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第一回「コモン・フォレストジャパン」のプロジェクト
斎藤幸平(さいとう・こうへい)

1987年、東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学研究科博士課程修了。専門は経済思想・社会思想。『Karl Marx’s Ecosocialism』(邦訳『大洪水の前に』(角川文庫刊)は世界9か国語で刊行。日本では『人新世の「資本論」』(集英社新書刊)が2021年に新書大賞を受賞し50万部のベストセラーに。ほか『僕はウーバーで捻挫し、山で鹿と闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA刊)など著書多数。若手の論客としてYou Tubeや多くのニュース番組などに出演中。
「そんな状況に少しでも抗うために、何かできないか、ずっと悩んでいた」
都会の暮らしに疲れた、自然を大切に、丁寧な暮らしをしたい、子供には、ゲームや塾ばかりでなく、自然にも触れさせたい。そんな想いから、アウトドアにたどりついた人も多いだろう。何を隠そう、私もそのひとりだ。そして今、厚かましくも、こんな連載を始めることになった。
けれども、東京生まれで東京育ちの私は、自然との関わりが薄いまま、大人になってしまった類の人間。完全なるシティー・ボーイである。でもだからこそ、福島の原発事故が起きたときには、自分たちにとって当たり前の日常を送ることの「真のコスト」が、地方に押し付けられ、取り返しのつかないことが起きてしまったことに愕然とした。もっと未来や地球のことを考えなければいけないと、反原発デモに参加したりしながら、環境問題について勉強をした20代だった。
そんななか、コロナ禍の2020年に出版した『人新世の「資本論」』は、予想外の大ヒットになった。いきすぎた資本主義は、地球環境を破壊し、気候変動やパンデミックを引き起こす。これを食い止めるためには、〈コモン〉をもっと増やしていかないといけないと訴えた、それが大きな反響を生んだのだ。
〈コモン〉とは何か。ひと言で表現するなら、誰のものでもない共有財産である。資本主義社会では、市場の範囲がどんどん広がっていき、なんでも貨幣でやり取りされる商品になる。それが、洋服とかスマホならいいだろう。けれども、本来は誰のものでもない水や森林が商品になったらどうか。
所有者は森林を切り開いて、ゴルフ場にして、金儲けをしようとするかもしれない。あるいは、湧き出る水もミネラルウォーターにしてしまう。これは資本主義の論理からすれば、合理的だ。けれども、森林の豊かさは河川や海の魚たちにまで影響する。地下水は繋がっているから、近隣住民の井戸が干上がってしまうかもしれない。そうやって、みんなのものであった〈コモン〉が独占されていくなら、経済は成長しても、人々の生活や自然環境は劣化していくことになる。ここに矛盾があると喝破したのは、ドイツの思想家カール・マルクスであった。
対案としてマルクスが考えたのは、あらゆるものが商品化されることで壊されてきた〈コモン〉を、再び増やしていくという道である。特に、誰もが必要とするものについては、脱商品化して、社会の共有財にしていく。コモンの領域は、市場競争や金儲けとは違う論理、たとえば、相互扶助とか信頼、ケアなどが支配的になる。コモンの管理は、国家がやる必要はない。もっと水平的で、市民参加型のやり方を模索しよう。身近な〈コモン〉を増やすことができれば、私たちは、資本主義から半身になって、生活できるようになる。アウトドアにも、本来、そのような理念はある。
とはいえ、資本主義は手強い。それは、昨今のキャンプブームを見ればわかる。キャンプの本当の目的は、自然のなかで豊かな時間を家族や友達と過ごしたり、自然との共生を学ぶこと。ところが、すぐに、キャンピングカーはこれがいい、新しいテントはこれ、インスタ映えする流行りのスポットやアクティビティーはこれ、とすぐに消費主義と金儲けに囚われてしまう。そして、キャンプブームが一段落するやいなや、新品同様の商品が大量にメルカリに出品される。事業再構築補助金を利用して膨れ上がったグランピング施設も、今後は閉鎖ラッシュだろう。すっかり資本主義に呑み込まれているのだ。
ここにあるのは、現代社会で暮らす私たちにとって、自然との関わり合いを取り戻すのが著しく困難になっているという事実である。つまり、消費活動を通じてしか、自然と関わることができなくなっているのだ。マルクスはそれを「疎外」と呼んだ。本来、人間は、自然との関わり合いなしに生きてはいけない。けれども、資本主義のもとでは、自然から切り離されて、疎遠なものになってしまう、とマルクスは批判したのだ。
実際、私たちは、貨幣と商品なしには、自然と関わり合いを持つことができない。スーパーで買う野菜や魚、ネットで買うキャンプグッズ、滞在費を払うリゾートホテル。豊かな自然、有機栽培、エコとかいいながら、大量のプラスチックや殺虫剤。それではいつまで経っても、環境問題は解決しない。
そんな状況に少しでも抗うために、何かできないか、本を出してからも、ずっと悩んでいた。そのひとつの結論が、「山を買う」という決断だった。場所は高尾山。もちろん全部じゃないし、裏高尾なので、小仏口から入って1時間くらい歩かないといけない。でも、3.5ヘクタールなので、それなりに大きな土地だ。
これだけだと、なんか金持ちの道楽みたいに思われるかもしれない。印税で買ったのか、とかいわれそうだ。誤解しないでほしいが、別荘用の土地とかじゃない。そもそも個人所有の土地ですらない。仲間たちとみんなで山を買ったのだ。山をみんなで共有して、再生していく。それが私が理事長を務める「コモン・フォレスト・ジャパン」のプロジェクトである。
このプロジェクトが始まったのは、3年前。きっかけは、福岡県糸島市で当時市議会議員を務めていた藤井よしひろさんが、私の本を読んで、連絡をくれたときにまで遡る。藤井さんが、高尾山で一緒に〈コモン〉を作りませんか、と誘ってくれたのだ。

