写真/'Histoire Naturelle des Poissons'(1828〜49)Smithsonian Libraries所蔵
カラスミはエジプトやギリシャで生まれ、安土桃山時代に日本へ!

ボラの卵巣を塩漬けにして、そのあと塩抜きをして天日に干してつくるカラスミは、ウニやコノワタ(ナマコの内臓を塩辛にしたもの)と並んで日本三大珍味とされる。台湾でも、高級な乾物としてカラスミの専門店が多く並んでいる。


魚の卵巣を加工したカラスミ自体は、古代にエジプトやギリシャで発祥したとされる。古代エジプトや古代ギリシャではどんな魚の卵巣を使ったかは必ずしも定かではないが、ギリシャでは学名の種小名にもなっているギリシャ語でケファロスとよばれるボラの卵巣で、いまでも製造されている。イタリアでは、カラスミと同じような加工品をボッタルガとよび、ボラだけではなく、マグロやカジキの卵巣も使われている。
日本には、安土桃山時代に明国から長崎に伝来した。中国から伝わった当時はサワラの卵巣で製造されており、延宝3(1675)年に高野勇助が長崎県・野母崎で豊富に漁獲されるボラの卵で製造することを案出したといわれている。
台湾のカラスミは、清朝時代に台南周辺で大量に捕れたボラで作ったのが始まりとされているが、当初は塩蔵程度の簡単な保存法であり、技術が大幅に発展したのは日本の加工技術が伝わってからだという。いずれにせよ、沿岸に大量に回遊するボラの利用法として、世界各地でお互いに影響を与えながら発達してきた技術には違いない。


江戸時代には格が高かった魚は、なぜ食べられなくなったのか?
こうして各地で盛んだったボラ漁だったが、なぜ衰退してしまったのか。もともとボラは昔から食べられている重要な食用魚であり、江戸時代にはヒラメやマゴチと同じランクとされていた。


実際にボラを捌いてみると、脂の乗ったきれいな白身で、鮮やかな血合いの赤も美しい。ところが、昭和40年代前半の高度成長期に、工場や家庭からの排水で汚れてしまった河口や内湾部に住むボラは「くさい」といわれるようになった。これはボラの食性が大いに関係している。


ボラは水底にたまった有機物のかけらであるデトリタスや、シアノバクテリアや珪藻などの付着藻類を食べる。水底で摂食するときには細かい歯の生えた上顎を箒のように、平らな下顎を塵取りのように使って、餌を砂泥ごと掻き集める。
餌を砂泥ごと食べる食性に適応して、ボラの胃の幽門部には丈夫な筋肉が発達し、「ボラのへそ」とよばれている。水質汚染の激しかった時期、この砂泥ごと食べるボラの食性のために、汚泥の臭いがボラの身に移ってボラは「くさい」魚になってしまったのだ。

家庭で魚を捌く生活もボラ漁師も激減した今、貴重な郷土料理を発見!
ボラが敬遠されるもうひとつの理由には、ボラは頭部近くに小骨が多く、きちんと処理しないと硬い骨が気になる点があるかもしれない。家庭で丸のままの魚を捌く機会が少なくなり、切り身に慣れると少しの骨もずいぶん邪魔に感じるものである。 これらの原因でボラを食用として賞味するひとが少なくなり、生食するボラを専門に捕る漁師もほとんどいなくなった。
ボラは、海の汚染を明確に味に反映する。高度成長期に比べて沿岸の水質が大幅に改善した現在、たまにボラの刺身を居酒屋で見かけるようになった。10年以上も前に愛知県海部群蟹江町の郷土料理として、ボラの幼魚であるイナを使った「いなまんじゅう」という料理法の存在を知った。

過去に「いなまんじゅう」を名物としていた蟹江町の料理店に何回かお電話したところ、イナを捕る漁師がいなくなったので、もう料理ができないというお返事をいただいて、半ば諦めていた。今回、蟹江町の湯元館という料理旅館に頼み込み、ボラの刺身と「いなまんじゅう」を料理していただけるということで蟹江町に行くことになった。
※とくに表記のない写真は湯本貴和さんの撮影







