その土地だからできるビールがある。飲めるビールがある。ローカルを大事にするブルワリーのビールを飲みたい。山梨県の清里で、1997年から下面発酵のクラフトビールを造りつづける八ヶ岳ブルワリーを紹介する。
清里のランドマークROCKの地下のブルワリー
1971年、山梨県の北巨摩郡(現北杜市)の八ヶ岳山麓の高原に、喫茶店ROCKが開店した。清里に初めてできた喫茶店。その地下にあるのが八ヶ岳ブルワリーだ。
70年代のはじめといえば、日本はまだ成長期。国鉄が「ディスカバージャパン」キャンペーンを始め、観光ブームが生まれた。清里は女性誌に取り上げられる人気抜群の観光地になった。
喫茶店ROCKは、清里のシンボル「清泉寮」とともに清里のランドマーク的存在になっていった。ちなみに清泉寮は、1930年代、清里の父と呼ばれるポール・ラッシュ博士がキリスト教の研修施設として建てた施設。広い敷地に教会や牧場、宿泊施設が点在する。
「リゾートには文化が必要です。お酒はコミュニケーションツールとしてなくてはならない文化のひとつです」
ROCKの創業者であり、その運営会社「萌木の村」代表の船木上次さんは、ブルワリーを設立した理由をこう話し出した。
山梨はお酒の宝庫。ビールの文化も育てたい
山梨は日本のワイン発祥の地であり、現在では国際的な評価も受ける銘醸の地だ。清里から中央線をはさんで南には、サントリーの白州蒸溜所がある。古くからの酒蔵もある。
「山梨はお酒の基地。ここにビールが加われば最高のリゾートになる」。
1994年に酒税法が改正されると、船木氏はビール醸造所づくりに取りかかった。
清里は1930年代に開拓された比較的、歴史の浅い町だ。奥多摩湖ダム建設でダム湖に沈む小菅村や丹波山村の人々が多く移住してきた。先述のポール・ラッシュ博士は、八ヶ岳と南アルプスに抱かれ、遠くには富士山、秩父山地まで見晴らせる清里の自然に惚れ込んで、米作りに適さない寒冷の地に農業や酪農の開拓支援を行った。
そんな歴史をもつ清里は70年代以降、観光地として全国に名を馳せる一方、「清里独自といえる地場産業は育っていなかった」(船木上次さん)。
バブル期を過ぎると観光客は去った。かつて“原宿”のように賑わった村に残ったものは何だったのか。
現在のROCK店長、船木俊さんは1997年のブルワリーの創業を「清里にはペンションはたくさんあったけれどコレと言える特産品がまだ育っていませんでした。“清里に来たらおいしいビールが飲める”。そう言われるものを作りたかったのでしょう」と話す。
1990年代後半、地域の特産品になれと期待された地ビールが日本各地に生まれた。多くは2000年代に退場していった。値段と品質が釣り合っていなかったことが主な理由だろう。
八ヶ岳ブルワリーは生き残った。
実は、創業当時から八ヶ岳ブルワリーはビール好きから一目置かれるブルワリーだった。
それというのも、醸造長がキリンビール『一番搾り』のマイスターを務めた山田一巳氏だったからである。船木氏はキリンビールを定年退職した山田氏に猛烈なラブコールを送って八ヶ岳ブルワリーの醸造長に招聘した。大手メーカーでは実現できなかった「夢のビール」造りに取り組む。どんなビールができるのか、ビール好きからは期待され、注目されていた。
ラガータイプ主体のブルワリーの実力
ビールは使用酵母の違いで、下面発酵タイプと上面発酵タイプに大きく分けられる。八ヶ岳ブルワリーは下面発酵主体の醸造所だ。
下面発酵で造るビールは長い熟成期間を経て「LAGER(ラガー)ビール」になる。大手ビールメーカーがつくるビールの多くはラガータイプだ。そして八ヶ岳ブルワリーの、5種ある定番ビールもすべてラガータイプ。こんなクラフトビールブルワリーは他にない。
現在、日本で600か所以上とされるクラフトビールブルワリーの多くは上面発酵タイプの「ALE(エール)」を主体としている。エールは発酵期間も熟成期間も短い。仕込みから2週間から1ヶ月ほどで出荷される。近年人気のIPA(インディアン・ペール・エール)はその名のとおりエールタイプだ。
