだ。
その点、日本の伝統的な軸組構法で建てられた古民家は、地域の山から切り出した木を材料にして何世代にもわたって家族が住む家として建てられる。現代住宅は新築のときはきれいだが、数十年後にはただの古い家になってしまう。しかし、古民家は時を経て味わいを増し、よりよくなっていくことができる家だ。だから程度のいい立派な古民家は築100年でも安くはない。ただ、大きな修復を要するボロ物件だと、そのナチュラルマテリアルズのヴィンテージホームも資産価値は限りなくゼロになる。土地の値段にもれなく家がついてくると考えていい。
それで、私は自分がやりたいことをするための日当りのいい土地と、そのままでは住めないけれど何か面白いことが起こりそうな小さな古民家を手に入れた。
完成されていないから面白い
私が手に入れたのは昭和21年築の古民家で、そう古くない時期に瓦やサッシ、畳などを新しくしたようで見た目はとてもきれいだった。地主はすぐ隣にハウスメーカーが建てた一般住宅に住んでおり、この古民家はしばらく空き家になっていたが、数年前に母屋の別棟にするつもりでリフォームしたものの、結局使うことなく売りに出したらしい。
この家はちょっと傾いている。床にボールを置くと転がり出すくらいの傾斜があり、遊びに来た友人は「ここにいたら気持ち悪くなる。こんな家には暮らせない」と言った。
でも、この家にはもっと大きな問題があった。それは水がないことだ。トイレも風呂もキッチンもない。この家は8畳の和室が2部屋と土間に板張りの床を張った12畳の部屋がある小さな古民家だ。かつては、土間に台所と風呂があって、縁側の突き当りがトイレだったらしいが、数年前のリフォームでそれらはすべて撤去されている。庭に古い井戸があるが、深さ8mほどしかない浅井戸で鉄分の多い土壌のためか水は鉄臭く、バケツに貯めてしばらく置いておくと褐色に染まって衛生的にも生活に使えるものではなかった。
この家は、当初いろいろと問題があったが、そのままでは住めないということに、むしろ私はワクワクしていた。敷地は300坪あるが、そのときはただ雑草に埋もれた野原でしかなかった。何も描かれていない緑のキャンバスを前にしている気分で、庭を見ていると創造力ばかりが膨らんだ。
私が田舎暮らしに求めたのは、その土地に自分たちで生活を作り出すことだ。家も、庭も完成されたものだったら、そこがどんなに素晴らしい景色が広がるカントリーサイドでも私にとってはつまらないものになってしまっただろう。このときはDIYも、ガーデニングも、薪割りも大した知識も経験もなかったが、それはきっと楽しい遊びになるだろうという予感はあった。
終わりがない“つくる暮らし”の楽しみ
8年はあっという間に過ぎた。ちょっと傾いた古民家は冬になれば薪ストーブが燃える快適な住まいとなり、その後、私の書斎に変わった。何もなかった庭にはそれぞれ用途を持ったいくつかの小屋とセルフビルドした家族の新たな住まいが建っている。DIYほぼ未経験だった私は、8年で家一軒を建てられるくらいの自給力を持ったのだ。自分で言うのもなんだが、これはちょっと誇っていいと思っている。
畑には季節の野菜が実り、ニワトリは毎日新鮮な卵を産んでくれる。薪棚には肉体労働の対価である冬の燃料がぎっしり3年分。薪ストーブの赤い炎は寒い冬を至福の時間に変えてくれる。予感は間違っていなかった。田舎暮らしは想像していた以上に愉快だ。