
豪快轟“沈”なバトルの模様を描いた雑誌『BE-PAL』連載でお馴染みのサラリーマン転覆隊。日本中の海山川でチャレンジを続ける、日本で一番過激でヘタなカヌーチーム(自称)です。
そんな転覆隊で、「転覆隊にやってほしいチャレンジ」「転覆隊と一緒にトライしたいアウトドア遊び」のアイデアを大大大募集します!皆さまの回答から本田隊長がアイデアを吟味し、採用された方には上写真の豪華プレゼントをお贈りします。
転覆バトルに参加できちゃうかも?な、特別なキャンペーン、皆さまのアツいアイデアをお待ちしております!
過去のおバカバトルBEST3をプレイバック!
これまでに国内では100以上の川を下り、海外の川もアフリカからカナダ、南米まで遠征した転覆隊。しかし、バトルの舞台は川だけではありません。ママチャリでお遍路を巡ったり、「悪ガキ道場」と題して隊員の子どもを率いて山を登ったりと、その活動は多岐にわたります。
今回は、そんな数あるバトルの中から本田隊長が厳選した、特に“おバカ”すぎた若かりし頃のバトルをご紹介!隊員たちの汗と涙と笑い、そして反省の歴史をとくとご覧ください。
第3位:吾妻連峰マウンテンバイク
その当時、転覆隊はマウンテンバイクにはまっていた。富士山大滑降、雲取山大滑降を成功させ、さぁ次は何処かと地図を開いて夢を見ていた。そして目をつけたのが吾妻連峰である。山地図の等高線を見てこの程度の傾斜ならば下れるはずだと確信した。

ブナの葉が色づき始めた季節、僕らはデコ平から歩き始めた。マウンテンバイクのフレームが肩に食い込んで痛い。露に濡れた熊笹を掻き分けて登っていく。
「重いよぉぉ」「まだぁぁ?」「あと何時間??」などという隊員たちの問いかけには「最後は報われるぞ! 山頂からの滑走は気持ちいいぞぉぉ~」と答えた。
そして、4時間後、西吾妻山頂から見た風景に愕然としてしまう。見渡す限りの岩野原。まるで鬼押出の溶岩平原。マウンテンバイクでは1mも走れないだろう。

アダQが僕に尋ねてくる。「どうしてこの山を選んだんすか⁉」「なんとなく……」「誰かが教えてくれたとか何かの雑誌で紹介されていたとかじゃないんですか?」「なんとなく……」いい加減な僕の計画に呆れ返る隊員たち。
木道で出会ったシルバー登山隊は僕らを見て拍手喝采。「キャハハハハハッ、あんたたち、自転車担いでどうしようっていうの?」「若いっていいね。バカなことできて!」
返す言葉もなかった。担いできたマウンテンバイクはただの鉄鎖となった。首にがっしり留められたマウンテンバイクがキリストの十字架のように感じる。
僕らは結局、担いできたマウンテンバイクを担いだまま降りるハメになった。その日は丸一日懺悔の旅だ。アダQがしみじみと言う。「また隊長に騙された」
「これは旨いビールを飲むための試練だ」と僕は微笑み返すしかなかった。
第2位:四万十川ナイトカヌー
転覆隊には発足当時から「同じバトルは2度やらない」という鉄則がある。ほとんどのチームが自分たちの遊び場所を決めている中で、転覆隊は毎回違う川へ山へと出かけていく。人生は短いので同じことばかりやっているのはモッタイナイと思っているからだ。
ところが時には意に反して同じ川に行かなくちゃならなくなることもある。そういった時、僕は方法を変えたり装備を変えて変化をつけるのである。
「四万十川ナイトカヌー」もそのうちの1つだった。3度目の四万十川遠征が決まった時、今回は夜下るしかないと思っていた。そして、土佐大正の河原で焚き火の周りでまったりしている隊員たちにいきなり宣告した。
「それじゃそろそろ出発しよう!」「はぁ? 何処に?」「ナイトカヌーだっ!」「はぁ? 冗談でしょ?」
隊員たちはまるで僕を無視。「さぁ、ウエットスーツに着替えろ!」「止めようよそんなこと」微動だにしない隊員たち。「どうしたんだ、みんな!!」

この計画は失敗か?と思ったその瞬間、チャーミー坂井が叫んだ。「隊長一人で行かす訳にはイカーン!」この言葉には感動してしまった。結局、このひと言に触発されてさらに2名の隊員が手を挙げてナイトカヌーに旅立ったのだった。
ナイトカヌーをやって初めてわかったことだが、川面ではヘッドライトは3mほどしか届かない。だから瀬の状況が見えないままいきなり激流に突入する。波は下流からだけじゃなく岸からも押し寄せてくるのでときどきどちらが下流なのかわからなくなる。
闇から響く荒瀬の音。ヘッドライトの中で赤門が轟沈していく。蛙たちの湿り気のある鳴き声が鵺(ぬえ)のように聞こえる。

夜のカヌーはなにもかも恐ろしかった。土佐昭和の町の灯が見えた時、パリの光を見たリンドバーグの気分になって「着いたぁ~、生きてて良かったぁ~」と胸を撫でおろしたのだった。カヌーはやっぱり明るい時にやるのがいい。当たり前のことがしみじみわかったバトルだった。

第1位:富士山樹海横断計画
富士山の樹海には数多くの不気味な言い伝えがある。中に入れば磁石はぐるぐる回り方向感覚がわからなくなるとか、自殺者の遺体が山ほどあるとか……まことしやかな恐ろしい話がいくつもある。
僕はそれらはみんなオカルトファンの作り話だと思っていた。そしてその真実を確かめるために富士山樹海横断計画を宣言した。
富士山樹海は直線距離にしてわずかに4㎞ほどしかない。どんなに迷っても出て来れるはずだ。
そして、小雨降る秋のある日、6人の転覆隊は富士山樹海への突入を敢行したのだった。踏み入れた途端に張り巡らされたビニール紐に不穏な空気を感じた。そして、それから先の出来事は……僕は決して語らない。このバトルは転覆隊史上最凶のバトルとなって封印された。脱出後、樹海に土下座して謝ったことだけはお伝えしておく。
バカバトルを振り返ってみると本当に無計画で呆れたものばかりだったと思う。しかし、その全てのバトルが今
でも語り草になっている。そしてどれもこれもが最高の酒のおつまみだ。
現代はこうしたバカパワーが不足している気がする。遊びでも仕事でもバカバカしいけどやってみようというノリがなくなっている。世の中を元気にしてくれたあらゆる映画、芸術作品、建造物、イベント、小説……それらはみんなあり得ないバカな発想から生まれたのだと僕は思う。バカパワーとは考えるよりも先に動いてみる力だ。
さぁ、そろそろ次のバカなバトルに旅立ちたい。大自然に飛び出したくてうずうずしている春なのだった。
(BE-PAL 2021年5月号より抜粋)