当時63歳。仕事を辞めてYouTuberになりました
今ふうに言えば「ADHD」ですが、私の子供のころは「おっちょこちょい」と言われていました。集中力が続かず、頭の中も部屋の中も、いつもごちゃごちゃしています。
収入源もひとつに絞れず、薄く広くちょびっとずつ稼いでおります。他に年金もちょっと。あとはYouTubeなどもやって、薄い収入の足しにしています。
ウリウリばあちゃんの楽しい田舎暮らし【YouTube】YouTube「ウリウリばあちゃんの楽しい田舎暮らし」は今から8年前、63歳の新春から始めました。70過ぎても、ごちゃごちゃといろんなことをやっている人間です。
当時も忙しく山梨県北杜市の「体験工房」で、染め物の講師をしていました。今と同じ場所に住んでいましたが、ほぼ毎日工房に通っていたので、森暮らしを楽しむ余裕もありませんでした。
ある日突然、「私、YouTuberになる!」と宣言して、えいやっと体験工房をやめました。


宣言したからには、始めねばなりません。当時発売されたばかりのiPhone Xで撮影し、その中のアプリで編集して動画をアップしました。
9年近く続けている割に、撮影も編集もあまり上達していません。当時はもっとひどくて、写って(映って)いて欲しいものがフレームの中に入っていない状態でした。
私は「このフレームの外側に綺麗なお花があるんだぞ」と想像できるんですが、世間の人たちはそこまで優しくありません。試行錯誤を重ねて、ようやく登録者6万人を超えることができました。

現在71歳、日々是好日。まだまだ青春です
今は“ババアの青春”を、森の中の田舎暮らしで謳歌していますが、20代の頃は映画の衣装の仕事をしていました。もともと着物が好きで、着物の仕事をしたいと思っていましたが、なぜか撮影所で衣装係をしていました。山口県出身の田舎者にとって、東京での映画の仕事はキラキラした世界で、本当に毎日が非日常のようでした。
しかし、非日常も毎日続けば日常になります。ならば、地に足の着いた本当の日常を送る必要があると、思うようになりました。
日本の昔ならではの家で、昔から受け継がれた暮らしをすること。囲炉裏や五右衛門風呂がある茅葺きの家で、味噌を作ったり漬物漬けたり、そして機織りをして暮らす――そんな自分の“本物の日常”の姿を思い描いて、ワクワクしていました。
今思えば、“本物の日常”というのは、20代当時の私の青い考えだったと恥じております。
原点は、囲炉裏と五右衛門風呂とカマドのついた古民家
東京暮らしに満足した私は、次なる夢「田舎家で日本の昔ながらの日常をこなしつつ、機織りをする私」を実行すべく、多摩カスリを八王子の職人さんたちから習いました。 数年後、なんとか自分でカスリの着物を織れるようになったので、“茅葺の家で機を織る私の日常”を探し始めました。
「富士急線沿線、都留辺りには、わりと古民家がある」当時付き合っていた今の夫が助監督をしており、撮影場所さがしにそのあたりによく行っていたようで、教えてくれました。

途中省略しまして、めでたく私は、大月にあった囲炉裏と五右衛門風呂とカマドのついた、古民家と言うよりただの廃屋のような家に住んで、機織り生活を始めました。
20代女子のひとり暮らし、しかもボロボロの古民家。当時は必死でまわりも見えていませんでしたが、今思うと「よくひとりでやったなあ」と呆れたり感心したりしています。その家での暮らしの話は多すぎてキリがないので、この辺で。

その後もいろいろありました。子どもがひとり生まれました。相変わらず、パートナーの夫とは別居生活を続けていましたが、子どもが小学校にあがる前に「今の家をリノベして住むか」「新しい家を建てるか」と言うことになりました。
当時はバブルの名残が続いていました。お金もないのに、世間の波に乗って、能天気に家を建ててしまいました。
その辺の話も割愛して、12年間の古民家機織り生活に区切りをつけました。次は“森の中の私”というイメージが頭にぶわーっと浮かんできて、家を建てることにしました。そして今の家が完成。

それから33年経ち、バブルを引きずった我が家も、すっかり「古民家風」になってきました。
なにより「作ること」が好きだから
私は布仕事やYouTubeの撮影・編集をこなしつつ、ケチだし、人に任せるのも好きじゃありません。なにより「作ること」が好きです。
使うもの、修理できるものは、不器用でもできる限り自分でやりたい。というより、想像力が半端なくて、たとえば、家の汚い壁が綺麗になった状態や、木でできた手作りスプーンの映像が勝手に頭に浮かんできます。そうすると、できるできない関係なく動き出してしまいます。

しかも、頭の中はあっちゃこっちゃ、ぐちゃぐちゃです。壁はまだ完成していないけど、出来上がった姿は頭の中にある。金継ぎは道具を買っただけですが、頭の中に割れた茶碗が金継ぎで修復された姿もあります。
なんなら、自作のスプーンと金継ぎした器でカレーを食べている姿まで、ちゃっかり想像しています。まだできていない空想、想像、妄想がうじゃうじゃとうずいています。

今、頭の中の大半を占めているのは、桜の枝でできたスプーンです。枝を切ったので、たくさん材料があります。乾燥した木を細工するのは素人には扱いづらくなるので、木が乾かないうちにスプーン作りを優先しています。
手持ちのナイフと丸のみで削っていましたが、知人から「フックナイフ」というものが良いと聞きました。左利きの私は、早速左用のナイフを購入。「自宅用のスプーンは全部作る」と意気込んでいます。
熱しやすく冷めやすい私の気持ちがどこまで続くかわかりませんが、自作のスプーンで食べることを想像しつつ、できるところまでやりましょう。ついでに大小のものや、お客さん用にもできたら~なんて、妄想はどこまでも広がります。
ただし、刃物を持つとかなりの確率で怪我をする私です。指、切らんように気をつけます。
スプーン作りに夢中になっていたはずが…

スプーン作りと同時に「まな板も作りたい」と思い始めていました。
今や、まな板を作ることが、頭のほとんどを占めています。スプーンはどこ行ったんじゃとは思いますが、仕方ない、私の気持ちに従いましょう。
たまたま読んだ『木の教え』(ちくま文庫)の中に、カンナや縦引き鋸が日本に伝わる室町以前は、楔(くさび)と釿(ちょうな)で板を作ったという記述を読んでしまいました。この本を読む前に、柳の丸太をチェーンソーで縦引きして、電気サンダーでまな板を一枚作りました。

しかし、私は大工の祖父の形見の釿(ちょうな)を何十年も使わないまま、ずうっと持っていました。薪作りにいつも楔(くさび)を使用しています。なんと、室町以前の板作りの道具がそろっているじゃないですか!
じいちゃんの釿(ちょうな)、ようやく出番です!
釿(ちょうな)と楔(くさび)でまな板作るしかないですよね。 ひとつ、小さいまな板を作りました。面白くて、今はどんどんまな板作りにハマってます。
高級まな板が作れると言うことで、木こりにして樹木医できのこ鑑定士の知人にいただいた柳の丸太も、まだまだあります。高級まな板作りに妄想マックスの私は、日夜まな板作りに励んでおります。いえ、妄想をいっぱい膨らませております。
しかし、飽きっぽい私です。3枚作れば、きっとまな板作りも飽きているでしょう。しかもひとり暮らし、以前から使っているものも数枚あります。ちょうど良き塩梅で、飽きてくれればありがたいとも思っています。

以上、まずは自己紹介。ウリウリばあちゃんでした。皆さん、長いお付き合いをよろしくお願いいたします。
※文、写真/ウリウリばあちゃん
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