よく知られているように、日本の国土は約7割が森林である。だが、その多くは戦後に木材利用のために植えられたスギやヒノキの人工林。それが今、木材価格の下落とともに、管理もされずに荒れ果てた状態で放置されている。山が注目を浴びるのは、花粉、クマ、メガソーラーの土砂災害。明るい話は全然ない。でも、身近な山に登ってみると、季節ごとに変化する豊かな生態系に驚かされる。
今、「コモン・フォレスト・ジャパン」では、現地で月一回の活動を行なっている。自然保護のためには、人間の手が入らないようにすればいいわけではない。適宜、木を切ったり、水の流れを調整したりする必要がある。人間が森との関わり合いを取り戻すことが、山の再生につながるのだ。
これがいわゆる自然保護のためのトラスト運動との違いになる。トラストによる開発阻止の場合、その後、地域の人はそのエリアと何の関わりも持たない。要するに人間が入れないようにして、自然保護を行なうからだ。けれども、それでは、人間の自然からの疎外は、続いたまま。だが、管理をしないと関わり合う主体や関心が生まれてこない。他人任せになってしまうのである。

また、〈コモン〉としての森は、里山とか二次林とも違う。田んぼ、溜池、河岸のような関係ではなく、別に農業や林業のような特定の目的と結びついている必要もない。キノコや木の実を採ることはあるかもしれないが、別にそれが主目的ではない。目的は、自分たちで「持続可能な利用」を行なう場を作ることだ。そうやって、感性やスキルを磨きながら、コミュニティ作りを目指す。それが、「コモンの自治」である。
もちろん、私個人に山を管理する知識があるわけではない。現場のリーダーは、長年高尾山の環境保全活動をしている「の会」代表の坂田昌子さん。坂田さんは、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)高尾山トンネルの建設時、高尾山を守る環境保護活動をして、今も生物多様性の保護活動をしている。森のことも、土壌のことも、生き物のことも全部説明できてしまう大先輩。
坂田さんと山に入って、都会に暮らす自分がいかに自然の繋がりを想像する力を失っているかを痛感した。高尾山に降った雨は土に浸透して、15年かけて沢から湧いてくるのだという。だから、とても澄んだ水が出てくる。それが高尾山の生態系を支えている。でも、この水の動きは目に見えず忘れられている。圏央道を掘ったときも、地下水は問題になったけれど、都民の大きな関心を引き起こすことはなかった。
私たちの土地にも沢がある。ところが、湧き出た水は落ち葉と倒木によって堰き止められてしまっている。すると、沼みたいになって、澱んでしまう。だから、不要な落ち葉や石を取り除いて、水の流れを回復してあげる。そうすると、澄んだ水が森全体に浸透していくような感じになる。
また、山に私たちが入っても、斜面が崩れていかないようにするために、「枝がら」を作る。「しがらみ」は今では悪い意味でしか使わないが、枝がらは杭を打って、枝同士を絡ませて、落ち葉を敷き詰める昔ながらの土留めだ。枝や葉はゆっくりと分解されていくが、同時に土壌微生物の働きによって、土を固定化し、土中環境を整えることで植物の根を張らせて、斜面崩壊や土壌流出を防ぐのだという。
でもそんな伝統知を気にかける人は今ではほとんどいない。斜面はコンクリで固められ、水は暗渠を流れている。だが、そうやって外なる自然との繋がりを失えば、内なる自然も失われていく。都会でも、虫や落ち葉を嫌がり、街路樹を強剪定したり、除草剤を撒き散らす。ますます自然から疎外されていき、整備された美しい景観だけを自然だと思い込む。人間にとって都合のいいものだけを作るのではなく、自然との関係を繋ぎ直す。会員に限らず、そのようなきっかけを提供する場にしてきたい。
そんな〈コモン〉づくりは、今、九州の糸島、関西の熊野、3か所にまで広がっている。もちろん、現在進行形の環境破壊に比べれば、ほんのわずかな抵抗にすぎない。
それでも、そんなきっかけ作りを通じて、同じような試みをしたりする人が少しでも増えてほしい。そうやって、見えない自然をより想像できるようになる力を育みたい。もちろん、BE-PALの読者の参加も大歓迎だ。私もこの連載をきっかけにもっと色々な場所に行って、アウトドアの歴史も学びたいと思う。

そんなわけで、私も1年ぶりにドイツから帰国し、今回は家族も巻き込んで裏高尾に行ってみた。妻と娘は初めての高尾だ。九月の高尾といえども、気候変動の猛暑で30度Cを超えて閉口した。汗だくになりながら、自分たちの区画に立ち寄ってから、その後は、頂上まで。文句を垂れる娘と対照的に、息子はタフでずっと喋り倒し、山頂ではコーラを飲んでご機嫌だ。コーラなんて資本主義の象徴だけど、山だからいいじゃないかとおおらかな気持ちになる。こうやって私が子供のときにはできなかった経験を積んで、彼らなりの感性を育んでいってほしい。

都心からわずか1時間。シイやカシなどの照葉樹とブナやナラなどの広葉樹に覆われた高尾周辺の森は多様性にあふれたフィールドでもある。

ドイツから帰国したばかりの斎藤ファミリー。町の暑さを逃れ、家族全員で標高727mの景信山の山頂へ。山は誰にでも平等に喜びをもたらしてくれる。

軒先で売られていた
自家製梅干し。
※構成/滝沢守生 撮影/黒石あみ(小学館)
(BE-PAL 2025年12月号より)