一方、ラガーは完成までに時間がかかる。仕込みから1ヶ月から1か月半、もっとかけるものもある。時間がかかるということは、つまりコストがかかるということだ。長期間、安定した品質を維持するために高い技術も要する。そんなわけで、八ヶ岳ブルワリーの「TOUCHDOWN」には他のクラフトビールとはひと味違うブランド感が漂う。
2016年、火災で知ったROCKの使命
クラフトビールブームが盛り上がり始めた2016年の夏、八ヶ岳ブルワリーが入るROCKが火事に見舞われた。一見、被害を免れたかに見えた地下の醸造設備だが、消火の水は地下にも大量に流れ込み、冬の間に損傷が広がった。冬は厳寒の地である。配管が凍結し、破損した。特注の醸造設備だ。修復の道のりは厳しかった。
それでもROCKと八ヶ岳ブルワリーは翌2017年のゴールデンウィークまでに修復を終え、再稼働を迎えた。ROCKのダメージが清里全体のダメージになる。それを知っている地元の工事関係者が冬期を通して修復に当たってくれたおかげだ。ゴールデンウィークは当然ながら大事な稼ぎ時になる。「ウチだけの復活ではない、清里のためという使命感をヒシヒシ感じました」と、船木上次さんは当時を振り返る。
現在の醸造長、名取良輔さんは2016年の春に入社している。入社後わずか数か月で火災に遭い、醸造どころではなくなってしまった。しかし、「日本各地から『TOUCHDOWN、がんばれ』と応援の声をいただきました。うちのビール、こんなに愛されているのか」と、ここで醸造する決意を新たにしたという。
ふつうのサーバーではない。造りたてのビールがよく見えるガラス製のシースルータンクだ。これは今、キリンビールの「スプリングバレーブルワリー代官山」に設置されている仕込みタンクと同型である。
ビールを飲むだけでなく、タンクを見ながら目でも味わえる店。ROCKにとっても「八ヶ岳ビール TOUCHDOWN」はなくてならない顔になった。
サステナブルな庭づくり、ブルワリーとのコラボが楽しみ
あれから7年。八ヶ岳ブルワリーの創業から26年が経つ。今の清里は、かつての若者があふれた観光地ではない。
八ヶ岳ブルワリー、ROCKの運営母体は萌木の村という会社だ。清里をリゾート地として育て上げた中心的な存在である。その萌木の村が10年前から取り組んでいるのが、野草の茂る「Natural Gardens MOEGI」(ナチュラルガーデンズモエギ)という庭造りだ。
1990年からは「清里フィールドバレエ」を設立し、萌木の村の広場に設営した野外舞台で毎年真夏の夜に公演を行っている。30年間も野外公演を行ってきた希有な公演として知られる。この舞台から巣立って、海外の著名なバレエ団で活躍するダンサーもいる。2023年は7月28日〜8月7日の公演予定だ。
このように萌木の村は清里に文化の種を蒔いてきた。今、「Natural Gardens MOEGI」の庭には700種の野草が根を張る。今後、ここで育った野草を活かしたビールが誕生するかもしれない。庭とブルワリーのコラボが楽しみだ。
清里産ホップへの期待もふくらんでいる。八ヶ岳ブルワリーから車で30分ほどの所に、ホップ農家「北杜ホップス」がある。そのホップ畑は清里にも広がり、昨年からブルワリーの職人も栽培や収穫時のお手伝いをしているという。「清里の畑で取れたホップで仕込む八ヶ岳ビール」は夢ではない。
サステナブルという点では、八ヶ岳ブルワリーは以前から醸造過程で出る麦芽カスを堆肥に混ぜて利用している。「Natural Gardens MOEGI」は無農薬の庭。栄養豊富な堆肥が必要だ。落ち葉も、麦芽カスも土に帰る。その土地で野草が育つ。
100年ほど前、この土地に開拓民が入り、農業や酪農で村をつくり、やがて観光客が訪れ、酒が造られるようになった。冬は厳しいが恵まれた自然。八ヶ岳の豊かな伏流水。八ヶ岳ブルワリーは「この土地で生まれる文化の横糸の一本でありたい」と創業者の船木上次さんは話す。
かつて観光地で生まれたビールの多くは消費されて終わった。生き残り実績を積み上げてきたブルワリーは、その土地の特性を取り込み、育て、オリジナリティを獲得しながら、その土地の文化の一翼になろうと、今も工夫と模索を続けている。
八ヶ岳ブルワリー 山梨県北杜市高根町清里3545 萌木の村内
https://www.yatsugatakebrewery.com